2024年1月26日 (金)

チョコ難に遭った和菓子たち2024

もう6年も前の2月のことだ。「人権ならぬ和菓子権を無視されチョコレートを挟まされたり、チョコレートを詰めこまれたり、チョコレートまみれにされたり……おいたわしや! 和菓子! 災難ならぬチョコ難である。そんな悲劇の和菓子たち、おれが食べてあげよう」とおれは使命感に燃えてた。
2018年の記事⇒チョコ難に遭った和菓子たち
平成時代の記憶である。うっかりしてた。令和時代のいま、和菓子権はどうなってるのか。悲劇が継続ちゅうなら、おれが食べてあげよう。

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こんにちは、町田です☆

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町田名物ツインライナーことメルセデスベンツ・シターロかわい♡

そういうわけで小田急百貨店町田店の地下迷宮で悲劇の和菓子たちを救い出しました。

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別名・全国のおいしいスイーツお買い物マラソンは約10分で完走(なんて便利)

それにしても贈答用途が主なお客さんなせいか、みんなパッケージがおすてき♪


①禅師丸本舗“ちょこっこ”200円:ジャンルお饅頭〈チョコ難度1☆☆☆☆★〉
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コピーは「ころりとまるいチョコレート饅頭」干し柿っぽい皮はチョコよりココア風味が強く黄身餡と合わせても軽いのがおいしいチョコ難。
1個あたり126kcal、神奈川県川崎市麻生区で製造。

②銀座あけぼの“ちょこっと”540円:ジャンルおかき〈チョコ難度2☆☆☆★★〉
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アーモンドかカシューナッツにチョコを挟んだ甘じょっぱさがおいしいチョコ難。1口サイズで個包装なのも全方位贈答仕様☆
12個あたり216kcal、岐阜県岐阜市福あられ本舗製造。

ジャンルは以下の認識で作者が分類した。
おかき…もち米(サイズ大)
あられ…もち米(サイズ小)
おせんべい…うるち米
かりんとう…小麦粉と砂糖

③赤坂柿山“プチハートチョコレート”194円:ジャンルおせんべ〈チョコ難度3☆☆★★★〉
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千鳥柄のパッケージがかわい♡ まるっとコーティングで見た目よりもチョコの押しが強くおいしいチョコ難。
1袋あたり77.6kcal、富山県南砺市で製造。

④麻布かりんと“バレンタイン限定ショコラかりんと詰合せ”648円:ジャンルかりんとう〈チョコ難度4☆★★★★〉
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苺ショコラかりんと&ミルクショコラかりんと&ホワイトショコラかりんとの3袋が花柄パッケージにまとめられたセット。苺は苺風味が強いがそれぞれスパイスのごまとシナモンの香りがグー(`・ω・´)bでおいしいチョコ難。
1袋あたり265kcal、記載は販売者のみ。

⑤鎌倉五郎本店“鎌倉チョコサンドだょ”2P270円:ジャンルゴーフレットせんべい〈チョコ難度5★★★★★〉
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ふだんは半月だがチョコが入ると満月うさぎ印。ゴーフレットはフランス菓子では? というご意見には、作り手のグレープストーンが和菓子と言ってるので悲劇の和菓子認定とお答えする。けっこう歯応えのあるクランチチョコはココアビスケットとアーモンドビスケットと煎り大豆ミックスでしゃりしゃりを出した食感重視でおいしいチョコ難。
個装あたり75kcal、群馬県藤岡市藤五郎製造。

⑥和菓子村上“濃厚でなめらかなチョコ羊羹”145円2種&“加賀棒茶ショコラふくさ餅”253円:ジャンル羊羹〈チョコ難度6★★★★★★〉
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びっくりした。このビター、「羊羹どこ行った」「間違えて生チョコ買った?」というチョコ難度であった。なんと惜しげないチョコ難! でもカロリーは抹茶ショコラのがわずかに高いという。抹茶は「羊羹の抹茶ショコラ味◎」という安定感。ふくさ餅はほのかに加賀棒茶の香りがしてもちもちで控えめでおいしいチョコ難だった。
ビター151kcal、抹茶ショコラ153kcal、ふくさ餅198kcal、石川県金沢市で製造。


まとめ1:デパ地下でおいしいものが手に入る世界は風前の灯?
令和時代においては「百貨店の閉店ラッシュ」と「百貨店はオワコン説」が叫ばれてるらしい。インフラと物流は平和と安全の象徴であり、その凝縮型がデパート特にデパ地下だった。もちろんショッピングモールもアンテナショップも大型書店もレコード店も個人輸入店もセレクトショップもオンライン通販も平和の表現型である。ただデパ地下は物体としてぎゅうぎゅうなのだ。なんでぎゅうぎゅうなのかと言えばココが駅ビルだからである。ただそれだけである。徒歩電車バスだけで移動できる街がいいか、クルマ移動な街がいいか、というだけの話だ。スペースがないから高層建築になり「街のシンボル」とか呼ばれてただけで、クルマ社会だと店舗は横に広がるので画になりづらい=視覚イメージとしてシンボルとは認識されない、ということだ。建築物と記憶(行為および思い出)の間にネットワークが通ってるわけじゃない。それぞれ一長一短である。序列をつけなくていい。ただ今の内だろうな、とお買い物すればよい。

まとめ2:カカオポリフェノールが花粉症の症状を緩和するよの西洋医学VS糖分が多いチョコはアレルギー症状悪化するから避けろの東洋医学
2月にチョコレート商戦が展開されるのは花粉症大流行の関東エリアでは理にかなってると言えるかもしれない。東洋医学は真っ向から対立するご意見だが。まあどちらにしろ厳選して少しにしとけ、ということだ。

おまけ:チョコ難和菓子のおともに加賀棒茶。ふくさ餅と香りかぶりだったが。香りが飛んでしまうので開封後はやく飲み切りたいときは、ほうじ茶オレにしたりほうじ茶漬けにしたりしてもぐっ(`・ω・´)b。

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平和の象徴・成城石井でも取り扱ってて便利☆

BGMはBill Evans×Jim Hall『My Funny Valentine』
アンダーカレント

2023年9月24日 (日)

古都鎌倉の事件現場めぐり

古都鎌倉は歴史ファン耽溺の事件現場だらけである。手始めに鮮血の6か所をめぐりたい。


①鶴岡八幡宮の大石段(雪ノ下2‐1‐31):1219年1月27日(新暦2月13日)第3代源実朝暗殺
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崖に石段のある景色は鎌倉の原風景かもしれない                下から13段目あたり

雪が降るなか大銀杏の後ろに隠れてた公暁(頼家の次男)に下から数えて13段目あたりで斬首された、という伝説がある。伝説というか「隠れ銀杏」「13段目」は江戸時代の創作である。たぶん隠れられるほど事件当時は大木ではなかった。でも石段の上か下か不明だが殺されたのはきっと本当である。

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自祓い所の奥が残った親銀杏の根元、櫓奥が成長中の子銀杏            石段の上から舞殿越しのながめ

2010年3月に倒れたご神木は高さ30m、周囲6.8m、樹齢1000年超とも言われ神奈川県天然記念物だった。現在倒れた大木の一部は鎌倉文華館鶴岡ミュージアムのカフェ内に展示されてるそうだ。

