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2020年9月 4日 (金)

ホモ・サピエンスしかいない

「人種差別」とゆう単語の使い方がまちがってる。
ホミニンはホモ・ネアンデルターレンシス、ホモ・ルーデンス、ホモ・エレクトスなど少なくともホモ属11種、アウストラロピテクス属9種はいたっぽいけど(研究中・諸説あり)、現時点で地球に生息してるのはホモ・サピエンス(現生人類)1種類のみである(諸説なし)。ぜんいんホモ・サピエンス同士なので人種差別するの不可能。黒人ゆってるの「形態差別」もしくは「皮膚色差別」だし、アジア人ゆってるの「出身地差別」もしくは「祖先の居住地差別」だし、日本で「外人」ゆってるのもひっくるめて「ルッキズム」と呼称したい。

生物学的にはぜんいんホモ・サピエンス(現生人類)で、形質カテゴリーとしてもぜんいんヒト型なのに「人種」。
例えばネコ型ホモ・サピエンスとか、イヌ型ホモ・サピエンスとか、ケープハイラックス型ホモ・サピエンスとか、セスジキノボリカンガルー型ホモ・サピエンスとか、ヒドラ型ホモ・サピエンスとか、プラナリア型ホモ・サピエンスとか、ウイルス型ホモ・サピエンスとかいない……いたら、おもしろかったのに。

ここで、本文を省略したまま注釈だけ長文抜粋したい。
「皮膚の色と気候に対する適応との関係は複雑であり、ここでダーウィンが述べているように、関係がないとあっさり片づけてしまうこともできない。太陽光線中に含まれる紫外線は、人体に対して二つの影響を及ぼす。一つは、がんの誘発などの悪い影響であり、もう一つはビタミンDの合成の促進である。地球上では、赤道近くに行くほど紫外線の照射量が多く、極地に近づくほど少なくなる。皮膚の色は、メラニン色素の量によって決まり、多いほど濃い色となる。メラニンは紫外線を遮断するはたらきをしている。赤道近くでは紫外線照射量が多いので、それを遮断して悪い影響を防ぐためにメラニン色素が多い方が有利となるが、極地に近づくにつれて、ビタミンDの十分な合成のためにメラニン色素を少なくした方が有利となる。しかし、皮膚の色の決定には大量の遺伝子が関係しており、また、遺伝的適応として固定しているかどうかは各集団の過去の地理的分布の歴史にもよるので、明確なことはわからない。また、ダーウィンがここにあげているように、数世代の間で皮膚の色に遺伝的変化が起こることはないが、それは、皮膚の色が気候に対する適応ではないという証拠とはならない。このような変化は、数万年の単位の時間を要するからである。ダーウィンの時代には、遺伝の基礎が知られておらず、生活の条件が変異を引き起こすと考えられていたので、このような記述があるのだろう」

長谷川眞理子訳ダーウィン『人間の進化と性淘汰Ⅰ』1871年(1999年)

(どこかで情報更新されてたら謝ります)すべての色も形も数万年単位の祖先たち、もっと言えば46億年もしくは137億年間の宇宙の膨大な紆余曲折の伝統の結実である。伝統至上主義の日本のみなさんは、すべてのホモ・サピエンス(現生人類)の形態を崇めたらいいとおもう。汎耽美的ルッキズム。

“分類学の父”カール・フォン・リンネ(1707~1778年、スウェーデン・生物学者)が、1758年『自然の体系』第10版において現生人類をホモ・サピエンスと分類した。262年も前に「1種類のみ☆」って生物学界隈はゆってるのに、いまだに伝わって(受け取られて)ないのはこれ如何に。当時としてはかなり画期的だったらしいけど、さらに白・黒・黄・赤とゆう皮膚の色でヒトを4つの亜種に分類したのが余計だった(当時までの知識・技術・センスではふつう)。
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ざっくりホモ・サピエンス学史

リンネが提唱した形態的分類は完全に衰退したけど、二名法はいまでも現役世界標準ぜよ、とゆうことを日本語・短文で説明してくれてるヒトいないかしら、とお探ししたところ、いらっしゃいました! 明仁タンである。
2007年5月29日ロンドン・リンネ協会での『リンネ生誕300年記念行事での基調講演(邦訳版)』が宮内庁HPに掲載されてた。

