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2016年10月29日 (土)

偽札をつくろう

樋口一葉(1872~1896年)がすきなので、五千円札(2004年以降)もすきである。
※紙幣の写真はなるべく小さくして斜線を入れるのがマナーだとおもってたんだけどほんとにこれでオッケーかどうかは自信ない。

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いま時分なら『十三夜』がぐっと来るよね☆          裏面の尾形光琳(1658~1716年)『燕子花図』もいいしね♪



でも、福沢諭吉(1835~1901年)と野口英世(1876~1928年)と、、、さいきん見かけないけど二千円札はだれだっけ? は、特にすきじゃないので、一万円札と千円札と二千円札は作者の好みではない。
せっかくだから偽札(仮)をつくって作者好みにアレンジしよう。

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金融機関の窓口へ行ってきた

ご存知ないかたのために説明すると、両替は1回(枚数制限あり)までは手数料むりょう(金融機関による)。2003年以降製造が中止されてる二千円札にも「新札」項目があったので在庫があるのかとおもいきや「旧札でもいいか?」と訊かれた。がっかり。どこかしらの店舗には新札の在庫があるのかもしれない(13年も保管してたらネズミにかじられちゃうかしら)。
そうゆうわけで画像の二千円札は旧札、ほかは新札です(たぶん)。

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2004年から千円札は野口英世(1876~1928年)           裏面の山梨側から見た逆さ富士はすき

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2000年に初登場した二千円札は沖縄・守礼門だったらしい    裏面は紫式部が「家政婦は見た!」ポーズ(ちがう)

ちなみに紫式部姐さんは『源氏物語』を著したために地獄におちたとゆう噂がある。

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「大蔵省印刷局」ってなに?

2003年4月に独立行政法人・国立印刷局に組織変更したためだった(製造元はいっしょ)。
はじめてしげしげと見たけど、桜と野菊(?)の可憐なタッチとか、装飾モチーフの定番であるアカンサスで縁取られていたりとか、色使いとか二千円札(とくに表側)きれいだなー、とおもった。

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2004年からも一万円札は福沢諭吉(1835~1901年)     裏面は京都・平等院の鳳凰(威厳はあるけど可愛げない)


しげしげしたところでアレンジ製作☆開始

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無印良品「貼ったまま読める透明付箋紙」                    紙幣に重ねて人物画の輪郭をなぞる

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上から福沢諭吉シルエット、守礼門シルエット、野口英世シルエットです。

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透明付箋紙にカッターで切り込みを入れる            野口英世フレームが完成☆     

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この透明付箋紙パーツに作者好みの人物を描き込む


野望:つぎの人物画には日本が誇る最恐妖怪のお三方(ヒトじゃないけど)を推薦したい☆


①千円札には酒呑童子(しゅてんどうじ)


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ポイントは右手の杯と画下の「酒呑童子」文字              重ねてみるとこんなかんじ

ちなみに漫画家・萩尾望都さんばりの美少年な酒呑童子をイメージして描きました(※あくまでもイメージ)。


妖怪解説:平安時代中期、第66代一条天皇の在位(986~1011年)のころ、京都北西部・大江山に棲み、都を荒らした鬼の首領・酒呑童子とその一党が源頼光(948~1021年)ら武将によって退治された。その容姿は「/その後なまぐさき風吹きて、雷電稲妻しきりにして、前後を忘ずる其中に、色薄赤くせい高く、髪は禿にをし乱し、大格子の織物に紅の袴を着て、鐵杖を杖につき、邉をにらんで立つたりしは身の毛もよだつばかりなり。」

ここからちょうホラーになりますが“酒呑”とゆうからには杯には酒(アルコール)が入ってるんだろうとお思いでしょう? ぶー、ちがいます!
「/愛ひして置きてその後は、身の内よりも血をしぼり、酒と名づけて血をば呑み、肴と名づけてしゝむらを、そぎ食はるゝ悲しみを側にて見るもあはれなり。」とゆう都からさらわれたお姫様のセリフにより、杯の中身は生血! コワいがな。さすが鬼=食人性。なのでこの物語の主題は武将による鬼退治&囚われのお姫様(多数)救出劇です。

酒呑童子が生まれた背景:現実の居心地の悪さと過去への郷愁
なんでこんなキャラクター(フィクション)が生まれたのかなと考察するときに退治される直前の酒呑童子本人が語った来歴がヒントになる。大江山に棲んで京都でヒトさらいを始める前は比叡山(最澄が伝えた天台宗の総本山)にいたらしい。しかも追い出されたらしい。仏教が伝来し神仏習合する前の純粋な土着の先住の神さまがモチーフなんじゃないか(?)とは小松和彦さんの見解です。まあ、最後は退治されて「めでたしめでたし」なんだけどね。



②二千円札には玉藻前(たまものまえ)

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背景は後に封じられた那須野の殺生石&九尾              重ねてみるとしっくり☆