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十六葉八重表菊紋の提灯にワカメ……! かわい♡               神紋の鶴丸紋

神饌の海菜(ワカメや昆布)が三方にのせられてるのは見おぼえあるけど、こんなふうに高張り提灯に1つずつ供えてるの初めて気がついた。ここだけ独特なのかおれが鈍かっただけだろうか。菊紋ということは参拝客の足元のためではなく祭神・第15代応神天皇≒八幡神のための道しるべである。お盆の門提灯のカテゴリーと認識してる。第10代崇神天皇から実在性が高いと言われてるので応神天皇も実在はしたんじゃないかな。ただ八幡神と同一視されるようになったのは後代とも。弓術の達人だったという伝説はあるが何故。八幡神はあまり輪郭がはっきりしない神様だが日本で最多7817社、2位は天照大神を祀る伊勢信仰系4425社、稲荷神社は主祭神2970社だが境内社も加えると軽く3万社超え。キツネ圧勝🦊 ここは神功皇后、比売神あわせて3柱が祀られてる。


②若宮大路幕府旧跡(雪ノ下1‐11):1236年第4代藤原頼経から第9代守邦親王の幕府滅亡までの将軍御所
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石碑がワカメかぶってるみたいでかわい♡                  路地入るだけで無人

源頼朝の自宅兼職場だったと考えられる1180年大倉幕府→1225年宇津宮辻子幕府→1236年若宮大路幕府→1333年新田軍鎌倉攻めによる鎌倉幕府滅亡まで。ピンポイントで事件現場というよりは、1213年和田合戦、1247年宝治合戦、1285年霜月騒動などの鎌倉市街戦が偲ばれる。


③北条高時腹切りやぐら(小町3‐11‐38):1333年5月22日(新暦7月4日)北条高時ら幕府方800人超自刃
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祇園山ハイキングコースの入口すぐ                 落石で立ち入り禁止

案内板に書いてあったので落石で入れないの知ってたけど、落石してなくても入れなかったかも。予想以上のガッサリもっさりであった。ハチ注意の張り紙もあるし。ここは心霊スポットとして有名らしく「わたし霊感強いから近づけない」とか言うひとが出るらしい。だいじょうぶ、ウソである。鎌倉・京都でメシ食えるやつに霊感なんかねえ。せっかくなのでもう1度言おう。鎌倉・京都で平気でメシ食えるやつは霊感ゼロ!
いま必要なのは勘違い霊媒師などではなく、登山靴と長袖長ズボンに虫除けスプレーなり。次回は装備して訪れたい。

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真昼でも薄暗さがすごい                   そういうわけでご近所迷惑の肝試しはやめれ

鎌倉幕府最後の執権となった第16代北条守時(赤橋守時、足利尊氏の義兄、在職1326~1333年)はここではなく、遡って5月18日新田軍との洲崎合戦で討ち死に、もしくは90人超で自刃したと伝わる。新田義貞軍に殺された武士たちと考えられる刀傷のある人骨は1953年以降由比ヶ浜~材木座から大量に出土した。そこらじゅう首だらけなり。


④鎌倉宮神苑(二階堂154):1335年7月23日(8月12日)大塔宮護良親王半年超土牢幽閉後暗殺
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白い鳥居                                 明治2年明治天皇勅命により創建

300m以上手前の岐れ道交差点から白い鳥居らしきものが見えるけどアレだろうか、と直進したらソレだった。ご祭神としての呼称は大塔宮護良親王だ。
HPには「足利尊氏の陰謀によって鎌倉二階堂に幽閉の御身となり」とあったけど、後醍醐帝以外にいないだろうと思ってる。孝明天皇の願いにより明治天皇が明治元年に第75代崇徳天皇(讃岐院、日本三大怨霊とも)を祀る白峯神宮を建てたのは「天皇が謀殺した天皇(上皇)」による祟りを畏れたからであって、別に明治天皇が上田秋成の『雨月物語』ファンだったわけでもないだろう。さらに第47代淳仁天皇(淡路の廃帝)も祀ったわけである。そして明治2年にココを創建したのは「天皇が謀殺した親王(天皇になるところだった)」を特に悼んで(畏れて)のことじゃないのか。明治天皇ご創建がかえって後醍醐帝による暗殺の意思を思わせる皮肉。

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広い、きれい、静か(だれもいない)……さいこうだ            酷暑で弱ってるぽい梅の古木

御手植えの梅「征夷大将軍護良親王の弟宮にあたる征西大将軍懐良親王御手植えの梅から実生したもので、九州八代から移植した」とあった。護良親王のほうが悲劇の皇子として有名だけど、懐良親王も十二分に苦労人である。わずか7、8歳で九州へ渡ったのである。ここ鎌倉で所縁のある梅に会えるとは嬉しい。

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爽やかな風が通る立派だが質素な社殿

向かって右側に1333年元弘の変における吉野山の戦いで親王の身代わりになって自刃した忠臣村上義光を祀った村上社、エリアは神苑内になるが向かって左側に幽閉時にも随行し斬首された首を持って山梨まで逃れたとも言われる愛妾南御方を祀った南方社が並ぶ。心尽くしな配置だ。社務所側から入れる奥の神苑(有料)に土牢がある。神苑は徳仁天皇のご成婚記念に造園したとあった。
1335年中先代の乱勃発時に、土牢の前で足利直義の命を受けた家臣淵辺義博(現在の相模原市淵野辺本町の境川段丘上に居館跡が伝わる)が斬首したとされる。しかし大塔宮「武家よりも君の恨めしく渡らせ給ふ」と言い残したという話もある。わずか二十歳で天台座主(宗教界トップ)・征夷大将軍(軍事トップ)、あと天皇践祚(行政トップ?)でフルコンプリートだと考えてたのだとしたら、理想主義の鬼である後醍醐帝は暗殺命令ぐらい出すよな、と思う(征夷大将軍解任して出家命令は出したが、処刑命令は出してない)。第60代醍醐天皇の時代の天皇親政を理想とするから第96代にして後醍醐を名乗ったわけである(2024年追記:注※自ら遺詔によって「後醍醐院」と追号したのであって、他天皇どうよう生前にお名前はないよ☆)。第72代白河院政ではダメなのだ。醍醐帝は清涼殿に落雷直撃して3ヵ月後に亡くなった例の方なんだが。ここ東光寺跡は足利邸の裏山と呼べる位置にある。すぐ殺害せず結果的に9ヵ月も幽閉した理由は陰謀ではなく困ってたんじゃ。足利兄弟のエピソードは直情径行スタイルで興味深い。当時「枯淡の美」が流行だったとはいえ、尊氏が詠んだ歌の寂寥感は抜群である。後醍醐帝もたかが阿野廉子に讒訴されたぐらいで盲目的に従うほどアホの子じゃないでしょう。
まあ、ぜんいんとっくの650年以上前にかくりよの住人になってるからいいんだけどさ。


⑤護良親王墓(二階堂748):理智光寺跡地
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やっぱり崖に石段                               お花が供えてあった

鎌倉宮から二階堂川を渡って黒塀のホテルの先に静かに保護されてた。住宅地の上に覆いかぶさるように崖地があったりして、多摩三浦丘陵を構成する地域だもんな、と思った。さっき首を持って山梨県まで逃げたと書いたけど、ここに理智光寺住職と南御方が遺体を埋葬したという話もある。