(後半より抜粋)「リンネが創始した二名法は世界の分類学に普遍的な基準を与え、世界の分類学者が共通の言葉をもって自然界に存在するものを語り合うことができるという、計り知れない恩恵をもたらし、その後の分類学は、この二名法を基盤として今日までその発展を続けてきました。始めにも述べましたように、その後の分類学の発展の中で、雄しべの数により綱を分けていくという彼の分類法は、雄しべのみでなく、もっと総合的特徴により、これを判断するという説にとって代わられました。この時代、まだ系統を分類の基盤に置くという発想がなかったことは当然のことで、ここリンネ協会においてダーウィン、ウォーレスの進化論が初めて世に問われ、系統という観念が、新たに学問の世界に取り入れられるようになったのは、リンネから約100年の後のことになります。」

なんてわかりやすい。そして、ウォレス☆ 世間的には“ダーウィンの進化論”ってことになってるけど、“ウォレスの進化論”でもある。なにしろ同時にリンネ協会で発表された(内容も骨子①枝分かれシステム、②非目的性はおなじ)。
アルフレッド・ラッセル・ウォレス(1823~1913年、英国・博物学者):東南アジア島嶼部とオセアニアの間にある動植物相の分布境界線「ウォレス線」のご本人

上図「ざっくりホモ・サピエンス学史」でいえば、ターニングポイントはマルサス(1766~1834年、英国・経済学者)になるだろうか。生物学界隈じゃない。大ヒットした『人口論』1798年において、過剰繁殖・種内競争・優勝劣敗を論じた……ってことになってるけど、ニュアンスちがわないか、とおもう。
「人生の悲しみと苦しみも、人間の成長にとっては刺激になる。悲しみや苦しみは、それぞれの人の心に染みこんでいって、その人にやさしさや人間らしさをもたらし、社会問題に共感できる力を目覚めさせ、キリスト教徒としての道徳心を育み、慈善のために努力する心のゆとりを生じさせるために、なくてはならないものだと思う。みんながそろって裕福になるのが普通になってしまうと、各人の人格は向上せず、むしろ堕落する。人生の悲哀を知らぬまま育った人は、同胞の苦しみも喜びも欲望も願望も、自分の心で生々しく感じ取ることができないだろう。そういう人から、やさしさとか親しみやすさなどの、あたたかい同胞愛があふれ出てくることはめったにない。どんなに高度の才能をもつことよりも、そうした思いやりの心をもつことこそが、人間性を高貴にするのである。」

斉藤悦則訳マルサス『人口論』

禁欲的で生真面目な牧師=マルサス(初版は匿名)が、放埓で無責任でだらしないヒトたちに「もう! おまえら貧困の苦しみぐらい味わって心を入れ替えやがれ!」とキレ気味で書いたことを、冷酷と解釈されたっぽい。厳格と言ってもらいたい。そしてマルクス主義者(社会主義)から「資本主義者は弱者にあんな冷酷なんすよ」と攻撃対象として利用された(たぶん)。
だれかに似てる、、、と考えて宮沢賢治ぴょんの遺稿に近いかしら。潔癖すぎて自己軽視的で懲罰的な発言が頻出する。暗い。でも、極度に生真面目。序文「私が社会の改善にとっての難点と考えることがらについて、有能な方々の注意をひくことに成功し、そしてその結果、たとえ理論的にでも、そうした難点が除去できるとわかったならば、私は喜んで現在の見解を撤回するし、自分のほうが間違っていたのだと確信できてうれしく思うだろう。」

あと、ダーウィンの自然淘汰理論を「弱肉強食の法則」とか言ってるのは、日本語に変換するときに失敗しただけだとおもってたんだけど日本語圏だけじゃなく、英語圏の心理学者も誤解してるもよう。

「ダーウィンが1859年に『種の起源』を出版して以来、人間をふくむすべての生き物は自然淘汰の法則にしたがって進化したと、科学的に理論づけることが多くなった。『弱肉強食の法則』とも言い換えられるこの法則によると、生存と再生が維持される性質(独自の遺伝子構成が存在するか)が、種の中で残っていく傾向がある」

