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2014年8月13日 (水)

コピペ問題とアサガオの観察日記

はじめに言っておくと、作者はSTAP細胞にも、STAP問題にも、STAP騒動にもぜんぜん興味がない。騒動にしてはしゃいでいるひとたちも、コピペ問題もぜんぶどうでもいい。
なんでもそうだけど、特定の対象について興味のあるひとしか発言しないから、まるで“みんな”“社会全体として”やいのやいの批判しているみたいに見えるけど「それ、どっちでもいいわー」っていう無関心層は沈黙の下に一定数、存在しているはずだ(←サイレント・マジョリティーなのかサイレント・マイノリティーなのか、黙っているし何も行動を起こさないから永久に不明だけど)。
せっかくなので無関心層をかってに代表して(代表する気概で!)発言しておこう。


コピペ問題

もう2週間以上前になるけど、新聞の連載コラムに「“博士号”の信用を失墜」という博士論文のコピペ問題に関する記事が掲載された。

「かつて私の学生時代、“糊と鋏で卒論執筆”という自虐的な表現がありました/(中略)/昔も今も学生の気質は変わっていないもの。とはいえ、これは学部の卒業論文レベルのこと。修士論文や博士論文は、はるかに厳格に独創性が問われるものと思っていました。/(後略)」

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2014年7月28日(月)日本経済新聞朝刊『池上彰の大岡山通信/若者たちへ▶7』より

ほほぅ。今64歳の池上さん世代でも手作業でコピペしてたのかー(論旨はそこじゃない)……ってことは、もしかしてじぶんより若いヤツらを“ゆとり世代”って批判したり、コピペ疑義の渦中にあるひと(ゆとり世代ではない)をやいのやいの言っている偉そうなおいちゃんたちっていうのは、じぶんが大学を卒業するときに独創性の欠片も示せなかった過去があるんじゃないの~? からの~? 同族嫌悪~? (こういう行動を心理学では自己投影の一種ってゆう?) さらに「不正に当たらない」って判定したひとたちも、自身がコピペした論文を書いている可能性も~? ぜんいん疑わしくなったな!

ただ本気出して厳密にコピペかどうか調べたら、あらゆる文章はぜんぶコピペじゃないの? 人間の言語能力は遺伝しないから(日本人の子どもに生まれたってひらがなも漢字も1文字ずつがんばって覚えたべ。たとえば生後まもなくドイツ人家庭に養子に出されたら遺伝的に日本人の子どもでもドイツ語ネイティブだべ。構成力とかは遺伝子かんけいあるらしいべ)、だれでも耳で聞いたことがあるか、文字で読んだことのある言葉しか、口から出てこないとおもうんだけどなー。(←そういう表面的な? 哲学的なことじゃないって言われそう)

この不確かな世界で、独創的で具体的な意見をきっぱり堂々と述べるヤツがいたら、そいつは預言者か詐欺師か詩人かキチガイじゃないの? そんなヤツの言うことをぜんぶ信じちゃダメ! せっかくなので、もう一度いおう。ダメ! ぜったい!
オリジナリティーとキチガイは同質のもので、その差は自覚しているか無自覚かだけだとおもうけどね。無自覚はあぶない。

ところで、歴史的には人間がコピペして楽をするためにコンピューターさんにご登場ねがったんじゃなかったのか?

愛書家界隈におけるレジェンド(生きた伝説)、ジャン=クロード・カリエール(仏1931年‐)×ウンベルト・エーコ(伊1932年‐)は対談の中で以下のように発言している。
ジャン=クロード・カリエール「新しい技術が出てくるたびに、新しい“言語”を習得するための長い長い入門期間が必要になり、その入門期間は、私たちの頭がその新技術と先行する諸々の言語を使い慣れていればいるほど、長くなるのです。/(中略)/技術が手間を省いてくれるなんてことはまずありません。技術は手間を増やすだけです。」
ウンベルト・エーコ「(前略)/そうして身につけたものは永遠に有効でした。今は、2週間かけて新しい情報処理ソフトについて何かを理解したとしても、おおかた使いこなせるようになった頃には、新しいソフトが出てきて、また使い方をマスターしなければいけません。問題は失われる集団的記憶ではないのです。問題はむしろ現在の不安定さなんだと私は思います。」

『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』工藤妙子訳

技術を利用して楽をしたかったのに、むしろ手間ふえちゃって失敗! ガッカリ!! って読み取れるんだけど、ちがうの? (ちがったらレジェンドふたりに謝ろう)

コンピューターを登場させた段階で、そこにあるデータをコピペして人間が手間を省くのは、まっとうな使い道だったのでは? そんなにやいのやいの言うんなら、コンピューターやめちゃえばいいじゃん。紙の書物はまだぜんぜん絶滅していないぜよ。現役で使えるぜよ!

