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2015年12月28日 (月)

戦争放棄アクセをつくった

第二次世界大戦(1939~1945年)後の日本に生まれたことを“戦争を知らない世代”と表現するわけですが、作者もそのひとりです。日本は今年、戦後70年なので70歳以下の若者はぜんいん該当。せっかくなので“知らない”まま進めます。
本題と関係ないけど、作者のすきな現在72歳の女優・加賀まりこさんは空襲まっただなかの防空壕のなかで生まれたそうです。無事でなによりです。



まず極私的な話ですが、作者の祖父は旧陸軍に徴兵された兵士でした。

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右から読む「皇紀二千六百一年二月 聖地参拝記念写真」

2015年は皇紀2675年なので、戦中の1941年2月に“聖地”てきなところへ行った記念写真ということらしい。が、表紙しかないので具体的な場所はふめい。

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どれか祖父。撮影場所および目的はふめい。

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どれか祖父。軍服を着ているので出征直前の撮影だとおもう。

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“教育勅語”だがカナ混じり漢文の判読不能さに困惑する。外枠は菊の御紋柄。

※どこからも掲載許可をとっていないので故障がでるかもしれない。

作者は血族に縁が薄いのでじいちゃんに会ったことは3回くらいしかない。しかも2回はおぼえてない。ごりごりの偏屈だった赤子のおれ(いまと変わらず)に手を焼いたらしい。面倒かけてごめん、じいちゃん。まったくおぼえがないけど☆
こわいもの知らずで無神経な孫(おれ)は訊きたいことがあった。臨時召集令状はほんとに赤かったの? ピンク色くらいじゃない? 郵便配達? 手書きor印刷? 通達から集合時間・場所までの猶予・距離はどれくらい? どこの部隊に配属されたの? 船は軍艦? どれくらいの大きさだった? 現地では毎日なにをしたの? 戦車は乗った?

無回答。偏屈で面倒くせぇ孫(おれ)には答えてくれないっぽいなー、と諦めかけたとき、じいちゃんはぼそっと言った。
祖父「2年間タダ働きさせられた」

じいちゃんは帰ってきた。復員ではなく除隊で(たぶん)。17・18歳か19・20歳あたりなのか徴兵年次さえ教えてもらえなかったんだけど、とにかく徴兵されて船便で南方戦線インドネシアあたりのどこかの島へ送られて2年間兵役につき、マラリア熱に感染して除隊および船便で帰国した。「万が一、死んだら靖国神社に軍神として祀るから」と徴兵されたわけだけど、靖国神社ではなく家へ帰ってきた。ちなみに帰ってこないと、おれ今ココにいない。
①徴兵拒否により投獄&獄死⇒×
②国内の本土空襲で焼死⇒×
③乗船ちゅうの船が事故や撃沈で水死⇒×
④インドネシアの戦闘で戦死⇒×
⑤マラリア熱で病死⇒×
⑥マラリア熱に罹患して除隊&帰国して快復⇒○
⑦除隊したものの戦争が長引きふたたび徴兵⇒×
こうして羅列してみるとおれけっこう死んでる。こんなふうにのんきにPCをタイピングしているのが夢のよう、というか温度差が滑稽だ。ただ、おれがのんきにタイピングしているコノ未来なんて必要だったろうか。うん、べつに必要ではないよね。そんなことよりも素朴で単なる一労働者だった、しかも若者のじいちゃんがヒト殺しかヒト殺しの手伝いをさせられなかったほうがよかったし、殺されたヒトが戦闘員にしろ非戦闘員にしろ死んだり傷ついたりしないほうがよかった。徴兵制でも志願制でも軍隊の給与はどこの国も薄給なもんだけど、タダって……今どきのブラック・バイトなんて目じゃないな(軍人恩給や傷病恩給とかも対象外)。

戦後、「反戦」の立場で描かれた“戦争文学”ジャンルはその存在意義じたい疑問もなくもないんだけど、阿川弘之『雲の墓標』や高木俊朗『インパール』あたり70歳以下の若者はとりあえず押さえておくべきだとおもう。

そういえば今春の天皇皇后両陛下パラオ訪問にあたって、現地の映像を報道で見たんだけど、10代のじいちゃんはこんな鮮やかな色彩のなかに佇んでいたのか。と目を瞠った。※パラオとインドネシアはけっこう距離ある