木村博江訳マーサ・スタウト『良心をもたない人たち』2005年

……ダーウィン先輩、弱肉強食なんてつまんないハナシしてないとおもうんだけどな。この弱肉強食勘違いが発見されるたびに「それはスペンサーの適者生存との混同だろ」指摘がされる。しかし、スペンサー先輩もまたニュアンスちがわないか、とおもう。

ハーバート・スペンサー(1820~1903年、英国・社会学者)もやっぱり生物学界隈じゃない。ラマルクの進化論を拡大解釈して宇宙のあらゆる物事が進化するとした社会進化論思想は、世界中で大ヒット☆ リバタリアンなら必読のリバタリアニズム(日本語だと完全自由主義)を代表する思想家。
「究極の人間(the ultimate man)とは、自分の要求と社会の要求を一致させた人のことを言うのだろう。その人は、自らの個性を自発的に達成していく中で、結果的に社会の単位としての機能を果たしているのだろう。」『社会学原理』1876~96年

森村進訳『ハーバート・スペンサーコレクション』←作者は未読です

結局のところ、だれも弱肉強食・優勝劣敗なんてつまんないハナシしてない。「きちんと真理を探究したい」「社会をよりよくしたい」とゆう粘着質の志と熱意、おせっかいな親切心にあふれてる(たぶん)。正確さを期して長々と書いちゃう真理を愛する書き手と、一行も読まずにラクしたい読み手との温度差が生み出したロスト・イン・トランスレーションの結果、こんなことになっちゃったのかな、とおもう。


つづいて、情報汚染について説明したい。

今西錦司(1902~1992年、日本・生態学者)は1970年代前半の日本で“今西進化論”として大ヒット☆ 「彼の言説によって反ダーウィンを唱えることが一種のファッションであった」(渡辺政隆訳『種の起源㊦』訳者あとがきより)そうだ。70年代ファッション☆
『生物の世界』1941年は「この小著を、私は科学論文あるいは科学書のつもりで書いたのではない」と序文で書いてるとはいえ、おれには意味不明だった。「一つのもの」「一つの世界」「一方」「唯一の」「一般論」「一応」「一定」「一面」「一つの結合体」「一表現」……、1ばかし。このヒト、2以上の数値が数えられなかったのかしら? ?????
「決定にして未決定」「自由にして自由ならざるもの」「なにか偶然にして偶然ならざるもの」「いわば目的なき目的」「自己完結物のしからしめた完結」……、撞着語まみれ。撞着語法はレトリック(修辞技法)のなかでは人目や興味をひくための表現と認識されてる。多用するとヤバいひと認定されるやつ。デマゴーグかしら? ??????????
さらに43年経て『自然学の提唱』1984年でも、意味不明だった。
「(中略)こうなったらダーウィニズムは生物学上の一セオリーというよりも、むしろ一つの神話として取りあげたほうがよいのかもしれない。要約。創生の神話に依拠する今西進化論は、歴史のすすむ方向にたいして、前向きの進化論であり、ダーウィニズムは歴史の方向にたいして、後向きの進化論である。ダーウィンも今西も進化は分化であるという点では一致しながら、ダーウィンは競争と選択に走り、今西は棲み分けをとった。どちらが正しいかは検証できない。この二つは二つのちがった進化論として、認めてゆきたいものである。」

『生物の世界』1941年/『自然学の提唱』1984年

時代背景でなく英語が読めなかったのかな、とおもう。そもそも日本語の読み取り能力も低かったのかも。スキルがAI読みでも展望論文書けなくても博士とれる。

ダーウィン先輩に対する最も有名な情報汚染は、レオン・メギンソン(1921~2010年、米国・経営学者)によるものだ。
1963年に読書感想として「It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.(生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。)」とゆうようなことを発表したのが独り歩きしたらしい。そもそも著作内にも生前の発言にも存在しなかったし、因果律があべこべなのが致命的だ。どうりで探しても見当たらないわけだ。2020年4月の記事⇒靴底ルート