一般に広くやいのやいの言っているのは理研が独立行政法人だからだろうけど、税金の使い道の「もうホントにてめぇらいい加減にしろよ!」感はべつに今ココに限った話でもないべ。なんで、ココだけ盛り上がっているの? (冒頭の記事は早稲田大学の判断を批判したものだけど)

写真家・藤原新也さんの連載コラム「日々の一滴」の連載36番目のタイトルは「真珠の涙。」であった。
「写真家としての私は、STAP細胞の熱狂が巻き起こったのは単に世紀の発見だったことのみならず、熱狂劇の主人公が女優的資質を持った若い女性だったことが大きいと思っている。」
「心が表情に直結する珍しいタイプ」と評し、さらに、1月の発表会見から4月の記者会見の流れのなかで身につけていたアイテムからメッセージを読み取っている。
かっぽう着&ビビアン・ウエストウッドの指輪=ロンドンパンクの女王ブランド⇒⇒⇒⇒⇒真珠の首飾り&バーバリーのワンピース=英国を代表する保守ブランド
……そこ!? 藤原さん、そこ!? そうか、そこなのか。そこまで考えて服、着るかなー。


そういえばTOKYO MXの人気番組『5時に夢中!』のアシスタント・内藤聡子さんが3月末の生放送ちゅうに「小保方さんいつも丸襟の服を着ていますよね? わたし、丸襟とパフスリーブを着る女性は信用できなくて……」って発言をしていた。
……そこ!? 内藤さん、そこ? っていうか、過去にラウンドカラーとパフスリーブの服を着た女性からなにされたんだ? ってことのほうが気になる。

そうか、みんなそんなに服だいじなんだ。おれ、いつでも小汚い恰好をしていることが不評なんだけど、こんなにいつも小奇麗な恰好で仕事してここまでやいのやいの言われるひともいるんだね。多くのひとのステレオイメージ(?)として「科学者は研究に熱中しているからノーメイクでボサボサ髪であるべき!」みたいなのがあるの? TPOってむずかしー(論旨を見失った)。

おれ個人としては小保方さんを見たとき、かつての知人を思い出した(いまは知らない)。とてもバランスの良い人物で、悪く言えば、世渡り上手だった(おれはそう思っていないのでそんなこと言ってない)。目上のひと全員に可愛がられて、努力しなかったわけじゃないけど、いっさい苦労しないで自分の望む場所までたどり着いてしまった、らしい(本人談)。しかも周囲も類友でみんなバランス良い、みたいな環境だったそうで、生まれてはじめて作者みたいにひどくバランス悪い人間(=本人としては私心なく120%くらい努力しているけど、結果的に関係者ぜんいんを激怒させるなんていう離れ業をやっちゃうひと☆)を見つけたようだ。
「じぶんは努力しなかったわけじゃないけど、いっさい苦労しないで4割から6割くらいの労力で○年間生きてきてしまった。(作者)を見ていると、その内、いままでのやり方じゃ絶対に打開できないような重い困難にあって、このツケを払うことになる気がする」
と言っていた。…………え、天然で人間関係でバランス取れるんなら、それは有用な人材だからいいんじゃないの? うっかり関係者ぜんいんを激怒させたおれにも親切だし。うんうん。と、思ったものである。

(前出の知人と無関係だけど)小保方さんっていうひと、6割くらいの労力で自分の望む場所までたどり着いちゃったのかなー。もしもそうだとしたら、本人としては血のにじむような努力をしているのに、望む場所とはイマイチちがう場所にたどりついているようなひとたちにとっては最も鼻につく存在だろうな(あくまで印象論です。細胞界隈に興味ないんで不明)。

故意にしろ過失にしろ、たったひとつの数値の誤りが原因で人死にがでる可能性があることを知っているのが科学者。そこに書きつけたひとつの言葉が原因で人死にがでる可能性があることを引き受けているのが物書き。じぶんの手のひらに残った1つの細菌が原因でお客が死ぬかもしれないことを絶対に忘れないのが飲食のプロ。ぷろふぇっしょなる。
そいういう意味では「多忙を極めた」ことが原因でデータを取り違えたって発言は、ほぼ「わたしは己の能力に分不相応なポジションについています」と内外に対して宣言したに等しい。時間管理もデータ整理も仕事のなかではとても地味なものだ。でも、それができないヤツに派手な仕事って頼まないし、頼めないもんなんだけどね。仕事の基本だから(他人のことを言っておいて自分の耳もちょう痛い!)。