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2019年の台風によるがけ崩れで立ち入り禁止                蝶が3羽ずっと舞ってた

宮内庁の入札情報に落札記録があったので8月ちゅうに工事終わってそろそろ参拝できるかも、と期待して行ってみたけどまだでした。ご遥拝をすすめられた。日差しの強さと木陰の暗さがまぶしい景色と静けさがよかった。蚊に食われるのも気にせず(後でかゆかった)ながめてたら、クロアゲハとアサギマダラもしくはアカボシゴマダラ(特定外来生物のほう)とルリシジミらしき蝶がひらひらきれいだった。蝶は死者の化身あるいは現世のものではないと信じられてきた夢虫である。
万葉集4540首のうち蝶を詠んだ歌は1首も収録されていないらしい。歌人たちが詠むことそのものを忌避または禁じられてたのか単純に収録するわけにはいかなかったのか。ナミアゲハの幼虫を「常世虫」と呼び常世神として祀る新興宗教を奈良時代の朝廷がつぶしたことも関係あるかもしれない。
それにしても鎌倉住民の方々に予想以上に大塔宮がだいじにされてる気がしてよかった。


⑥足利公方邸旧跡(浄明寺4‐2‐25):足利義兼(1154頃~1199年、源頼朝の従兄弟)以来足利家が250年以上(室町時代以降は鎌倉公方)居住した館跡
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石碑が建てられてるだけである                      碑からの振り返った眺め

足利義兼による浄妙寺(アフタヌーンティーが食べられる!)と足利家時(尊氏の祖父)による足利&上杉の菩提寺・報国寺(竹林が大人気!)を通過した宅地の隅に建てられてる。ここあたり突然降ってわいたように観光客がたくさんいた。足利テーマパークと言っていい。石碑前にはおれしかいないけど。
当地で血まみれの事件が起きたわけじゃないけど、1349~1352年観応の擾乱、さらに1438年永享の乱あたりはここに端を発してる。

関幸彦先生が足利尊氏直義兄弟について書いてたことを思い出す。
「室町幕府初代将軍の尊氏と、その1歳下の弟、直義。幕府成立期のいわば社長と副社長だ。この二人を組み合わせたのは、人為的な『人事』ではない。しかしそれだけに、また兄弟ということを考えればなおさら、これほど性格・資質の対照的な二人を並べて歴史の重大局面を担わせた天の配剤には感心するしかない。」


遠山美都男・山本博文・関幸彦『人事の日本史』2005年

兄弟に加えて、「すべて朕のものだ」と願った後醍醐と「なにも欲しくない」と願った尊氏が京都と鎌倉にいたキャスティングはドラマティックだけど「天」と呼ばれる者の性格の悪さを感じる。
石碑をながめてたらトンビの甲高い地鳴きが聞こえた。木が多いせいかカラス多いと感じてたけど、あの海岸で観光客のランチをかっぱらってるトンビ集団の塒このあたりなのか。鳥フンたいへんそうだな……。


まとめ:歴史と崖と観光客と鳥と虫に圧迫されてなお死者に優しい古都

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鎌倉にオフシーズンなさそう

2023年8月27日 (日)

フンコロ騎士とスカラベ

軽い気持ちで始めたゲーム『Hollow Knight』が虫好き(おれ)の琴線に触れる内容だったので、事細かく説明して絶賛したい。

※この記事はインディーゲーム『Hollow Knight』のネタバレを多分に含みます。これからプレイ予定のかたは以下スクロールしないで、大冒険へ飛び出すことをおすすめします。


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フンコロ騎士とスカラベのマーカー


王家の水路は暗い。デザインも動きも突拍子もない奇妙なムシだらけで、おれの放浪者は満身創痍だった。急に材質が土っぽくなりムシの姿が消えた通路の奥で、最初に出会ったのは声である。
「キートス! キートス! パリヨン!」と聞こえてきたので、……なんかこの先にテンションの高いフィンランド人がいるっぽい、引き返そう。と引き返した。「Kiitos paljon.」どうもありがとうの意、空耳である。ついでに、純白の騎士はフェイント攻撃時に「おバカ~!」と言ってるようにしか聞こえないので日本人かもしれない。「なんかやばいやつがいる」それが彼の第一印象だ。

上層の一区画は、地面も壁も天井も凝縮されたフンでおおわれており、非常にユニークな光景(と強烈な臭い)を作り出している。こうしたフンは何者かが水路のあちこちから集めてきたもののようだ。
ーエリーナ記録・放浪者の日誌よりー

土っぽく見えたのはフンであり、しかもあちこちから集めてきたものらしい。現実のフンコロガシことタマオシコガネはゾウやウシなどの草食獣の獣糞を糞玉にして後肢で蹴って転がして運ぶ習性がある。日中は太陽の位置を記憶して方向を決め、夜間は太陽光と月光が地球の大気で散乱してできる偏光パターンや天の川を記憶して方角を確認するそうだ。天文ファンなムシである。
⇒2015年8月27日付けナショナルジオグラフィック『フンコロガシはなぜ空を見ながら糞を転がすのか』

現実の虫のなかで何をスカラベと呼ぶかは諸説あるが、コガネムシ全体をまとめてスカラベと呼ぶ場合もある。しかしコガネムシ科は少なくとも3万種存在し甲虫全体の10%を占めるが、みんながみんな糞を食べるわけじゃない。食糞性のコガネムシは糞虫と呼ばれる。
糞虫:糞を食べる甲虫目コガネムシ科の分類群。タマオシコガネの仲間は食糞性、同じコガネムシ科でもカブトムシやクワガタムシは食葉性。さらに食糞性グループのなかでも「トンネル屋」は糞を坑道に運びこむだけ、糞球を作って地表を転がす「転がし屋」と習性が異なる。みんながみんな糞を転がすわけじゃない。

そんな転がし屋を、古代エジプトでは糞玉を転がす姿を日輪に見立て太陽神ケペラ(存在に至る、の意)の化身=創造・復活・不死のシンボルとして崇拝した。
「とくに、ハヤブサの翼をあしらった”護符スカラベ”を身につけることは一般人にまで普及した。それは心臓の役をになうと考えられ、死者の心臓と置き換える儀式まであった。ミイラとともに出土する例が多いのもそのためである。また、スカラベはオスしかいないと信じられ、オス=武人の再生の象徴として、兵士たちにスカラベ型の指輪をはめることが流行した。そしてこの習俗は古代ローマの兵士にも伝承され、長い命脈を保った」
⇒JATAFF1995年研究ジャーナル18巻・11号梅谷献二虫の雑学『はるかなるスカラベ』より抜粋

現代生物学界隈では腐食連鎖系の一翼を担う超重要生物として線虫、原虫、ミミズ、ダニ同様崇められ……てはいないが、森林農業酪農分野で研究されてる。日本ではコガネムシの幼虫は昔から「根切り虫」(地表に近い茎を食害する夜蛾の幼虫も同名)と呼ばれ根の食害、成虫は葉の食害により害虫に分類されるけど。

