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2016年8月 6日 (土)

仮説:「動機は差別思想」では誤解釈

作者は「障害」や「病気」を悪くおもったことはない。

学校はきらいだった。教育システムしね、とおもってた。これはなんの罰ゲームかそれとも処刑なのか? 作者、6歳のころである。義務教育9年間3285日としてほとんど思い出せない。教師たちからは「しね」と言われてたし、同級生からは「キチガイ」と呼ばれてた。正確にはだれも用ナシなので聞こえよがしに噂されてただけ。ただ本人は、ほうっておいてくれるならラッキーぐらいにしか感じてなかった。そんな、きっと他人からしたらみじめな学校生活においても2、3のいい記憶がある。都合よくそこだけ思い出そう。


クラスに障害のある女の子がいた。ただ当時「障害」とゆう単語を使ったおぼえはなく、とにかく重い病気でクラスに籍はあるんだけどほとんど席におらず養護学級(教室が別の階にある)で過ごし午前中にひとりで早退してしまうことも頻繁だった。ひとりで歩けるけど発語はおぼつかず動作がぎこちなく、よく鼻水を垂らしたまま歩いてた。そう、こんなときこそ女の子の出番である。
「○○ちゃん、待って。鼻水が出てるよ!」
呼びとめて「いまだれかティッシュ持ってない?」とティッシュで鼻かんでもらい「よし!」みたいなことをするいわゆる“面倒見のいい女の子”みたいのが1人や2人や3人いて世話を焼くのである。また背負ったランドセルにスカートの裾が引っかかったまま歩いてしまっていても「○○ちゃん、パンツが見えちゃってるよ!」と呼びとめて裾を整えたりしてた。
作者は面倒見がいいタイプでもティッシュを常時持ち歩くタイプでもなかったため、ちょっと離れた位置からそのやりとりを見てただけである。
へー、嫌がらないんだ。
名前を呼ばれて素直に立ち止まり、世話を焼かせてやって(?)からふたたび歩き出す。あいつ、性格いいな。とおもった。ただ体がうまく動かないんだ、と勝手に認識した。なにしろ「キチガイ」の作者はいじわるされるのも親切されるのもおなじくらい迷惑だとおもってたせいもあるかもしれない。なんで、他人が寄ってたかって馴れ馴れしく話しかけてくるのかわからなかった。そういえば貧血おこして保健室のソファ(ベッド満員だった)でグッタリしてたら健康な同級生がわざわざ「保健室でサボれてうらやまし~♪」とイヤミを言いに来たことがある。貧血ちゅうでも耳は聴こえるし視線も動かせるけど体は全く動かないため「これだから風邪もひけない丈夫で声のデカいバカは始末が悪い(偏見)。死ねばいいのに」と胸中でおもった(口も動かせない)。保健室の先生が「病気のほうが苦しいにきまってるじゃない」と代わりに追い出したので、このヒトふつうでよかったとおもった(まだしゃべれない)。「バカは風邪ひかない」んじゃなくて「風邪(一過性の病気)の経験値もないとバカになりやすい」が因果関係としては正確じゃないかとおもってた。
彼女に話をもどすと、遠足や社会科見学の行事に参加できなくても集合場所である学校にはちゃんと時間通りいてクラスメイトの出発を見送っていた。律儀だ。