でも、今まさに自分自身でそのツケを払っているわけだから、まっとうだよなーと思っていた。しかし、突然、笹井氏が取り返しのつかないことになってしまった。

ここで突然、1973年に動物行動学の研究でノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツ博士(1903‐1989年)について話したい。


さらに、アドルフ・ヒトラー(1889‐1945年)についても押さえておきたい。


側近による口述筆記をもとに構成された『ヒトラーのテーブル・トーク』内で、ヒトラーはもはやだれも聴いていない食事ちゅうの席で「ユダヤ人は遺伝的に問題があるから絶滅させることが人類にとって最善の行為だ」というようなことを繰り返し発言している(記憶びみょう)。
ん? 画家エゴン・シーレ(1890‐1918年)が通ったウィーンの美術学校に同時期受験したけど不合格で、その後、第一次大戦で従軍した経歴しかないはずのヒトラーに遺伝学の知識?

ローレンツ博士死後、遺族が公表した遺品のなかにはかなり積極的にナチス・ドイツに協力した証拠が見つかったとか(日本経済新聞のいつかの記事。でもおれ実物みたわけでも本人に会って話聞いたわけでもないから、信憑性びみょう)。
でも、ここでつながった。ああ、あの“遺伝的に”って箇所は、ローレンツ博士の受け売り(コピペ)だったのかー。

ポイントはノーベル賞は辞退もできること。ジャン=ポール・サルトルは1964年に辞退している。

サルトルはそういうひとだよね

博士が辞退せずに受賞したってことは、やっぱり、まっとうじゃなかったんじゃないかなー。

それとは逆に、笹井氏は最悪の形で、じぶんがまっとうな科学者であることを証明した。でも、そんなこと証明するべきじゃなかったとおもう。


アサガオの観察日記

ところで今年7月下旬から、アサガオ記事へのアクセス数が急に増えていた(スパム対応にしか使っていないのでアクセス解析の見方がいまいちわからない)。
2012年⇒アサガオの観察日記;1週目
2013年⇒アサガオの収益率は421%
2014年⇒3年目のアサガオ観察レポート

お? 7月下旬にいまさらグリーンカーテンを仕立てたくなった大人が検索しているんじゃなくて、夏休みの宿題を丸写ししたい子どもが検索しているってこと? 
……バカか。いや、断定しよう。バカだろ!
いや、ちょっと参考にしたいだけかも。うーむ。丸写し疑惑なら、バカ断定だぜ。なんでかっていうと、これ検索しておれの撮った写真とロークオリティー絵を見ながら写すとなると、きっと40分くらいかかる? でも、この“観察日記”は実働1日1分しか割いていない(記事にするにあたって写真とか文章とか作るのでもう少しプラスα)。
毎朝水をあげて、お手入れをして、写真を撮って、絵を書いて、ハイ! 60秒で終了~(30秒くらいで描いたロークオリティー絵でよければ。最悪、じぶんで毎日写真撮っておいて後でスケッチしてもいいとおもうけど、でも写真見て描いた絵と実地で描いた絵ってちょっと雰囲気ちがっちゃうもんだよね)。
で、40日間くらいやっているからぜんぶで40分である。人生のうちで結局、同時間分を消費するなら、やりゃいいじゃん。しかも、おれ花咲いたところまでしか日記つけていないし。これはベランダだけど、もっと日当たりや風通しいい場所で朝晩水あげたいなら1日2分かな。健康なら、余裕でしょ。

観察日記で押さえておきたい要素
①状況=いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どのように=5W1Hの情報伝達原則をベースにするのは仕事も宿題もいっしょ。日付と天気と気温と風向きの具体的な数値が書き込んであるとそれっぽい。場所も家の南側とか風当り強いとか西日キツいとか野良猫がウロウロしている、とか詳細に報告したらいい。
②状態=五感を動員すると書くことが水増しできる。視覚は色、形、サイズ。嗅覚はかいでみたらいい。触覚は産毛チェックすればいい(虫に攻撃されると毛深くなるらしいぜ)、味覚は食べてみたらいいけどシビれちゃう有毒植物も多いからちゃんと調べてから。聴覚は種をカラカラ鳴らしてみるとか。で、ポイントは数をかぞえておくこと(根、茎、枝分かれ、葉、花びら、葉脈、おしべめしべ、サイズも測っておくといい)。
③変化=数を比較すればいいので、簡単だ。今朝は10輪咲いた、とかだけでもいいし、朝(というか夜)何時に咲いて何時間でしぼんだ、とか時間比較でもいい。ツルは巻きつく相手(角材、竹、プラスチック、ロープなど)を選ぶかどうか比較してみるとか。「台風直撃による暴風でちぎれました」とか「3日間家族旅行へ行っているあいだに枯れました」も変化でしょ。
④じぶんの気持ち=「ウェディングドレスみたい! きゃ~♡」とか見立てを混入すると書くことが水増しできる。「枯れてしまって悲しい」とか「花咲いたけど、だからどうしたっておもう」でもオッケー☆