フンコロ騎士がハロウネストで「心優しき勇気と名誉の神」なのは↑これらすべてを内包した結果であると思われる。腐食連鎖系のスター騎士。


フンコロ騎士について公式では以下のように説明される。

フンコロ騎士
王家の水路の中枢に暮らす、熟練の戦士。フンをかためた球体で侵入者を攻撃する。
戦いの目的などは、名誉のためでも忠義のためでも土くれのためでも、なんだってよいのだ。なにかを殺すなら、そいつは自分のために殺す。それが狩猟者というものだ。
ー狩猟者の書よりー
水路の一画を自分好みの戦い方とライフスタイルに合わせて変革した、奇妙な戦士。
自分が大切にする場所を守るために戦っており、その戦法と臭いの異常性はさておき、非常に強い心の持ち主である。
かれは戦いのスリルを楽しんでいるようね。
なんだかこっちにも元気が伝わってくる感じ!
―エリーナ記録・放浪者の日誌より―


≪フンコロ騎士と守護者の紋章が特別扱いすぎる理由について考察する≫

なにが特別って、戦って勝利しても彼方に飛んでいくだけで倒せないのである。しかも茶色のガスのようなものがボワボワするけどオレンジジェリーは散らばらない。首をひねりながら通行し、再び戻ってきたときに地面から顔を出された恐怖! 準備してないのに再戦か、と思いきや話せるようになっただけだった。ほっ。あと、戦闘中の『Dung Defender』は珠玉の1曲に思うΣ(・ω・ノ)ノ!

あれは完全にわたしのあやまちだった。きみをてっきり思考のない抜け殻連中の仲間だと勘違いしてしまったのだ。
ーフンコロ騎士ー

狩猟者の書を手に入れて最初に驚くのは、ああ、今まで問答無用でおれの放浪者が倒してたのは徘徊する死体=ムシゾンビだったのかー、ということだと思う。いや、それまでもスタグとクィレルが示唆してたような気もするけど、きっぱり「死体」と明言されるのはここが初じゃなかったかな。

ホウロウムシ
ムシの死体が不可思議な力によって復活したもの。かつて自分が暮らしていた場所を徘徊している。
いわゆるハロウネストの”文明化した”ムシのなれの果てだ。生きているときから軟弱だったが、それは死んだ今も変わらない。やつらを土に還してやれ!
ー狩猟者の書よりー
タイショウムシ
ムシの死体が不可思議な力によって復活したもの。汚染されていない者を見つけると、積極的に攻撃する。
こうした歩く屍の体内は濃いオレンジ色の霧で満ちており、そいつは甘くて不快なにおいがする。あれはろくなものじゃない。たとえ殺しても、こいつらを食うのはやめたほうがいい。
ー狩猟者の書よりー
オオバンペイ
ハロウネストの大柄な番兵の死体がよみがえったもの。”大釘”を振るう力を持つ数少ないムシ。
死体のわりには驚くほど機転がきくやつだ。上を飛び越そうとすれば捕まえようとするし、逃げれば追いかけてくる。狩るのが楽しい相手ではあるが、向こうが群れているときは注意しろ。
ー狩猟者の書よりー

当初まるでゲームシステムを理解しないまま忘れられた交叉路に足を踏み入れたときに意外だったのは、斬りつけるたびにわざわざ衝撃で放浪者が下がる(ノックバック)ことと、血っぽいエフェクトが散らばることである。丁寧だな、ホラーゲームだしな、ぐらいに思ってた。血じゃなくてオレンジジェリーはストーリーの重要なピースだった。

監視塔の騎士
捨てられた騎士の抜け殻が、汚染されたハエの群れによって復活した姿。
こうした寡黙な戦士たちが戦いで敗れると、その身体が二つに割れて中から奇妙なムシたちが飛び出てくるという。おれが死んだときも、身体の中からなにかが飛び出てくるのだろうか? そしておれの希望と恐れは、暗闇の中に消えてゆくのだろうか?
ー狩猟者の書よりー

これも読むまでよくわかってなかった。オレンジ色の天井から降ってくるやつ、ハエだったのか。そして騎士の装甲、というか鎧のようなものが上層部にいるだれかによって操作されてるのかと思ってたらやっぱり死体だし。言われないとわからない(にぶい)。

オオオ、輝く者よ、われらは祝福された。そなたの光がわれらに触れる。そなたの温かさがわれらを満たす。
そなたの輝く姿のもとに結集し、ハロウネストは再び生まれる。オオオ…
光は命であり、輝き。純粋で、すばらしきもの。その光をさえぎることは、自然を抑圧すること。
自然は歪みを抑圧し、われらを病でつつむ。光を祝福し、結合を果たすのだ! オオオ…
ーコケの予言者ー

コケの予言者にいたっては、会話してるから生きた状態で操られてるというか、なんというかという状態である。少なくともこの時点では死体ではない。このコケの予言者の発言について、エリーナは警告してる。

コケの予言者
コケむした伝道者で、耳を傾ける者すべてに対し、「輝く者」とハロウネストの全生物を団結させる光に関する布教活動をしている。しかしその身体がすでに汚染に侵されていることからも、その言葉をそのまま信じるのは危険かもしれない。
ーエリーナ記録・放浪者の日誌よりー

しかしほんとうに「死体」なのだろうか。「死体」と認識してるのは文明国ハロウネストサイドの視点であって、自然界の視点では死んでないのかもしれない。それとも何度も甦るからリビングデッドなのか? 王国のはずれで聞いたバードーンの発言はちがう。

ああした生物は異なる種類の結合の結果。ウィルムの試みは拒絶されたのだ。
我は光の誘惑に抗する。提示された結合の形は、思考を心より失わせ。ムシを本能のみで生きるものとするもの…
ーバードーンー

……ん? 「ムシを本能のみで生きるものとする」ということは生きてるんじゃ? 言葉を失うことはハロウネスト的ムシとしては死であっても、本能のみで生きるムシってふつうである。さらに長すぎるゾートの教えの最後から2つ目はどう解釈すればいいのか。「輝く者」の光を拒絶すると病気になってしまうのである。日照不足による季節性うつ病みたいに?

教えその56:夢を見るな
夢は危険なものだ。自分のものではない、奇妙な考えが精神に入りこんでくる。そしてそれを拒絶すれば、身体が病で犯される! だから夢などそもそも見ないほうがよいのだ。吾輩のようにな。
ー強靭なるゾートー

そしてフンコロ騎士が「きみをてっきり思考のない抜け殻連中の仲間だと勘違い」したということは、外見上の差はないのである。目の奥がオレンジ色のこともあるけど、べつにオレンジ色じゃないこともある。しいて言えば生前の姿を知ってる者がゾンビ化した場合は判別できるが、そうじゃない場合は「汚染されていない者を見つけると、積極的に攻撃する」かどうかでしかわからないということである。しかし攻撃されてから応戦していては危険すぎるので、フンコロ騎士のように見つけたやつら片っ端から攻撃するスタイルにしかならないんじゃないかしら。

守護者の紋章
ハロウネストの王がもっとも忠実な騎士に対して与えた、特別なチャーム。傷つき汚れているが、それでも大事にされていた形跡がある。
身につけた者から独特のにおいが放たれるようになる。
ーアイテム説明よりー