妖怪解説:かつて天竺(インド)の斑足王を惑わして千人の王の首を供えさせようとした塚の神、古代中国・殷の紂王をそそのかして殷を滅亡させた美女・妲己、日本の平安時代後期・鳥羽院の寵愛をいいことに皇位継承を策動して保元の乱(武家政権誕生のきっかけとなった歴史的政変)の原因を作った美福門院得子=玉藻前、がぜんぶ同一人物(ヒトじゃないけど)で800歳だか1000歳だかの妖狐の化身! とゆう気の長い物語です。

古典文学『封神演義』、藤崎竜さんの漫画『封神演義』、岡本綺堂翁『玉藻の前』どれもファンタジー好き(おれ含む)にはオススメだが、ファンタジー嫌いにはオススメじゃない。

玉藻前は絶世の美女にして四書五経に通じあらゆる故事来歴に詳しい才媛、もちろん歌詠みに長けていたとか。だが、その正体は白面金毛九尾の狐☆
ちなみに玉藻前のモデルと言われた美福門院得子(びふくもんいんとくこ)は公家・藤原長実の娘(1117~1160年)で近衛天皇(17歳で早世)のおかあさんです。

玉藻前が生まれた背景:男尊女卑
藤崎竜さんの漫画『封神演義』内で紂王が斬首される直前、「術が解けたいまでも、余は妲己のことを……」とゆう独白があるんだけど、岡本綺堂翁『玉藻の前』でも退治され那須野の殺生石になった玉藻前を追いかけて千枝松(※妖狐にのりうつられた本体・藻=みくずちゃんのおさななじみ)が「それはわしのあやまちじゃ、ゆるしてたもれ」と退治側に味方したことを謝って近づき喜んで死ぬ(※殺生石は近くの動植物・飛ぶ鳥さえ殺す石です♡)。まさかである。なんだ、このダメ男どもは。千年単位の年古る妖狐が「気持ち」なんて捧げられて喜ぶとでもおもってんのか。ぺっ。天竺で千人の王の首を供えさせようとした狐だぞ。尊大な上から目線の被愛妄想が覗く所有欲全開の犠牲者意識的依存体質なダメ男か! せっかくなのでもう一度言おう。ダメ男どもめ!
それはさておき、実在の美福門院得子に対して「女のくせに」四書五経に通じあらゆる故事来歴に詳しい才色兼備なのは「おかしい」=なにか反則を使ってるにちがいない=妖狐の化身だな!? とゆう男尊女卑および嫉妬の感情から生まれた妖怪か。たとえ藤原家(高位の公家)のお嬢さんでも教養があるのはおかしなことだったのかしら。

島根県仁多郡につたわる手まり歌
「うちの姉さんなぜママ食わんやら
腹に七月あの子が出来た
あれがもしもし男の子なら
寺へ上がらしょ学問さしょに
これがもしもしおなごの子なら
こもに包んで小縄でしめて
前の小川へそろりと投げる
上から烏がつつくやら
下からどじょうがつつくやら
つついた烏はどこへ行た
千国万国越えて行た」
出典・家と女性 —暮しの文化史—/日本民俗文化大系 (10)

そして殷の滅亡や保元の乱の原因を裁量権のある為政者本人ではなく美女たちに押しつけてる。あのね、じぶんの判断の責任くらいじぶんでとったらどうなんだ。最後にもう一度、ダメ男どもめ!


③一万円札には崇徳上皇(すとくじょうこう)


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ポイントは伸びきった爪&膝まで届くみだれ髪、鬼火、鳶の化鳥(手下・名前は相模) きゅうにおどろおどろしくなったな

妖怪解説:第75代崇徳天皇(1119~1164年・在位1123~1142年)は平安時代後期における歴史上のちょう重要人物であり、同時に死後は日本最強妖怪ちゅうの最恐妖怪「大魔王」「金色の大きな鳶に化生した天狗の首領」としてあらゆる厄災を引き起こした(※死後はフィクションとゆうか伝説)実在の天皇です。呼称は崇徳上皇・崇徳院・讃岐院など。


歴史としては1156年皇位継承をめぐって崇徳上皇(兄)サイド×後白河天皇(弟)サイドで争った「保元の乱」に敗れ、首謀者の罪人として讃岐に配流され帰京は叶わず没した。
伝説としては幽閉の8年のうち3年もかけて写経した五部大乗経を仁和寺の御室(覚性・崇徳&後白河の弟宮)に一首添えて奉納してくれるよう送った。
「浜千鳥跡はみやこにかよへども身は松山に音(ね)をのみぞ鳴く」←減刑してほしい帰京したい切なるお気持ち
が、信西(藤原家・後白河の側近)の口だしもあって(?)まさかの差し戻し! 崇徳タン、大ショック★
「(中略)今は後生菩提のために書きたる御経の置き所をだにも、許されざらんには、後生までの敵、ごさんなれ、我、願はくは、五部大乗経の大善根を、三悪道になげうつて、日本国の大悪魔とならむ」
その後はヒトに会わず髪も爪も切らず生きながら天狗の姿となってみずから指を切った血で写経に願文(呪い)を書いたらしい。ひきこもり+身なりにかまわず+自傷行為=精神疾患じゃない? 「罪人」として幽閉されたうえ一縷の望みを託した渾身の写経(同時に幽閉生活を律してた日課)まで無視されたら、そりゃ落ち込むわー。後白河サイドに重い精神障害を加えたかどで損害賠償を請求すべきだわー。追いこんじゃダメ☆ ぜったい☆ (※作者は後白河天皇の芸術面のミーハーっぷりを買っております)

