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2012年7月27日 (金)

雨宿りと蝉しぐれ

いろいろありましたが、関東地方もすっかり梅雨明けしました。
夏らしい、とつぜんの夕立や雷もしばしば訪れるようになりました。

作者はいまだに夕立と集中豪雨=ゲリラ豪雨の区別を理解していませんが
ゲリラ豪雨の際に聞かれる「さいきんの天候はおかしい」といったスタンスに触れるたびに、思い浮かぶ台詞があります。

/「しかし昔にくらべると、近来は雷が鳴らなくなりましたね。だんだんと東京近所も開けてくるせいでしょう。昔はよく雷の鳴ったもんですよ。どうかすると、毎日のように夕立が降って、そのたんびにきっとごろごろぴかりと来るんですから、雷の嫌いな人間はまったく往生でした。それに、この頃は昔のような夕立が滅多に降りません。このごろの夕立は、空の色がだんだんにおかしくなって、もう降るだろうと用心しているところへ降ってくるのが多いので、いよいよ大粒がばらばら落ちてくるまでには小一時ぐらいの猶予はあります。昔の夕立はそうでないのが多い。今まで焼けつくように日がかんかん照っているかと思うと、忽ちに何処からか黒い雲が湧き出して来て、あれという間も無しにざっと降ってくる。しかもそれが瓶をぶちまけるように降り出して、すぐに、ごろごろぴかりと来るんだからたまりません。往来をあるいているものは不意をくらって、そこらの軒下へ駈け込む。芝居や小説でも御承知でしょう。この雨やどりという奴が又いろいろの事件の発端になるんですね。はははははは。しかし又、その夕立のきびきびしていることは、今云うように土砂ぶりに降ってくるかと思うと、すぐにそれが通り過ぎて、元のように日が出る、涼しい風が吹いてくる、蝉が鳴き出すというようなわけでしたが、どうも此の頃の夕立は降るまでが忌に蒸して、あがり際がはっきりしないから、降っても一向に涼しくなりません。やっぱり雷が鳴らないせいかも知れませんね」
老人は雷の少ないのを物足らなく感じているらしく、この頃のようではどうも夏らしくない、時々はゆうべのように威勢よく鳴って貰いたいなどと云って、わたしのような弱虫をおびやかした。それから引いて、老人は雷獣の噂をはじめた。
「日光なんぞの山のなかに棲んでいるのは当りまえでしょうが……/


半七捕物帳Ⅲ収録「雷獣と蛇」より

江戸末期に岡っ引きだった半七老人が、明治生まれの若者「わたし」に対した台詞。フィクションだけど。
ずいぶん長い引用になりましたが、注目ポイントは3つ。
①雨量は不明瞭だが、江戸時代の江戸地域の夕立(雷雨)は相当ゲリラ的な降り方をしていたのではなかろうか
②雷が鳴らなくなったのは「東京近所も開けてくるせい」と、気候と都市計画との因果関係にさり気なく言及している
③やっぱり江戸時代でも北関東地方(日光)は雷の名所?だったのかぁ、へー

そして疑問は2つ。
①じっさいに明治時代へ移行して夕立はだらだら降るようになったのだろうか
②明治時代と比べてずいぶん江戸都市(いまの東京)の立体的なフォルムも変わったわけだけど尋常じゃなく「開けた」状態にあって、落雷の頻度は減ったのだろうか。(避雷針などあるので、落雷による被害が減ったことと落雷自体の発生数はべつだ)。

気象庁のホームページを閲覧したけど、わかったのは、太平洋側と日本海側では雷の生まれ方がちがう、ということだけだ。疑問はとけず。江戸時代のデータないしね。
そういう点では気象庁が観測を開始した明治以前の気象を含めると、異常気象なんてないんじゃなかろか、とおもっている。「的確な対処を知っているひとがいない」という点ではぜんぶ「異常」と表現して間違いないので意味はないですが。

先日の九州北部豪雨や桜島の噴火やグリーンランド氷床融解もヒートアイランドも、ぜんぶ関係があるのだろう。

作者がランドセルを背負っていたころは、常緑樹の下でよく雨宿りをしていた(落雷時に高い木のそばにいるのはキケンです。離れましょう)。
それは、待っていれば雨がすぐ上がるから、だったとおもう。
ここ数年は台風でもない限り、雨宿りをしなくなった。
待っていても、雨がやまないから、のような気がする。あとコンビニでもスーパーでもどこでもビニール傘が売っているので購入して、とっとと歩き出してしまう、という理由。小学生とちがって雨宿りして仕事に遅れるわけにもいかぬ、という理由もあるけど。実際にここ数十年で夕立が長雨になったのか、それとも作者の時間感覚が齢をかさねたせいで変化しただけなのか不明(待てなくなったのか)。きちんと計測しておけばよかった!


ひさしぶりに雨宿りをしてみた
突然のどしゃ降り(雷は鳴っていなかった)に際して、ビニール傘もビニールじゃない傘も購入できるんだけど、せっかくなのでお店の軒下で雨宿りをしてみました。
黒い雲のした、濡れながらどんどん人がかけ込んでくる。しかし傘を買うひとは少数の模様。
「どう見ても、通り雨だから」が理由とおもわれる。そう、的確に表現できないけど、どう見ても通り雨にしか見えなかった。おそらく他の雨宿り仲間?のみなさんもそう踏んだにちがいない。あと傘を購入した人も二の足を踏むくらいの雨の勢いだった。せめてもう少し弱まってから歩き出したい、という意図。夏休みだし、まあ急がなくていいか、という意図が交錯。
結果的に、軒下がひとでいっぱいになった。
基本的に若者はスマホ片手やイヤホン装着した状態でしたが、雨宿り仲間?どうし(おばさん)で会話がはずんだり、雨を見つめながらごはんを食べ始めたり(おじさん)……こののんびりしたかんじは江戸時代っぽいかもしれない、とおもいました。
みんなの予想通り、小一時間ほどで雨はあがった。

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まだ降っているけど刷毛で描いたような雲のすきまから青空が見えたのでみんないなくなった

雨上がりと言えば蝉しぐれ。

音のみ。東京の辺境・町田の蝉が時雨ております。途中、ゴソゴソ聞こえるのは作者が蚊を払っております。

まとめ;変わったのは雨の降り方や雷の鳴り方というより生活習慣のほうだったかもしれない。時系列で気候や生活の変化を語るときには、自身のこども~おとなへの時間感覚の変化なども加味したらいい。

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