そして守護者の紋章が特別すぎる。NPCのセリフ変わるし、遺物の探究者レムは取引してくれないし、足を喰らう者は値引きしてくれるし。

うぬぬ! いったいなんのつもりだ? そんなひどい臭いをただよわせてワシの店に入ってくるとは!
ここにある遺物はただでさえ痛んでおるのだ。その上そのようなひどい臭いがつきでもしたらたまらん。下水道だかどこだか知らんが、さっさと来た場所に戻るがいい!
ー遺物の探究者レムー

足を喰らう者がいなくなってしまってショックを受けてたら、ディヴァインのテント内にその前肢が落ちててショック倍増した。ディヴァイン姐さんのこのセリフ、放浪者に対して言ってるのかと思いきや足を喰らう者(腹の中?)に言ってたらしい。

わたしの王はただひとり。でもあなたの記憶は、わたしの心の一番近いところにとどめておくわ。
ーディヴァインー

おれが1番好きなのはタックのセリフだ。フンコロ騎士の生活が垣間見える。

ミュウウウウ…? あなたのにおい…あなたもかれの友だちなの? もしそうなら、わたしの食べ物をわけてあげるわ。
こんどかれと会ったら…お礼をいっておいて。助けてくれてありがとうって。
ータックー

そしてチャームの材料(?)も死体が多いようだが、王はこの特別すぎるチャームをどうやって調達したのだろうか。

ねえおチビさん、あなたはチャームがどうやって作られるか知ってるかしら? ちょっと暗い話だからあまりこういうことはお客さんに教えないんだけど、あなたは利口だから、すでに想像がついてるんじゃない?
チャームが生まれる理由はいくつかあるんだけど、一番多いのは死んでゆくムシの最後の願いが結晶化したケースね。それがこういうゴージャスで強力な道具になるってワケ。
(中略)つまりあなたはムシたちの魂をコレクションしてるってわけ! あなたがカバンか財布か…あなたがチャームをどこに入れてるかわからないけど…とにかくその中に知らないムシがいっぱい入ってるって感じ!
ーチャームを愛する者サルブラー

こんなに特別枠にもかかわらずイズマの森に行ってないのである。少なくともイズマが息を引き取った(いや、ムシや植物なら休眠状態かもしれないけど)後、訪れていない。

おお! その涙… きみは彼女の森を訪れたということか!
わたしも訪れると誓ったのだが…わたしの任務と…誓約が…
ああ、すまない。単なるたわごとだ。どうか気にしないでくれ。気を抜くと昔の記憶の中に沈みこんで、戻ってこれなくなるのだ。
彼女はその者を見極める確かな力をもっている。よって彼女の祝福を受けたということは、きみはやはり特別な存在だということだ。わたしのような者よりもずっとな!
ーフンコロ騎士ー

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フンコロ騎士が守るイズマの森の水位調節バルブ

でもイズマの森への途上にはハネバンペイらがいる。……あれ、守れてなくない? と思ったけど、「かつて自分が暮らしていた場所を徘徊」してるならハロウネスト繁栄期にすでにここを警備してたということになる。しかも永遠なるエミリシアのいる部屋へ穴が開いてる。上から開けた穴でなければ、下から開けた穴ということになる。だとすれば、エミリシアはイズマの森で暮らしてたもしくはイズマの森へ追放された、ということになる。

なんとも興味深い種ね。とはいえその純粋なオーラも、我らの親愛なる王の光には及ばないけれど。
その脆い花はあなたが持っていなさい。わたしにはすでに世話をすべきものがあるし、それはその花よりもよっぽど美しいものよ。わかっているでしょうけどね。
ー永遠なるエミリシアー

エミリシアの周りで光る花のことだろうか、それともイズマの森のことだろうか。まるでわかってないので、もっと説明してほしいのだが。それにしても遅くともハロウネスト繁栄期から生き続けたうえ、蒼白の王ウィルムへの圧倒的な忠誠を変わらず持ち続けてるのである。オグリムもエミリシアも何故、汚染に屈しないのか? そもそも何故生き続けられるのか? もしかして酸のそばにいるから?

王国のはずれで会ったコーニファーが気になることを言ってた。

この様子を見るかぎり、都の住民たちはこれより先に建物を作ることをためらったようだね。いったいなにが彼らを押しとどめたのだろう?
ーコーニファーー

そしてヘラルド一派の手になる石板にも気になる記述がある。

我らは時代の終わりを告げし者、師ヘラルドの道を語る。
我らと同種の精神が結合せし場所で、
酸の脅威の源の横で、(後略)
ー王国のはずれの石板よりー

「酸の脅威の源」つまりイズマの森は高温強酸性熱水の地底噴出孔? まさかここ深海じゃないよね? 極限環境といえば古細菌である。イズマはムシでも根でもなく古細菌がモデルなのだろうか。

デュランドゥー
堅い殻におおわれた歩行生物。酸の浅瀬の中を歩いていることが多い。
強烈な酸の川の中で生きることができる、数少ない生物のひとつだ。しかしああいった酸はいったいどこから流れてきているのだ? まるで生者の憎しみで沸騰しているかのようにも見える。
ー狩猟者の書よりー

数少ない生物のなかには緑の道の守護者ウヌもいる。

ランタンに火は灯され、きみの声は聞き入れられた。素晴らしい舞台を選んでくれたな。ムシと根で構成されるこの王国は、我々の儀式を実行する場所としていかにも相応しい。
ー巡業団の長グリムー

グリムの緋色の目には「ムシと根で構成されるこの王国」に見えてるらしい。しかしバードーンはこの王国はすでに滅んだと言う。

この灰に埋もれた地はウィルムの墓。ウィルムは死んだといわれている。だがあのような古の者にとって死とはなんだ? さらなる変化であろう。
そしてその死の際に発生した事象によって、この王国は滅びた。
(中略)この舞い落ちる灰は脱皮の証。ウィルムの死体は腐っていく。その終わりなき静けさ…哀しさ。
それが消えたとき、世界は縮小する。
ーバードーンー

自らの脱皮したボディ(白い粉は炭酸カルシウムぽさもある)で酸性土壌をpH矯正して弱酸性あるいはアルカリ性寄りにするなんて、蒼白の王ウィルムはミミズっぽい。現実のミミズが「いにしえ」と呼べる4億年前にはいたことや眠り姫仮説(地中のバクテリアは普段眠ってるがミミズやヤスデの活動により起こされて活性化するのではないか、という説)を思い出し、さらに脱ぎ捨てられた殻の形状はミミズっぽさもある。ただし重大な問題としてミミズは脱皮しない。うん。そのため、おれは線虫の方がモデルだと思ってる。線虫は雌雄同体と雄しかいない。雌雄同体で精子や貯精嚢をつくらず雌化した個体を雌と呼ぶらしい。だからホーネットは後天的に”性を持った子”by助産師ということなんじゃないかと思う。

どちらにしろここハロウネストは土壌中の宇宙を壮大に描いた物語として傑出した作品である。

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「…この灰…囚われている…」は「この灰が」なのか「この灰に」なのか不明だが、「この灰が囚われている」のならウィルムの殻は何に囚われているのか。一瞬雪原の上にでも出られたのかと錯覚しそうなこのベンチが気に入ってる