そんな彼女のお誕生日会を自宅でやるからと招かれた。作者はだれとも友達じゃなかったし「キチガイ」って噂されてたし、なんで呼ばれたのかまったく意味不明だけどもとにかく呼ばれたので出かけ、途中で花屋に立ち寄った。
子ども時代の作者「友達(※あっちは友達だなんてぜんぜん思ってないだろうけど、まあ説明の便宜上この表現でいいだろ)の誕生日なので花束をつくってください」
花屋「お友だちは何色がすきなの?」
子ども時代の作者「…………赤?」
花屋のおばさん(いま思い返すとおねいさん)に訊かれてはじめて気付いたけど、おれ彼女が何色がすきかなんて質問したこともないし考えたこともなかった。「赤」って答えてからよく赤系の服を着ていた気が……いや、あれはランドセルの色だ。とっさに声は思い出せない。ひとりで早退する背中が1番見覚えのある姿だったからランドセルの赤色がイメージカラーなんだとわかった。赤色、べつにすきじゃないかもしれない。でも今さら間に合わないからまあいいや(適当)。今度チャンスがあったら質問しよう。
今から考えると慢性的に鼻炎だったんだから植物アレルギーの可能性とか考慮してプレゼントは用意しろよ、とはおもうんだけど、いまでもアホだけどもっとアホだった作者の子どものころの記憶なので時効だ。忘れていただきたい。
そんな感じでご自宅に到着したので主役に花束を手渡した。
花をつぶさないように、そっと受け取ってくれた。
それだけである。
会話を交わしたおぼえはない。喜んだのか、迷惑だったのか、それ以外だったのか知らないし尋ねもしなかった。ただ、友達でもなんでもないおれが曖昧に用意した高価でも豪華でもない花束を、丁寧に触ってくれたことが嬉しかったんだとおもう。本人の意志と関係なく難儀な指先で「そっと触れる」動作を努力してやってくれたんだと判断した。
彼女は法令用語では「知的障害」に分類されてたのだろうか? 子ども時代の作者の考えではたしかに知性はあったけど。べつにアンケートとったわけじゃないけど同級生からは「特別に体の弱い」クラスメイトだと認識されてた気がする。ただ悪い意味で特別扱いされてなかったのはあくまでも本人の人柄によるのかもしれない。

彼女が参加できない学校行事はいろいろあったけど運動会には参加してた。ある年度に「クラス対抗リレー」とゆう競技種目があってクラス全員50mずつとか短距離のバトンをつないで走り勝敗を決めるものだ。大会前から「うちのクラスは○○ちゃんがいるから勝てない」と言うやつがいたりして、作者は「うっぜぇ、死ねばいいのに。やんなくていいなら運動会自体、教育システム自体停止してくれよ。ペッ!」とおもったので発言した。
「彼女は全力で走って~秒だ。となりのクラスでは△△と□□の足が遅いはず、足が速いのは●●と××と☆☆(それぞれ名前)あたりだろう。(となりのクラスの情報はないがこちらのクラス全員分の計測タイム一覧を見ながら)平均タイムは~秒で全員走った場合~秒かかる。ほかのクラスのタイムを速くても~秒と仮定すると現状タイムより全員0.2秒ずつ速く走れば高確率で勝てるはずだ」
「またキチガイが無茶なこと言い始めたぞ」みたいなシラケた顔をされたため「できない? じゃあ、おれはいまより0.4秒速く走る。おれより足の速いやつも全員0.4秒ずつ速く走れば優勝は確実だ」一覧表の横に目標タイムをかってに書き込んでやった。
※グズグズ狼狽えてるあいだに要求を増やすのは詐欺師の常套手段です。みんな騙されちゃダメ! ぜったい☆
一種の累進課税制度である。せっかく足の速いやつがもっと速く走ればいい。べつに「全員~秒以内」みたいな短期間に実現不可能な目標でもなければ報酬(ちょっと足速くなる+クラス優勝)は全員に分配されるものである。だれにデメリットがあるとゆうのか。足の速いやつはなんのために速いんだよ、こんなときに速く走らないでいつ走るんだよ、死んでからか? ぺっ! とゆう態度でいけしゃあしゃあと発言するもんだから作者は「キチガイ」だったんでしょうな。でもおれは少なくとも「○○ちゃんがクラスにいるせいで敗けた」なんて因果関係をはきちがえた発言をつぶす分ぐらい速く走るつもりだった。さらに、運動苦手なやつに強要しても逆効果だろうから足の速さに自信のあるやつらをおだててそそのかせば、最低でも他クラスと互角の勝負にはなるだろうと踏んだ。気に入らないんだ、慢性的な病気と体が思い通りに動かないだけでも苦痛だと予想できるのにこのうえ外部から苦痛を増やしてだれにメリットがあるとゆうのか。
勝敗の結果はおぼえていない。

そもそも言葉は嘘吐きだ。沈黙の選択肢が残っている限り、発言者がいかに努力しても言葉が100%真実になる日なんて永久に来ない。割合や程度の問題でしかないはずだ。そういう点では非言語的コミュニケーションは信用度においても迅速性においても便利だ。意思の疎通が目的なら会話の出来不出来・文字の使用不使用などいたって些細なこと。「知的障害がない」という自覚があるのなら工夫や配慮はその受け取り手がやればいい。できない? おまえ、なんのための知能なんだよ。ぺっ!