死後、怨霊となった崇徳タンの姿は「見る見る一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる竜顔に、おどろの髪膝にかかるまで乱れ、白眼を吊りあげ、熱き嘘をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色のいたうすすびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の形、あさましくもおそろし。」
……もともと平安時代の貴人なので一髻(ひとつもとどり・ロングヘアのまとめ髪)だったとしても膝下まで髪伸ばすには10年くらいかかるとおもうんだけどな。うん、大天狗だからいっか。

ちなみに1868年創建の京都・飛鳥井の白峯神宮には第75代崇徳天皇だけでなく、「淡路の廃帝」として知られる第47代淳仁天皇も祀られているそうです。崇徳タンが8年ほど幽閉された挙句おそらく精神疾患になって45歳で亡くなった件も涙を誘うが、淳仁タンなんて32歳でおそらく暗殺されたうえに葬礼の記録もないなんて、よよよ。
そうゆうわけで『保元物語』は琵琶法師たちが歌いまくり、能『松山天狗』は能楽師たちが舞いまくり、人形浄瑠璃『崇徳院讃岐伝記』で太夫たちが語りまくり、歌川国芳がちょうオシャレな絵を描き、『雨月物語』ちゅうでは西行が崇徳タンのために歌を詠み金剛経で回向し、21世紀の白峯神宮が一般庶民に大人気☆☆☆ 、、、でも崇徳タンはまだ(852年間)怒ってるのかしら? それとも泣いてるのかしら? もう、おれがみんなに言ってやるよ。崇徳タンは無罪です! 後白河はお兄ちゃんにやり過ぎをちゃんと謝って! めっ!

崇徳上皇(大魔王)が生まれた背景:罪悪感と畏敬
崇徳タン存命ちゅうの平治の乱(1159年)をはじめ、京で疫病が流行すれば「崇徳上皇の怨霊」、災害は「崇徳上皇の怨霊」、後白河の側近が死すたびに「崇徳上皇の怨霊」、後白河本人が病気になっても「崇徳上皇の怨霊」、最終的に平家が瀬戸内海(讃岐から見える?)で安徳天皇(当時8歳)とともに滅亡したのも「崇徳上皇の呪い」とゆうことになった。なんでもかんでも崇徳タンのせいにして、どうかしてるぜ☆ と、作者なんぞはおもうけど仮にも天皇だったヒト、とゆうか正統に天皇だったヒトを流罪にした張本人や側近たちが罪悪感に怯えてた故かとおもう(菅原道真パターン)。
さらに、庶民たちからただの天狗ではなく「大天狗」とゆう扱いになったのは、キリスト教系の大魔王「ルシファー」が天界では最も輝ける大天使ルシフェル(堕天使)だったことと同パターンかとおもう。正の世界で最高位の者だけが負の世界の最高位にふさわしいのである。つまり、崇徳タンが長きにわたり魔物の最高位に座す理由は、日本においての最高位は天皇しかいないことの証明になってる(無意識の畏敬の裏返し)。

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日本最恐妖怪のお三方+樋口一葉……ちょっとアンバランスだった気もする


付記:「千円札裁判」は最高裁までもつれた末に有罪だったらしい
いま「超芸術トマソン」が再ブームちゅうの赤瀬川原平さんが、当時流通の千円札を美術作品モチーフにしたところ「通過模造取締法」違反でまさか立件された(1963~1970年)。え、「偽札」カテゴリじゃないじゃん。無実です!
「人間はふだん、町の必要なところしか見ていない。家の近所、勤め先の町にしても、まずは必要な所だけ見て通り過ぎる。でもカメラと歩くと、人は現代人から狩猟採集民にさかのぼる。(中略)散歩狩猟民の目に返る。人間が嫌いなのではない。人間の正面よりも、その裏側が面白いのだ。人間につながる、その気配、人が去った椅子、人が脱いだ靴、人が使った道具、そんなところにかんじられる漠然とした人間の方が面白い。」


赤瀬川原平著(遺稿)『世の中は偶然に満ちている』序章より


まとめ:崇徳タンを短文で説明するのはムリ


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表面が崇徳院なら裏面はもちろん「瀬をはやみ岩にせかるる瀧川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」

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