温泉
ハロウネストの深部には、火道を通った熱が表層まで達している場所があり、王国はこうした自然現象を利用することで、ムシたちがリラックスできる温泉施設を作った。このような温泉は王国のいたるところにあり、敵意を持ったムシたちにあふれる土地を旅する者たちにとって、疲れを癒す格好の場となっている。
ーエリーナ記録・放浪者の日誌よりー

もともとの先住民が暮らす地域に対して緑の道は属州にし、カマキリ族とは停戦協定を結び、ハイブとは不可侵条約を結ぶなど差があることも含めて古代ローマ帝国に似た統治支配のやり方である。同時に、温泉施設も含めたインフラ建造物を鬼のように作りまくった点も共通する。暗闇の巣で獣たちに拒絶されて2つめのトラム建設放棄したにもかかわらず温泉はあるのだ。

ハロウネスト以前の時代の遺物としては、こうした卵がもっとも人気があるのだ。だがあの時代の遺物はこれだけではない。
ソウルを内包している古い彫像を見たことはないか?
この卵より大きく、粗野な形ながら、あれもまた前時代の証明だ。
ー遺物の探究者レムー

そして無尽蔵のソウルを生みだせるのは蒼白の王ウィルムだけではなく、古い彫像ソウル・トーテムも同様である。最初はドラゴンぽいかと思ったんだけど、こっちこそミミズがモチーフだろうか。

つまり、もともと不老不死のフンコロ騎士が蒼白の王ウィルムのもたらすソウルによってさらに活性化した姿が純白の騎士である。ウィルムが去ってソウルによる活性化が終了すると死、というか不活性状態で動けなくなったムシも多かったのではないか。しかし彼はフンコロ騎士に戻っただけである。だってもともと不老不死だし。

わたしはかつて騎士だったのだ。偉大なる王のかたわらに誇り高く立ち、ハロウネストが繁栄していく様子を見守っていた。
そんなときにあの悲劇が起きてな…
我々騎士は実体あるものと戦うことはできる。だがあのように形を持たぬ敵を、いったいどうやって倒せばよいというのだ?
王はなんとか事態に対処しようとした。無慈悲なやり方でな…しかしそれでも、我々の数は減る一方だった。
ーフンコロ騎士ー

なにしろハロウネスト黎明期から滅亡後けっこう時間経過した現在までここにいるのだ。桁違いに長命なムシであり、どうりでひとりだけ饒舌なはずである。こんなに近くにいるのになぜ遺物の探究者レムはフンコロ騎士と話をしないのか。

王国にいた五体の偉大な騎士については知っているか? 彼らはハロウネスト中で敬われており、王国の年代史の中でもしばしば言及されている。個々ではなく、ひとつの集団としてな。
個々の名前や外見などは、歴史から消された状態だ。
彼らが生きたのは相当昔なだけに、もし個々の身元を調べ出すことができれば偉大な発見となるだろう。
ー遺物の探究者レムー
ワシの店はすばらしいだろう? ワシは決してここを不法占拠しとるわけじゃないぞ。
ワシが来たとき、この場所はもぬけの殻で、塔の所有権を主張する者は誰も生きていなかったのだ。
ー遺物の探究者レムー

つまり涙の都で最も若輩なのがレムなのだ。しかもごく最近開店した。なぜ老人(ムシ)の姿で描かれてるかと言えば、もうすぐ死ぬからである。たぶん。それはダートマウスの老いたムシも同様である。短命のムシにとって1シーズンあるいは1年より以前は大昔と言える。数週間で死ぬムシなどザラだ。
しかし涙の都には不老長寿(不死ではない)と思しきムシが他にもいる。

わたしのかもし出す気品に気づいたようね? お察しのとおり、わたしはハロウネストの上流階級でも名の知れた存在よ。
いえ…存在だった、といったほうが正確ね。あの愚か者たちのせいで追放されてしまったから。
わたしの昔の知り合いには会ったかしら? 外にいる連中のことよ。思考もなにも失って、ただ身体を引きずって歩いてる。わたしはこうしてまだ生きながらえて、かれらの哀れな様をながめているというわけ。
わたしはほんとに幸せよ。運命っていたずらなものよね。
以前だったら、あなたのような者と口をきくことはなかったでしょうね。でもわたしの階級の者たちはみんな死んで、遠くにいってしまった。
ー永遠なるエミリシアー

シロアリがモデルなんじゃないかと思ってる。腐食連鎖系においてセルロースを動物性たんぱく質に変換できるシロアリは技能的にもボリューム的にもスタームシと言える。特にヤマトシロアリは体長3~5mmにもかかわらず30年以上の不老長寿で繁殖し続けるやばいムシだ。活性酸素を抑制して細胞の老化を抑制しつつ抗酸化酵素活性と嫌気代謝(以下省略)。壁に穴あいてるかんじとか。

これだけ長く生きているにもかかわらず、ほんのわずかの記憶しか持たない…それは幸運と思うべきか?
すべての悲劇は消去され、拙者の目に映るのは壮大なる美だけ…
ークィレルー

クィレルも少なくともホロウナイト封印任務のさいにはマダム・モノモンの側らにいたはずである。本人(ムシ)が記憶を飛ばされてるのでホーネットか白いレディがおぼえてなければ本当にだれもおぼえてない。でも釘を逆手で持つのクィレルと純粋なる器だけなら、彼もおぼえてるかもしれない(まだ112%まで行けてないのでなんとも)。記憶がなくなることは「自由」なのか。

わたしの騎士…少なくともあなたは自由になった。
ーハイブの女王ヴェスパー
正直、わたしはそれをどこで手に入れたのか覚えていない。だがその造形を見ていると、わたしの記憶がうずく気がするのだ。どこか遠くで失われ、忘れ去られてしまった誰か、あるいはなにかを語っているかのようで。
ーニムー

不老不死のムシが見続ける夢

彼が帰還した際には、きみを騎士としてとり立てるよう進言しよう! すばらしい冒険がわれわれを待っているにちがいない…
ー純白の騎士ー

数少ない記憶を持つムシたちが放浪者をウィルムと見紛っても「王の刻印の効果絶大だなー」ぐらいに思ってた。でもこれを読んだら急に、ああ、放浪者の仮面の下はウィルムの中身が入ってるのかと目が覚めた。Team Cherryの趣味的に。せっかくなのでもう1度、Team Cherryの趣味的に。ミリベルから預金を引き出す方法をおれはノーヒント・ノータイムで理解した自信がある(`・∀・´)エッヘン!! 無邪気で神秘的な美的センスにシニカルな気質が垣間見えるのがこの作品に飽きの来ない理由だと思う。Team Cherry、過去に金融業者にひどい目に遭わされたことあるんじゃ、とも思ったけど。そんなわけで、もう2度と戻って来ない(来れない、クィレルよりも記憶も言葉も失ってるし)敬愛する王を待ち続ける騎士の前に現れた、王の成れの果ての小さき者。奇跡の再会にしては絶望的な邂逅である。しかし騎士は失望するどころか、一緒に冒険しよう、と言う。創造・復活・不死のシンボルにして太陽神の化身と呼ぶにふさわしい、彼は守護者スカラベである。
では逆に元・王はなにしに来たのか、ということである。ホロウナイトの件だけでなく。

わたしたちの力の起源はよく似ている。でもあなたのその…決定的な空虚さを、わたしは共有しない。
ーホーネットー
おまえは暗闇そのものだ…わたしを呑みこみにきた…
ーマーコスー