そういう考えを持つ作者が、神奈川県相模原市で先月起きた殺傷事件の加害者の供述や経緯の報道を聴いて最初におもったのは「なに言ってんだ、こいつ。速く走れるやつが速く走ればいい。まるで全員一様のスピードで走らなきゃいけないなんて吹き込んでバカじゃねぇの?」とゆうことだ。助詞や助動詞が1文字ちがうだけでニュアンス変わっちゃうからあんまり報道を鵜呑みにするのもキケンだけども、ただ加害者の供述を「差別」「冒涜」として報じる報道関係者もえらく信心深いもんだと感じる。

違和感①加害者の供述をまとめると「殺してあげた」
どこかの国の小説に「センチメンタルな人間はプレゼントの選び方が下手くそだ」とゆう一文があった。恩着せがましくも「殺してあげた」=喜んでもらえると考えてた節がある。これは「冒涜」ではなくてセンチメンタルのほうじゃないの?
「差別や偏見は、教育や仕事や生活などを奪うだけのものでなく、障害者の場合、簡単に自分の身体の一部をとられたり、優生保護法のもとで殺されたりするのです。/Nさん(重度女性障害者)は仕方なく、山奥の施設という箱のなかで生きていくことになり、2年以上が過ぎました。(中略)途中に豚小屋があったのですが、その豚小屋の方が駅や人家に近いなあという恐ろしさと怒りを感じて(中略)本当に隔離・選別の施設の姿でした。(中略)太ったら介護がしんどいということで、ご飯はほんの少ししか食べさせてもらえないし、トイレも何時までにしなさいとかいわれるそうです。そして、ある寮母さんからは、家に帰るとき「あれ、ないようにしといでや。今度もどるときまでに。K子ちゃんはええ子やから、このあいだ摘ってきやったのに、あんたはあほやなあ」と、子宮を摘ることがまるであたりまえのように強制されるそうです。」(リブとフェミニズム (新編 日本のフェミニズム 1)岸田美智子(1953~)障害者フェミニズム「子宮とのつきあい」)
初出は70年代の原稿だっただろうか(不詳)。障害者施設の職員が生理介護をしたくないという理由で子宮を摘出するようくりかえし強要した話である。これを「差別」と断じるのは早計だ。これは「怠慢」のほうじゃないの? 仕事したくない、働きたくない、でも金はほしい。そのために臓器の摘出を強要する。そんなに楽して儲けたいならおまえがまず死ね、と殴っていい案件だ。ひとりでかってに楽をしてその分の貧困と孤独に甘んじるのは一定の合理性がある。楽はしたいけど報酬はほしい、なら非合理的だ。
アドルフ・ヒトラーまで時代をさかのぼる必要なんてない。そこらじゅう楽して儲けたい=「怠慢」だらけだ。ただ加害者が「殺してあげるべきだ」との誤信を強めた原因が、あるいは前述したような種類の人権侵害が2016年現在の施設内であったんじゃないかとゆう疑念は消えない。