ブルーノ・ムナーリの絵本『木をかこう』がおすすめ

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おれはアサガオのソフトクリームっぽい瞬間がすきです。ラブリー♡

江戸時代に「朝顔に釣瓶とられてもらい水」って加賀千代女が詠んでいるわけだけど、井戸端にかってに咲いちゃうような、ちょっとした雑草だぜ? (品種改良や行燈仕立てにして売っている植木屋さんとかグリーン・カーテンをしっかり作りたい場合はまた別)
園芸界隈ではド初級の雑草カテゴリーに位置するアサガオをたかがひと夏、育てられないってことないべ。バラの栽培なんて強制労働レベルだぜ(品種にもよるけど)。
※じっさいに加賀千代女が詠んだ“釣瓶”は港区・薬王寺の霊験あらたかな井戸です。⇒落語の舞台を歩くに写真が掲載されています

それに「花を咲かせなきゃ落第」ってワケでも、「グリーン・カーテンプロジェクト」でもないなら、この課題のアウトラインは夏休みの時間管理(タイム・マネジメント)じゃないの? (アサガオの水やりは気温が低い朝晩しかできない)だったら1日1分でオッケーだろ。本気だしたら植物の観察&研究なんて一生モノの仕事だぞ。変にうまいことやろうとしないで、本質をおさえるべきだとおもうけどね。

ダイエット記事をネットで読んでいるヒマがあるなら、その時間分をとにかく散歩したほうがヤセるよ、みたいなことだ。

そういえば、いまみたいにネットが普及していなかったころ(~90年代まで?)の国立天文台の電話問い合わせ応答についてまとめられた『天文台の電話番』のなかで、たしか「夏休みの宿題で“月を見上げる”という課題が出たけど、夜空に月がないんです」という小学生からの悩み相談がきたりしている。小学生が相談してきたとき、朔や欠けていく月(月の出時刻が夜遅い&朝早い)の時期だったためその説明をして、いつなら子どもが空を見上げられるくらいの時間帯に見えるか地域の月の出月の入り時刻を調べて回答していた。ちなみに本の筆者は教師が中途半端な宿題を出したことにモヤモヤしていた(課題として出すなら月の出没時刻が夜に限らないことくらいまず生徒に教えておくべきだ、という見解)。


『天文台の電話番』は文庫本になっていた

作者は月がすきなのでやたら写真を撮ったりしているけど、⇒月部:満ち欠けコレクション
自然現象全般そうだけど、観たい! とおもってすぐ観察できるもんじゃないってこともアサガオ課題の本質じゃないのかしら。出没時刻はおれの生活リズムや体調と関係ないものだし、失敗すると1ヶ月近くチャンス来ないし(めあての満ち欠け月は年間12日程度しかシャッターチャンスない?)。雨降ったらぜんぜんダメだし、カメラを向けた瞬間に風に流されて雲がかかってしまったらジッと待つ、以外にできることないし。

0803
月齢7.5の宵月

0808
月齢12.48の十三夜月

0811
月齢14.72のスーパームーン直前(午前02:43に最近、午前03:09に満月)台風のスキマから

月LOVE♡

観察っていうのは、こちらがどんな状況かなんてことや願望なんて二の次にして、相手をずっと気にかける、ずっと見守る、ってことだとおもうけどね。お互いに最初で最後の人生なのにアサガオ(園芸界隈では雑草カテゴリー)ごとき観察できないんじゃ、きっとそいつ、一生モテないにちがいない(アサガオ観察したからってモテるわけでもないけど)。まあ、みんな好きにしたらいいよね。最初で最後だし。

まとめ;それ、どっちでもいいわー。
これだけ文字を費やしてみても言いたいことなんてなにもなく、気持ちは「どっちでもいい」どまりだ。すべてかりそめにすぎない。コピペするものも、コピペされるものも。


マルクス・アウレリウス自省録 第四巻「すべてかりそめにすぎない。おぼえる者も、おぼえられる者も。」をコピペ(パロディ?)してやった! 


『自省録』神谷美恵子訳


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