ダーウィン先輩の未来予想はこんなかんじだったはずである。
「すべての生物は特別に創造されたものではなく、シルル紀最古の地層が堆積するはるか前に生きていた少数の生物の直系の子孫であると考えるほうが、生物がより高貴な存在に思えてくるような気がするのだ。過去を振り返ってみる限り、今の姿をそのまま変えずに遠い未来まで子孫を残す現生種は一つもいないと推論してもよいだろう。現生種のうちで、何らかの種類の子孫をはるか遠い未来まで残せるのはごく少数だろう。なぜなら、すべての生物の分けられ方を見ると、個々の属のうちの大多数の種と、多くの属のすべての種は、子孫を残していないか完全に絶滅しているからだ。未来を予見して言えることがあるとすれば、最終的に繁栄して新しい優勢な種を生み出せるのは、大きくて優勢なグループに属し、個体数が多く分布も広い種だろう。」

渡辺政隆訳『種の起源(下)』1859年(2009年)

ほかにもホモ・サピエンス学における情報汚染は、ローレンツ汚染、ラシュトン汚染とかあるけど、日本ではあまり浸透(汚染)されてないので割愛したい。浸透、とゆう点では動物園である。

動物園では、キリン型動物のまわりにラマルキストがあふれてる。
大人たち「キリンさんは高いところの葉っぱが食べたくて、あんなに首を長く伸ばしたんだよ」と子どもどもに説明しがち。
……仮に美容整形したヒトが出産したら、手術前の形態が遺伝するとおもうのだけど。べつに、いいけど。
2018年の記事⇒アミメキリンとは

そして、サル型動物の展示場では新説が唱えられてる。
大人たち「ほら、○○ちゃんも昔はあんな姿だったんだよ」と子どもどもに説明しがち。
……、それは学史に元ネタないやつ。ホモ・サピエンス(現生人類)に現生生物ちゅう最も近い種のチンパンジーで、500万年~700万年前まで遡ってやっと共通祖先が見つかる。そこから折り返してからのチンパンジー先輩なので、こうゆうの親族関係では「祖先」とゆうより「いとこ」。ホモ・サピエンス(現生人類)の過去にサル(現生種タイプ)だった日なんてない(いまんとこ)。
動物園で観察(したくてしてるわけじゃないけど)してると、とくに男性がそんなことゆっておる。これは、少年マンガのせいじゃないかとおもう。どの作品ってことじゃなく、「ホモ・サピエンス(現生人類)はサル(現生種)から進化(進歩?)した」みたいな意識が底流してるような。蔑称として「サル」使うの、少年マンガでは見かけるけど少女マンガではめったにない。さらに少年マンガ特有の蔑称「脳筋」。おれは最初、外国語かとおもった。仮に神経組織が筋組織で構成されてたとしてなにか問題ある? 互換性ありそうじゃない?
サル<ヒト、頭が悪い<頭がいい、とゆうエビデンスのない固定観念ある。少年マンガ読者たちはよっぽど筋骨隆々な阿呆にいじめられてるか、運動できない青白きインテリが大多数、ってユーザー定義でいいんだろうか。そんなインテリ気取りたちにざんねんなお知らせである。ホモ・サピエンス(現生人類)より脳容量が大きく賢かったであろうホモ・ネアンデルターレンシスは約3万9000年前に絶滅しました。知性は生存戦略としては有効じゃないし、サルがヒトより劣ると信じてるのはヒトだけ。

生物系統的にドメインは3つ、①真正細菌(バクテリア)、②古細菌、③真核生物
さらに真核生物のスーパーグループ(上界・大系統群)は8つ、①アメーボゾア、②ハクロビア、③ストラメノパイル、④アルベオラータ、⑤リザリア、⑥アーケプラスチダ、⑦エクスカバータ、⑧オピストコンタ ※数字は順不同
ホモ・サピエンス(現生人類)は「尻尾を1本つけた細胞」のグループ⑧オピストコンタにカビ(菌類)と一緒に後生動物として入ってる。※分類なので諸説あり
ちっちゃい生き物ファンとしては「おれたち人類、特別いえっふー☆」信仰は、あきらめてもらいたいとおもってる。進化に頂点もくそもない。オピストコンタで一緒くた☆