悲劇を消去しに来た。最後の責任をとりに来た。だから本来ならクィレルやニムのようにオグリムの記憶を消して彼を自由にするか、ハイブの騎士のように自由にするかしなければならなかった。でも失敗したのである。だって不老不死にして心優しき勇気と名誉の神、記憶を司るスカラベのムシなのだ。

新たに王のマントをまとった者がいるようだな。それには恐ろしい責任がともなうであろう。
すべての所有権を主張したムシはいない。獣たちですらその限界をわきまえ、巣のはずれに縄張りをとどめている。
こうした決まりに挑んだのが古において地位を持った者たちであり、ハロウネストの廃墟はその挑戦を反映している。
ー仮面を作る者ー

蒼白の王ウィルムはいまでも囚われてる。じぶんがすべてをなんとかしなければいけない、と。そんな必要ないのに。

フンコロ騎士と守護者の紋章が特別扱いすぎる理由:フンコロガシはもともと記憶を司る不老不死のムシだから(仮説)

旅の終わりに

この滅びた王国は荒涼とした場所に見えるかもしれないが、その過酷な環境にもかかわらず、ここには生命の営みがある。そして汚染の影響を免れているわずかなムシたちが、ハロウネストの廃墟の中で暮らしながら、強さと勇気をもって苦難に立ち向い続けている。この小さな発見は、わたしの心を希望で満たすものだった。
わたしは次の冒険へと旅立つが、どんな未来が待ち受けているにせよ、わたしがこの旅で出会ったムシたちは、これからも力強く生き続けていくだろう。
―エリーナ記録・放浪者の日誌より―

まとめ:放浪者を「友」「仲間」等と呼びかけ親しげに話しかけてくる者たち
老いたムシ、幼虫、コーニファー、イゼルダ、クィレル、マイラ、スタグ、カタツムリの霊媒師、スライ、サルブラ、足を喰らう者、クロース、調停者ジジ、ブレッタ、メイトー、シオ、オロ、マリッサ、グリム、ニム、ディヴァイン、ミスター・マッシュルーム……彼らとともに見た景色は打ち捨てられた放浪者にとっても、もう2度とじぶんの王国へ戻れない元・王にとっても無上の安息をもたらしたかもしれない。
発売延期になった『Hollow Knight: Silksong』は女王ホーネットの物語でいまも制作真っ最中らしいが、叶うなら彼女を「友」と呼びかける者たちに出会えるよう願ってる。そして今のうちに112%がんばれおれ(''◇'')ゞ

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彼に繊細な花を渡したかった

2023年1月 4日 (水)

こどもの国の建築めぐり

横浜市青葉区奈良町と東京都町田市三輪の都県境にまたがる多摩丘陵の雑木林につくられた児童厚生施設「こどもの国」へ建築鑑賞に行ってきました。1965年5月5日開園の57歳☆

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赤い大屋根がシンボルの入口。おとな600円。

今時季の休日はスケートめあての方が多いようだ。そちらは入園券+スケート入場券+貸靴券セット=おとな1500円。

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フラワーシェルターはこどもどうぶつえん内にあるので自販機でおとな250円。

昔はなかった気がするが、いつのまにか動物たちに囲まれてた。ヨドコウ物置に箱入りな券売機の哀愁よ。


①黒川紀章『フラワーシェルター』1964年7月竣工

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急斜面の高いところに位置する開いた花

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斜面の中腹に位置する閉じた花

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開いたほうのフチに腰かけると足元にアミカケ模様、、、というか、なかなかにズタボロ

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58年間1度もパーツ交換されてないらしい、、、メタボリズム(新陳代謝)どこいった

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閉じたほうで休憩(休憩所なので)するとこんなかんじ

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「中央に水を飲む器具」と書いてあるが、この花芯状のやつ水通ってる?

子どものころ、この3本とも高さの異なる手すり(だと思った)で写真を撮った気がする、、、気のせいだったかもしれない。
現存しない『セントラルロッジ』のモノクロ写真みるとフロア照明の高さがバラバラで、『アンデルセン記念館』の台座も高さに変化がある。リズム。




②イサム・ノグチ『アーチ型エントランス』1966年

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トンネルを抜けるとそこは……

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廃墟だった(おしゃれ)

開園時間ちゅうのこどもの国で間違いない。北西エリアは午後になると日陰になるうえ、温室が閉鎖中なうえ寒さで人影がなかったようだ。スケートリンクや動物園のほうは影あった。


③イサム・ノグチ『丸山』1966年

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コンクリート製で内側はなめらか

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のぼって滑ることができる

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横方向にも貫通してる

滑り台なんて何十年ぶりかしら……と思いながらいそいそ中に入ったら……あやうく詰まるところだった。直径80cmの穴におとながバッグ背負ったまま入るべきじゃなかった(鈍い)。滑り台における子どもの遊具事故はランドセルやバッグ、服のフードやコードをひっかける事例が多いことを外に出てから思い出した(ちょう鈍い)。よい子は荷物を入り口のコインロッカーに預けるか、そこらに置くかしてから遊んでね☆


④イサム・ノグチ『オクテトラ』1966年

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閉鎖中のおしゃれ温室の向こうで夕日を浴びて輝くオクテトラたち

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コンクリート製遊べる彫刻その2、しかしどうやって遊ぶのが最適解かわからない

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中に入ればいいのだろうか(座り心地ちょう硬い)

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積んであるほうは中が貫通してた……難易度! 子どもの身体能力を高く設定しすぎ(信じすぎ)な気がする


⑤浅田孝『皇太子記念館』1972年(2021年大規模改修後は平成記念館)

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大屋根の下は遠足の雨宿りにぴったりなフリースペース、地階は多目的ルームにリニューアルされた(ピカピカ)

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だれもいない

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そこらじゅうに設置された水飲み手洗い水栓が便利でおしゃれだった

ここで残念ながら時間切れ。『ふれあいまなび館』で施設の資料展示をみたかったのだが、むねん。情報が足りないままだがお気に入りの写真を説明したい。

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レンガ売店のトイレ横休憩所の屋根がおしゃれだった

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閉鎖中の温室窓がおしゃれだった

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110mローラー滑り台の廃墟感(現役)がおしゃれだった

なぜ時間切れになってしまったかというと、羊と子牛がかわいかったからである。しかたない。



頭突きする羊がかわいかったせい


鑑賞のまとめ:ここは、戦中にこどもだった大人たち(建築家彫刻家上皇夫妻含む)が描いた優しい夢の残骸なのだ。なぜ残骸なのかというと、現政府がせっせと戦争しかけようと皮算用してる真っ最中だからである。どこで間違えたのだろうか。なにがいけなかったのだろうか。なにもかも間違いだったとすれば、やはりここは夢の残骸に思う。またバカみたいに弾薬庫に逆戻りだ。

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旧日本軍の東京陸軍兵器補給廠田奈部隊填薬所時代の弾薬庫の換気塔



おまけ:850円払わなくても鑑賞できる黒川紀章作品

町田駅ターミナルプラザの『シティゲート』1983年10月

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南北に沿って設置された作品を東から西にのぞむ

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暗くなるとライトが点く(写真は2019年末のイルミネーション)


