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2021年2月20日 (土)

小林多喜二の命日

2月20日は小林多喜二(1903~1933年)の命日、多喜二忌である。
ただの没月日ではなく、虐殺された日だ。

きょうから88年前の1933年(昭和8年)2月20日19時45分、小林多喜二は治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕され、警視庁築地署内で3時間以上拷問され死亡した。享年29歳。
ごく一般的に見られるこの↑書き方だと、まるで「犯罪者を強く取り調べすぎてうっかり死亡させちゃいました、てへ☆」とゆう警察側の言い訳ニュアンスが含まれる気がして暗い気持ちになる。
100%弾圧で虐殺なのに。
多喜二の死体はこめかみに穴があき、歯が折れ、首に縄の痕が残り、喉ぼとけが折れ、両太ももが暗紫色に腫れあがり、睾丸が裂けてた。しかも警察は、多喜二の母セキに「心臓マヒ」と書いた死亡診断書を渡した。新聞にもそう報道されたらしい。んなわけねえだろ。しかし作家同盟のメンバーらが依頼した死因特定のための解剖を、帝国大学・慶応大学・慈恵医科大学病院は拒否してしまった。むねん。

事切れた多喜二の遺体のまわりを作家仲間らが腕組みして取り囲む有名な写真、なにかに似てると思ってたら、あれだ。映画『風の谷のナウシカ』で地面に横たわったナウシカを王蟲が取り囲んでるシーンだった。ナウシカとちがって多喜二が目覚めることはないけど。
⇒2015年2月20日付け四国新聞社「小林多喜二、虐殺後の写真発見/母ら悲嘆の様子伝える
文学好き界隈では多喜二ファンのほうがこの件について話さない、とゆうか話せない。口にするのもつらい。なので当時の無念を知りたいかたは、佐多稲子『二月二十日のあと』がおすすめです。短編のなかに佐多作品のよさも詰まってる。


佐多稲子全集第1巻初期作品(1977年)

どの面から見ても、犯罪者は多喜二ではなく特高警察のほうである。暴行罪・傷害罪・殺人罪・死体損壊罪・虚偽公文書作成罪、それに「裁判を受ける権利」を侵害してるので強要罪や公務員職権濫用罪にも当たるだろうか。
たしかに1925年(大正14年)に公布された治安維持法は「国体ヲ変革シ又は私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とゆう内容である。でも「共産党員なら好き勝手に殺してもオッケー☆」法律ではない。1928年6月には最高刑を死刑に引き上げ、1941年には国家の方針に従わないという理由だけで取り締まれるようになった。それでも「非国民っぽいやつらぜんぶ殺してオッケー☆」法律じゃない。
当時の警視庁特高部長・安倍源基、取り調べにあたった特高課長・毛利基、特高係長・中川成夫、警部・山県為三の4人こそテロリストで罪人だ。人殺しの法定刑は死刑か無期もしくは5年以上の懲役だ、自称警察の犯罪者に罰を科せ。
1925年4月~1945年10月GHQによる廃止まで、治安維持法を名目に数十万人が逮捕され、多喜二も含めて少なくとも1000人以上が獄死=殺された(どちらも推計、共産党員だけでなく宗教家や外国人留学生も犠牲に。1945年8月14日に都合の悪い記録書類を全国で一斉に燃やしたこともあって特定は困難)。

88年前に小林多喜二が虐殺された理由
①日本共産党員(反戦平和・国民主権主義)だったから
②完成度の高い文学作品を生みだしたから

最悪な理由である。特高警察が最も目の敵にしたのは『一九二八年三月十五日』だったけど、評価が高いのは『蟹工船』だろうとおもう。場面の切り取りが秀逸だ。映画をみてるよう。センスとしか言いようがない。それにプロパガンダの内容も反戦&労働者のストライキである。現代感覚で言えばふつうのこと言ってるだけ。
なにしろ「作品として不純」だと、プロレタリア文学を全否定してた志賀直哉(1883~1971年)が「『蟹工船』が中で一番念入ってよく書けてゐると思ひ、描写の生々と新しい点感心しました」と書簡を残してる。

「『おい地獄さ行ぐんだで!』」
「――内地では、何時までも、黙って『殺されていない』労働者が一かたまりに固って、資本家へ反抗している。然し『殖民地』の労働者は、そういう事情から完全に『遮断』されていた。/苦しくて、苦しくてたまらない。然し転んで歩けば歩く程、雪ダルマのように苦しみを身体に背負い込んだ。」
「薄暗く、ジメジメしている棚に立っていると、すぐモゾモゾと何十匹もの蚤が脛を這い上ってきた。終いには、自分の体の何処かが腐ってでもいないのか、と思った。蛆や蠅に取りつかれている腐爛した『死体』ではないか、そんな不気味さを感じた。」
「『殺されたくないものは来れ!』」

『蟹工船』1929年(青空文庫:『蟹工船』)

さいきんはじめて知ったけど(にぶい)、日本共産党に対して「名前変えろ」みたいのが定期的にくるらしい。え、なんで? 旧ソ連? ああ、プロレタリアート独裁を警戒? 行政統治って中身が勝負だとおもうんだけど、名前なの? 結党から99年経て党員たちが「もっといい名前なのでこっちに変えます」はアリだけど、党外の人間が言うの失礼だとおもう。それと同じくらい、共産党内で暴力的事件が起きるのも、非道な暴力で殺された多喜二らに失礼だとおもう。※最新の暴力事件は1952年なので69年たってる、ずっと起きてない

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多喜二が現在進行形で殺されつづけてるかんじ

志賀は多喜二の訃報に「一度きり会はぬが自分は小林よりよき印象をうけ好きなり、アンタンたる気持ちになる」と日記に書いた。これとか生前写真の繊細な雰囲気とかを合わせて、おれのなかで多喜二は爽やか好青年のイメージ、からの~、砂浜が似合う爽やか系イケメン☆ とゆうことになってる(作品から受けた勝手なイメージ)。
多喜二は人相がいい。こんな人相のよい青年を虐殺した特高警察は、さぞ醜悪な人相をしてたことだろう。特高警察化してる現役公安警察のみなさまにおかれましては、醜悪な人相が顔に貼りついてとれなくなる前に転職することを強くオススメします☆

多喜二は88年前に洗練された文学を生みだしたせいで、首の骨を折られて殺された。叫び声も上げられなかっただろう。
もうこれ以上、小林多喜二を殺さないでほしい。

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おれたちの爽やか系文学イケメン29歳になんてことを……!

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