じいちゃんは一言しか語らなかった。さらに、ばあちゃんはなにも語らなかった。「ひどいことをされた」という話はあふれても「ひどいことをした」という話は聴かない。発言にデメリットはあってもメリットがないからだ。旧陸軍の装備はそうとう貧弱だったはずだから……最弱に無力であったらいいとおもう。

なにが言いたいのかとゆうと、コノ未来はべつに必要ないのである。ヒト殺して生き残った兵士の子孫を代表しているわけでもなんでもないけど、おれはいらないですよ。戦争に意味づけしたい心理なんだろうけど「労苦のうえの平和&経済成長&資本主義の優等生」とかぜんぶ恩着せがましい。たとえ今おれが存在しなかったとしても、その時点で生存しているヒトらが戦争せずに安寧にのんきに暮らしてくれたらそれでよかった。そのほうがよかった。この先だって「まだ生まれない者たち」(byパウル・クレー)に声があったら鼻で笑うかもしれない。「ちゃんちゃらおかしい♪ ぼくらのせいにしないでよ☆」

「戦争放棄」は仮にそのままの意味で受け取れば「たとえ侵攻を受けて日本人が全滅しても黙って殺されろ」ということになる(わりとひどい)。これまでの経緯上、自衛や制裁や戦力は別! みたいなことになっているけどGHQ(と当時の日本人)の意図としては日本に対する最も重い制裁で足かせにしたかったんじゃないの。知らないけど。いいんじゃない? 日本人1億人が全滅することで、あとの71億人がうまくやっていけるってゆうんならひとえに風の前の塵になってみたら? え、みんなイヤなの? そんなに? ふーん。ちなみに19世紀くらいのイギリスの経済学者(だれか失念)が陸地面積、淡水量、生態系のバランスなどを踏まえて試算した「地球上に生存可能な人口の最大値」は50億人だったけどね。

自民党員のみなさんは現代までつづく“占領体制”を象徴するものとして(?)「第9条・戦争放棄」にそれを否定する「第二項」を追加したいらしい。「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍」が「国会の承認」で任務遂行するらしい……シリアス? 戦時中キタ☆ 今も昔も日本に住んでるってだけでだれかを殺してまで長生きする価値のある命だったっけ? たかが選挙で選ばれたくらいで命に優先順位つけられると思ってんのか。古代の戦争の常識として「最高指揮官の臨場しない戦争は敗北する」というのがあるんだけど、言いだしっぺがほんとに臨場する気あるのか(サイバー空間はどうしよう)。こっちは空想的だけど、そっちは理想論ゆってない? 足かせのあるしあわせを噛みしめろ。

「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それがはじめられた当時にまで遡れば、善き意志から発していたのであった」

塩野七生『ローマ人の物語13最後の努力』

それにしても1991・2年のPKO協力法あたりからずっと明確に違憲だったとおもうんだけど、なんで今年(5月からの安保法案審議)になって学者がいまさら「違憲」を合唱しているのかな、と考えたときに、結局のところみんな晋三さんが嫌いなだけなんじゃ……ためしに超絶人気者の純一郎さんと比較すると「秩序を作りたいひと」×「解決を見つけたいひと」の差かな、とおもう。前者はじぶんの手を汚さない(本人自体も秩序だから)、後者は手が汚れようが他者の承認がなかろうが気にしない(興味ないだけ)。「三方一両損」みたいな話好きの日本で人気があるのは後者だろうけど、総理大臣の激務レベルでいえば同等に尊重されてしかるべきかとおもう。
オーケー、みんなが晋三さんを嫌いなことはわかった、でもそれがどうした。みんなが純一郎さんを好きなこともわかった、でもそれがなんだというのだろう。キャラクターの好悪なんかでスタンス変えるもんだから“衆愚”とかバカにされる(作者含む)。そんな衆愚が選んだり育てたりしたヤツが軍の最高指揮官って、…………うまくいかないとおもうのよね。