違和感②加害者の徹底した「見捨てられ」っぷり
一般的にどこかの組員でもない友人が脱法でも合法でも違法でも麻薬にかかわってたら「犯罪だからじゃない、おまえが死んじゃうからやめろ」って止めないか? 余談だけど刺青もピアスも結局のところ身体に傷をつけて異物(毒)をわざわざ入れてる=「負荷を増やしてる」わけだから生物的要因にしろ環境要因にしろ天寿=「遺伝的に自然に生きられたであろう年齢」より短命になると考えていい。ヤクザのみなさんは死にたいやつらなんだよ、マネしちゃダメ!
そして事後の「関係者」の話が事実なら粗末だ。加害者が麻薬に手を出したとわかっていたにもかかわらず家族・友人・知人・恋人・同僚などいかなる人間関係にあった者も止めなかった(もしかしたら止めたけど聴かなかっただけかもしれない)。わざわざ衆院議長公邸(警視庁管轄)まで出向いて問題(犯行予告って脅迫罪や威力業務妨害罪にならないんだね)を起こしても無視され、神奈川県警に移管されても無視され、施設で差別発言をして行政に措置入院させられてやっとかまわれたとおもいきや10日程度で医者にも無視されたのである(経緯は逆?)。
みんな、めんどくさかったんだろうな。でもここまで「見捨てられた者」もめずらしい。クラスで“面倒見のいい女の子”は“おせっかいなおばさん”になる。どういう集団でもかならず一定の割合で“ヒトを喜ばせたい”“世話好き”“おせっかい”みたいな行動様式のヒト(男女問わず)いるとおもうんだけど、ひとりもかかわらなかったんだろうか? めんどくさかったんだろうか? 家族・知人・同僚・政府・警察・行政・医療従事者(後半は業務)までまんべんなく見捨てられたのである。あからさまな猶予(兆候とゆうか犯行予告)をこんなに無視されたとは予想外だ。

だから、これは障害者差別でも優生保護思想でも人権侵害でも殺傷事件でもなく、ただの究極のかまってちゃんでは? 「駄駄」という単語を使うにはあまりにも凄惨な結果で息苦しいけど。加害者はいま(これまで無視された)警察と検察と報道関係者にかまってもらえて喜んでる。たまたま障害者施設で働いてたから「優生保護思想」を語ってるだけで、きっと高齢者施設なら高齢者を殺しただろうし、病院勤務なら患者を殺しただろうし、保育園や幼稚園なら乳幼児を殺しただろう。唯一の条件「じぶんより弱ければ」だれでもよかったのでは?

犯行動機に「大義」を語るなんてメンタルが脆い証左、「じぶんが悪事を働いてる」という事実に耐えられない程度のフヌケであることの告白だ。振り込め詐欺グループが「金を貯め込んでる年寄りから金をとって経済を活性化してやってる。じぶんたちはイイことをしてる」と言うのと理論は一緒である。そうやってロマンティックに誤魔化さないと現実に耐えられない精神状態なのだ。詐欺師が唯一やってはいけないことは、じぶんが嘘を吐いてる=これが嘘であることを忘れることだ。だから嘘を真だと思い込まないと動けないくらいの骨ナシなんか詐欺師になるべきじゃない。むしろまっとうな生活が向いてる。かまってちゃんも同じだ。ネットユーザーのヒトら、こんなフヌケを崇めたりして相当疲れてるんだよ。

仮説:「差別思想を持つ加害者が起こした戦後最悪の大量殺傷事件」とゆう解釈はまちがっている。しかも、この解釈は直接の被害者に加えて、間接的に大勢のひとを傷つけ現状を悪化させる可能性が高い。よって撤回を求める。少なくともこの事件にそんな大仰な思想は存在しない。

健康ヘイトスピーチ:病人が経済活動に貢献してないなんて数値で証明できないはずだ。風邪もひけない丈夫で声のデカいバカ(偏見)によって発生した迷惑と意地悪の数々を勘定してもらいたい。むしろ健康以外に有用性がないことを誤魔化したいのではないか。努力も苦労も苦痛もなく健康なのが当然だと思い上がってるバカ(偏見)たちはけっこう、いや、かなりウザいし様々な側面で経済活動を停滞させてきた。

「どうして私は泣いている人が好きなんだろう?」(ユキの日記―病める少女の20年笠原嘉みすず書房1978年)

作者は好き嫌い・偏見までは思想の自由の内側に分類してる。べつに嫌いでもいい。ただ、古代ローマ人たちが言うところの「恵まれし者の責務」さえ忘れなければいい。

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