さらにポケットモンスターである。架空の生物とはいえ、「進化」って単語の使い方まちがってる。同一個体なら成長・発達・発育・成熟・変化・変態・老化・老衰を選べばよかった。世代交代してるなら別の個体に入れ替わる必要がある。しんじゃった個体はどこへ行くのだろう。もしくはモンスターボール内で遺伝子操作・治療を行ってるとか。
ゲームボーイ用『ポケットモンスター赤・緑』(1996年発売)をプレイした作者はケーシィ、ゲンガ―、カラカラ、フリーザー、キュウコンが好きだった。ケーシィは2体ゲットしてから片方をユンゲラー⇒フーディンに進化させて、もう一方は「進化をとめる」=進化キャンセルでケーシィ・キープ☆ かわいかったから(偏愛)。進化キャンセルは自然界への挑戦状である。ただ、遺伝子が同一ならそもそも進化じゃないのがむねん。

コンテンツだからべつにいいだろ、と言われたらそうなんだけど、大ヒットして広くイメージに入りこんじゃってるから情報汚染と呼べる。
それにしても161年も前にダーウィン先輩&ウォレス先輩が丁寧に説明してくれたことすらちゃんと読み取らないまま、不老不死とまではいかなくても「寿命130歳」とか「デザイナーベビー」とかゲノム編集技術だけ現実になっちゃって、生物学界隈と世間一般との温度差ひどい。

エピゲノム編集技術で加齢に抗う研究をしてる米ソーク研究所のファン・カルロス・イズピスア・ベルモンテによる発言を引きたい。
「いまの私たちはダーウィンをもう必要としてない」
(2019年10月16日付け日本経済新聞より)

もうダーウィン先輩はいらないところまで情報は蓄積された。そうなるとホモ・サピエンス(現生人類)は人為的なゲノム編集が主要因で絶滅するか、この情報共有=汚染が主要因で絶滅するか、それとも両方か。「よかれ」とおもった条件は環境ルール変更でトレード・オフされて、致命傷になるのがいつものシナリオである。そうですよね、ダーウィン先輩。(ちがうかも)

まとめ:京都大学と少年マンガ出版社とポケットモンスターは生物学界隈とダーウィン&ウォレスに謝罪したらいいとおもう

補足:情報共有=情報汚染
日本音楽史上におけるCCCDの黒歴史をご存じだろうか。CCCDとはコピー・コントロール・コンパクト・ディスクのことで2002年~2004年頃に日本のレコード会社が正式に流通させた「不良品」である。PCの光学ドライブに入れると、超使い勝手の悪い専用メディアプレーヤー(コピー不可)で再生できるはずだったけど、ドライブ内で「ぶーん、ぶーん」と長らく異音を発した挙句、「ペッ」ってオノマトペ通りに吐き出される代物だった。たま~に再生できるってなんだよ。当時のおれはノートPC以外のオーディオ機器を所有してなかったので、わざわざポータブルCDプレーヤーを購入した(当時の価格で1万円弱)。それで一応再生できたけど、2004年以降に規格CDで再発売された時にタイトル買い直したのである。12曲収録アルバムCD3000円+プレーヤー1万円弱は捨てた。
これがリスナーに対するイヤガラセでなくてなんであろう。
そんなに大事なら人目に触れるところで販売したりせずに、耐火金庫に仕舞い込むか地下500mに埋めとけよ。と、いまでも思ってる。
情報共有と情報汚染はニアリーイコールではなくイコールだ。「情報汚染は一切されたくないけど、作品の情報共有だけしてほしい」なんて都合よくはいかないし、逆に「情報汚染してやりたいけど、情報共有されて作品が有名になるのはヤダ」とゆう悪意も実行不能である。情報ネットワークの結節点はヒトであって、モノではない。なんらかの情報や概念が広く浸透すると、必然的に発信者は謝罪先が増える。ただし情報拡散の量と方向性はコントロールできる類のものじゃないけど。


☆おめでとうございます☆
ガリレオ(伊1564~1642年)が言った通り「神は、宇宙という巨大な書物を数学という言葉でお書きになった」

ディズニー『ドナルドの算数マジック』1959年

ニュートン(英1642~1727年)「このような美しい体系は、英知と力を備えた神の考えと采配によって生じたものでしかありえない」

和田純夫『プリンキピアを読む』2009年

ダーウィン(英1809~1882年)「じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ」

渡辺政隆訳『種の起源』2009年

これら著名な3人に限らず、史上膨大な数の真理を愛する者どもが称賛し礼賛し絶賛しつづけた世界のなかに、いまみんないるわけである。おめでとうございます♪

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