「七つの城門あるテーベ、それを建てたのは誰?
書物のなかに書いてある王たちの名前名前
岩をくだいてごろごろ石を王たちがひきずり運んできたのか?
いくたびもいくたびも破壊されたバビロン―
それをいくたびもいくたびも、誰が建てなおした?
金色に輝く首都リマの、どんな家々のなかに
建築する人びとは住んでいたのか?
万里の長城ができあがって、その晩
どこへいったのだろう、左官屋たちは?
大ローマは凱旋門がいっぱい、それらを誰が立てた?
皇帝たちは誰にたいする勝利を祝ったのか?
多くの歌にうたわれているビザンチンの
宮殿また宮殿は、ただそこに住む連中のものだったのか?
伝説の島アトランティスでさえも
夜、それが海にのみこまれたとき
奴隷を呼んで溺れる者たち、わめき叫んでいた
若いアレキサンダーはインドを征服した
かれひとりでか?
カエサルはガリア人を打ち破った
少なくともひとりのコックがかれのそばにいなかったか?
スペイン王フィリップ、無敵艦隊が沈んだとき
涙を流した、ほかに誰も泣かなかったか?
七年戦争でフリードリヒ二世は勝った
かれのほかに勝ったのは誰?
一ページごとに勝利が一つ
勝った祝いのごちそうを誰が料理した?
十年めごとに偉人がひとり
費用はだれがまかなった?
かくも多くの記録
かくも多くの疑問」

ベルトルト・ブレヒト(1898~1956年・ドイツの詩人)『本を読んで一労働者の抱く疑問点』

「国際的テロの脅威」に対する疑問:統計が正確であれば1日あたり100人ちかくが自主的に死んでいる国でテロの脅威? それ、たいした脅威でもなくない? 「死にたいヤツはべつ」みたいに考えているのかもしれないけど、結果的な自殺者が厳密に「死にたいヤツ」である場合は少ないんじゃないかな。「死にたいくらい苦しい」「死にたいくらい辛い」「死にたいくらいむなしい」「死んだほうがマシ」は状況であって純粋な「死にたいヤツ」とはちがう。あと純粋な「死にたいヤツ」は自死じゃなくてヒト殺すから気をつけたほうがいい。

アルベール・カミュ『異邦人』

(1939年11月30日木曜日午前9:16ヘルシンキ空爆ではじまり翌3月まで戦車vsスキーでまさか続いた冬戦争=第一次ソ芬戦争によりカレリヤ割譲となったフィンランドの記録)
「全人口の12%45万人が難民、全兵士の10分の1以上を占めるカレリヤ出身の兵士達には帰るべき家も畑もなくなってしまっていた」

梅本弘『雪中の奇跡』

この本の読みごたえは戦車vsスキー部隊でフィンランド軍が4ヶ月も孤立無援のまま敗けなかった(死傷者多数&領土割譲されてるけど)点である。しかし「戦争」として考えた場合、第一次ソ芬戦争の注目ポイントは現在のフィンランド共和国がカレリヤ地方(民族叙事詩由来の地。日本でたとえるなら島根県出雲)の返還要求をロシア連邦に対して、していない点である(継続戦争=第二次ソ芬戦争・1941年から1944年9月まであったけど)。

「(中略)政治家になろうとする人間の種類が変わってくる。誠実さや有能さが選挙での優位性につながらなければ、そうした人間はやる気を失い、その結果、空いた場所には詐欺師が忍び込むだろう。最底辺の10億人の国々における民主政治では犯罪歴のある候補が出馬しやすいというものだ」

ポール・コリアー『民主主義がアフリカ経済を殺す』2009年

(1948年パレスチナにあった420の村が“消滅”した事件を追求し、ある数百人規模の村の“消滅”にかかわったイスラエル軍の退役軍人にインタビューした場面)
退役軍人「あれはひどい戦闘だった……(中略・おもいきったように身振りが大きくなる)わたしがあのとき受けた命令を正確に言おうか? “だれひとり殺すな。女こどもはもちろん、抵抗しない者は男たちも、だれも殺さずに任務を遂行しろ”…………それが、どうしてああなったのか…………(椅子にかけ直し沈黙する)」

広河隆一『パレスチナ1948・ナクバ』←映画館で1度観たきり(うろ覚え)

