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2016年11月 6日 (日)

八木重吉展@町田市民文学館

『八木重吉―さいわいの詩人(うたびと)―展』を観に、東京・町田市民文学館へ行ってきました。
ご存じない方のために説明すると、八木重吉(1898~1927年)さんは町田市の農家に生まれ英語教員をしながら詩作し、生前1冊の詩集を出版し大正詩壇で高く評価されつつも活躍する暇もなく結核を患い29歳で亡くなった詩人です。いまも町田市北西部の先端(相原町の大戸・草戸山や城山湖やむしろ高尾山に近い)に位置する生家の蔵・八木重吉記念館(私設のため要予約・2016年8月~2017年3月まで休館ちゅう)にゆかりの品々が大切に保管されているそうです(作者は未訪問)。文学界や詩好きなヒトのあいだでは「八木重吉がいちばん好き☆」とゆう方を見聞きすることがあり、人気あるな、と感じる。ただ詩に親しむヒトとゆうのがそもそもかなり限定されたエリアだとおもう。一般的には「早世の詩人」として中原中也(1907~1937年)、立原道造(1914~1939年)、八木重吉(1898~1927年)の名が挙がるだろうか(そもそも一般的に詩とか読まないかな)。

ちなみに作者が八木重吉(やぎじゅうきち・1898~1927年)と聴いてすぐ思い浮かんだ詩は、
「つりばりぞ そらよりたれつ
まぼろしの こがねのうをら
さみしさに
さみしさに
そのはりをのみ。」
『聖三稜玻璃』いのり/山村暮鳥

……ん? ちがった。これは山村暮鳥(やまむらぼちょう・1884~1924年)の作品だ。わわ、えっと、重吉さんの詩は(記憶を検索ちゅう)……、

「すこし死ねば
すこしうつくしい
たくさん死ねば
せかいは
たくさんうつくしい
あまりにも 人のこころが
みえすいたようでくるしい」
『詩稿』ことば/八木重吉

こっち! ラウドサイレンスのパンクさ(?)が重吉さんの詩の特徴です(たぶん)。
ふたりともキリスト教の信仰篤かった共通項で記憶ちがいした、とゆうわけではなく、単におれが同時期にそれぞれの詩集をはじめて読んだためである(どちらも好きです)。脳内でのまちがいだけど、一途な山村暮鳥ファン&八木重吉ファンのみなさまにお詫びします。ごめん。

1
町田駅から徒歩10分くらいに位置する町田市民文学館外観

3
一般400円

5
階段の踊り場にもう重吉さんが……!

展示室は2階のワンフロア。
「私は、友が無くては耐えられぬのです。しかし、私にはありません。
この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。」
生前唯一の詩集『秋の瞳』の有名な(?)序も大きな文字で見るとまた印象が変わる。
まず重吉さんの生地である大戸(現・町田市相原町)のいまの風景を写した写真がバーンと展示。いいかんじである。そこから子どものころのお写真(兄姉弟妹・5人兄弟の真ん中だったらしい)や学校でのお写真など、明治のおわり~大正~昭和初期を生きたヒトとは思えないくらい写真が豊富で驚く。村でも裕福な農家であったらしい。「音楽と美術を除く学科はすべて80点以上、とくに英語に秀でていた」みたいな記録があったので「音楽と美術は苦手だったのか~」とおもいきや、中学生のころ(?)の課題でテンジクネズミ(たぶん)とニホンリス(たぶん)のスケッチが壁掛けしてあって、、、「うまいやんけ」とおもった。

集めてた絵(印刷物)にデューラーなどもあったし絵描くの好きだったようである

それにしても流れるようなクセ字である。読みづらい。英語も流れるような筆記体である。読みづらい。のちに結婚する妻・とみさんは人づての紹介により女学院の編入試験受験のために1週間だけ家庭教師を務めた相手の方で、とみさんは無事合格し、じぶんは兵庫(御影)に赴任したんだけど恋煩いになってしまった重吉さんが送りまくったお手紙も展示されてた。冒頭は毎回「返事をくれない君へ」みたいな、とみさんが肋膜炎にかかったときには1日に2通届いたとか。恋煩いすぎ……、いや結核をはじめ「不治の病」が多かった時代背景を考えるとそうそう悠長なことも言ってられなかったし、16歳のとみさんにほかの男から求婚があったら、、、と考えるとやっぱり悠長なことは言ってられなかったのはしかたない? うーむ。作者なんぞは「わー、純粋さは作品にはいいけど、実生活としては七面倒くさいわー」と失礼なことをおもっちゃうんだけど、のちの妻・とみさんはそうは思わなかった。
「八木がひそかに書きつけていたこの日記の切迫した言葉を読みながら、私は胸が痛く苦しくなってくる。これほどの激しい純粋な愛を、本当に半分でも知っていなかった私は、稚なかったとはいえ、申し訳けなかったというおもいと、これほどまでに愛された女の幸せがこもごもに複雑に湧いてくる。」


とみさん著『琴はしずかに―八木重吉の妻として』より

……素直! いいヒト。天使きた☆ 結果的に、重吉さんが東京高等師範学校時代の先生に思いつめた手紙を送り、その先生の仲立ちと父親が亡くなって預けられていた兄夫婦宅の兄嫁の急死とゆう不幸が重なって女学院を中途退学したとみさんとめでたく結婚した。長女・桃ちゃん1歳の記念写真を見ると、とみさんはとても10代(19歳)とはおもえない穏やかな表情をした可憐な美人である。
重吉さんと愛児2人ともが結核で亡くなり、戦争による本土空襲が激しくなってもとみさんがバスケットに入れて大切に守ったとゆう未発表の詩稿のかずかずはのちに詩集になった。重吉さんは確かに運命のヒトと結婚して、愛する妻子をのこして病に苦しみ夭折したとはいえ、確かに幸せに暮らしたんだなとおもった。
「(中略)まことにとるに足らぬ私であるが、八木重吉の妻というだけで、詩集をお読み下さった患者さんや職員の皆さんが、これほどまでに親切にして下さる。私はこのときつくづくと、八木の遺した言葉に守られて、これまで生きつづけることができたのだと、詩人の妻としての幸せをしみじみとかみしめたのである。」前出『琴はしずかに―八木重吉の妻として』より
重吉さんが亡くなったあとも魔法はつづいたし、いまも魔法は続いてるのである。
ちなみに出版する前のたくさんの自家製手づくり詩集は赤やピンクやフチにラインの入った愛くるしいリボンでつづられてる。大正時代にこんなリボン売ってたのか。さすがに古くなって経年変化してることも含めてなにかこみ上げるものがあった。
それから長男・陽二くんが自転車に乗ってる写真の快活な笑顔もよかった。

7
フライヤー右上にも掲載されてた

「人を殺すような詩はないか
息吹き返させる詩はないか」



まだつづきはあるけどこの詩が書かれたページ、絶筆だったらしい。
重吉さんは「美しい」と愛した秋の10月26日に亡くなった。命日は「茶の花忌」と呼ばれる。

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