第二次大戦直後の日本でもGHQによって行われた“強制退去”である。銃を突きつけ「24時間以内にここから退去しろ」とゆう(GHQでは48時間か72時間猶予)アレだ。日本では厚木飛行場における抵抗以外、玉音放送の効果もあってか退去したらしい(抵抗はなかったわけではなく“無視”された)。しかし1948年のパレスチナでは先祖伝来の畑と自宅を24時間以内に離れた住民のほうが少なかったのか(不明)そのままイスラエル軍との戦闘になり村まるごと全滅した。それらを“ナクバ”=大惨事とパレスチナの生存者は呼ぶ。このドキュメンタリー映画(というか断片的で長期に渡る取材テープをなんとか時系列に並べて映画作品にしたもの)で追跡している特定の“事件”では、村人側の数名の生存者は「イスラエル軍が通告24時間後に戻ってきて攻撃を開始した」と証言し、また同時に2/3以上の死傷者を出したイスラエル軍の一個中隊(小隊?)の退役軍人は「村に戻った途端、われわれはどこかの民家から攻撃を受けたので応戦した」とゆう。そして現在、パレスチナ第三世代は一度も見たことのない“先祖伝来の畑”に「帰りたい」と言う。おれ、日本がイスラエルを国として認めている責任をとれそうにない。

戦争という現象はコントロールできる類のものではない(運命そのもの)。良心が不安に勝つことなどない。はじまってしまえば「だれひとり殺すな」という命令は実行不能だ。「戦争リスク」の定義によるけど、現代日本の開戦リスクなら「集団的自衛権」=「戦争放棄」、戦争が起きたあとの継続リスクなら「集団的自衛権」>「戦争放棄」じゃないのかな。

(ソ連高官を主人公に、実際の大量殺人事件をモチーフに描かれた英作家による小説)
「レオは暗闇をじっと見つめた。妻がいると思われるあたりを凝視した。女たちは戦争中も占領中もレイプされ、解放後は解放軍にレイプされた。レオは一兵士として、そうした行為が国家によって容認されていたことを知っていた。戦争の構造の一部として、勇敢なる兵士への手頃な報償として。青酸カリは耐えようのない恐怖に直面した者が自らの命を断つ手段として使われていた。兵士も女が銃かナイフを隠し持っていないかどうか、確かめただろうが、一コペイカ硬貨までは考えなかっただろう、きっと見過ごされていただろう。レオは彼女の手のひらを撫でた。ほかに何ができる? 謝罪? 理解? 戦争がライーサにとって何を意味するのかも知らず、レオはあの新聞の切り抜きを誇らしげにずっと壁に飾っていたのだ」

トム・ロブ・スミス『チャイルド44』

すくなくとも世界人口の半分は「戦争とかまじメーワク☆」とツバ吐いてる。過半数越えでナシ派が勝利するはずなんだけどなー。おっかしいなー。

…………というようなわけで、「戦争放棄」ファッションを考案しました。※提案じゃないです


本題:戦争放棄アクセづくり

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①100円ショップでヘアゴム・くるみボタンキット・安全ピンを購入する

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②直径6cmほどの紙に「戦争放棄」を筆書きし、配置について検討する

③くるみボタン(ほんとは布用)パーツに巻きつけラミネートフィルムでカバーし、ボタンの脚台部分に安全ピンを通す。

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④完成                                        未完成

この時点で気づいたけど、安全ピンを固定するパーツの入手を忘れていた。しかたがないので裏面はマスキングテープで固定した(工事ちゅう感)。

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※着用イメージ                                   こちらにもアクセ

これでいつ国際的および国内的テロリストに殺されても安心だね☆ (アクセごとビルごと街ごと爆撃とかされたら無意味だし、もちろんだれにも殺されないのがいちばんよいです☆)
戦争放棄バッジにくわえて、センソーホウキヘアゴムもつくった。

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クレヨンを15回重ね塗りした「センソーホウキ」             手順はバッジといっしょ

今春にモード界で流行したカタカナ人気に媚へつらって(?)「センソーホウキ」表記にしたんだけど、紙質が固すぎたためうまく丸まらずイマイチなかんじに。
どちらのアイテムも強度に難ありすぎるため、外出はオススメできません★ ←大失敗

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ブレスレットとしても使えるツーウェイ☆

まとめ:ひとり戦争放棄
ざっくりと「殺されたらあきらめよう☆」(おれ限定)という見解なので「怠慢な自己軽視および無気力」といわれればその通りだ。でもおれは人間社会的にはずっと無視されてきたし、これからもなんとなく無視されていくわけである。なんでメンバーじゃないのに税金払えってゆわれるのだろうとおもっていた。メンバーじゃないんだから自称テロリストに殺されてもだれにも報復する権利ないとおもうのよね。みんなかってに法を変えるのなら、こっちもかってに放棄していいよね♪

0906
9月初旬・雨の新宿通り歩行者天国で安保法案反対集会

心理的にもこれくらいの距離をへだてて聴いていました。

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