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こどもの国のクリスマスリースは惜しげもないビッグサイズで夢のようだった

2022年9月10日 (土)

近代日本思想史上、先見の明あったけどテストには出ない人たち

近代日本思想史上、先見の明あったけどテストには出ない人たち(だとおれが考える)3者について説明したい。

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左から佐久間象山、植木枝盛、朝河貫一をイメージしております☆


①佐久間象山(1811~1864年)
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象山先生こと佐久間修理は文化8年2月28日、信濃松代藩(現在の長野県長野市)に生まれた。なにをしたヒトかと聞かれると……、困る。江戸時代後期~幕末の西洋砲術家、朱子学者、思想家、公武合体開国派、江戸では海岸防禦御用掛顧問、京都では海陸御備向掛手附御雇。元治元年7月11日、彦根遷都を計画して活動していたところ「皇国忠義士」を名乗る刺客(河上彦斎・松浦虎太郎ほか5、6人?)に13ヵ所斬られ暗殺される。享年53歳。※イラストの「増訂和蘭語彙」は幕府不許可により出版されなかった幻の本

おれが子どものころに暗記させられた幕末史は「旧態依然としたダメ徳川幕府を、進取的な薩長新政府が力を合わせて打ち破った」みたいな謎ストーリーだった。ちょっと待たれよ。「攘夷攘夷」言って暴れてたの、長州藩士じゃなかったっけ? どこが進取? え? 外交の必要性は感じてたけど腑抜けた徳川幕府の屈辱外交じゃダメだと言ったんだって? 言ってた? 象山や一橋や中川宮などの公武合体開国派は情勢入手したうえで「現在の皇国の国力じゃ全然かなわないから一致団結開国して情報・技術を導入し人材育成して後にやっと対等な外交を望むのが現実的」という判断だったはずである。勤皇攘夷派の筆頭は水戸の烈公・徳川斉昭(慶喜パパ)だったけど。幕末史は佐久間象山(公武合体開国派)と孝明天皇(公武合体攘夷派)側から見るとテロリスト長州とマフィア薩摩(島津家は開国派)が手を結んで開国の邪魔をし権力奪取した後に欧化政策という二度手間。
河上彦斎の攘夷論では「自主独立の姿勢を前面に出せ。強硬外交で国威を示した後に対等の条約を結ぶのが神州のためなのに、公武合体開国派は軟弱だ」(ざっくり)。しかし結局、開国派ルートをたどるのである。維新後の新政府の変節を「私党」「エセ政権」と攻撃したいわゆる勤皇純粋派の1人であった彦斎は、“攘夷の誓約書”を懐に入れたまま明治4年12月4日(1872年1月13日)罪状不明で捕縛処刑された。「攘夷攘夷」言ってた集団の生き残りが「文明開化」を唱えだし、明治16年には鹿鳴館で踊りはじめるのである。なにこの日和見(暴れるだけ暴れたひとらみんな死んじゃった後始末といえばそう)。彰義隊と奥羽越列藩同盟と新撰組に明治政府不満分子まで次々殺す必要あった?
象山先生の弟子の吉田松陰(師事したのは1851年5月24日から正式入門7月20日~12月までわずか半年程)の弟子の割にずいぶんと無節操に感じる。ただこの2方は超の付く勉強熱心な理想主義者の直情径行タイプで目の前にいたらめんどうくさかったろうなと思う。同期の山田方谷、義兄勝海舟、弟子河井継之助をはじめとして関わったひと全員からの悪口(主に傲岸不遜な態度について)が残るという事態。
獄中の松陰からの手紙を松代まで届けに来て象山に会った高杉晋作の言「あれは一個の法螺吹きだ」。おれは「大風呂敷」が妥当に思う。

象山先生が傲岸不遜だったのはご本人の気質もあったと思うが、子どもの頃の成功体験も影響あると思う。まんお母さんが足軽の娘なので身分上、父一学の「妾」であり象山先生は人前で「母上」と呼べないルール。藩内のなにか(失念)の大会で優勝して藩主から望みの褒美を訊かれ「生母をなぜ母と呼べぬか」と頼み、藩主が目通りをすることで(上士と下士の境界線は藩主と会えるかどうか)人前でも母と呼ぶことが可能になった親孝行忠義エピソードがある。「規則であっても忠節を尽くして頼めば交渉で解決できる」と確信したんじゃないかしら。江戸時代を通してガチガチの身分制度が固まった幕末に対等な立場で交渉するスタンスのひとが1人紛れ込んでたら、そりゃ悪く言われるよ。あとそれ感応公・真田幸貫の人柄と使命感あってのことだぜ、と思う。
信濃松代8代藩主真田幸貫は松平定信の次男であり、同時に江戸幕府8代将軍徳川吉宗の曾孫に当たる。7代幸専(彦根井伊家)・8代幸貫(白河松平家)によって真田氏は譜代大名に準ぜられた。寛政の改革を断行した松平定信を強く意識していたため、財政難を理由に家老が反対することも押し切ったと言われる。なにしろあのめんどうくさい象山先生を引き立てた張本人である、やっぱり人材育成は人事権者の度量の広さが肝要なのだ。

象山先生といえば「海防八策(海防意見書)」かと思うが、おれは急務十条を実行してほしかった。

ペリー来航時、老中首座・阿部正弘に提出した「急務十条」(1853年上書)
第一、堅艦を新造して水軍を調練すべき事。
第二、防渚を城東に新設し、相房(相模・安房)近海のものを改築すべき事。
第三、気鋭・気強の者を募りて義会を設くべき事。
第四、慶安の兵制を釐革すべき事。
第五、砲攻を定めて硝田を開くべき事。
第六、将材を選び警急に備うべき事。
第七、短所を捨て長所を採り、名を捨て実を挙ぐべき事。
第八、四時大砲を演習すべき事。
第九、紀綱を粛み士気を振起すべき事。
第十、聨軍の法を以て列藩の水軍を団結すべき事。

とくに第十が重要。徳川幕府政権は内戦(藩同士や一揆)を予防するシステムであって対外国にあっては藩間の軍事同盟すら契約されてない。封建領主による自国領内のための軍備では個々内向きで、日本全体として外向きの軍備にしないと即敗戦という認識である。このへんは大村益次郎ら蘭学修行したひとたちも同様だったらしい。当時の世論は攘夷一色だったので象山先生ほど明言してはいなかったかもしれない。(天然痘とコレラが流行してた状況ではしかたない)そして上申書は採用されることはなく、政権内の派閥争いの留め役としてクッション性に優れてた阿部正弘は1857年に37歳で急死してしまう。むねん。

徳川幕府政権の迷走は170年続いた財政赤字(たぶん)をベースに小氷期に起因する飢饉、M7超クラスの巨大地震連発と天然痘&コレラの大流行のせいである。がんがん死んじゃうんですよ、仕切り役が。で、次の責任者が180度方針転換、また急死して次の責任者が90度方針転換……、みたいな。幕府=上意下達(最初期は談合だったんだけどな)の武装集団なので現代の「行政」感覚で話進めるとアレだけど、行政の連続性が皆無。幕府は政権内の情報共有によって(仮に誰が急死しようとも)統治方針・外交方針の普遍性を維持すべきだったのだが、、、1番やらないやつ。そして中世から根強い因果応報説および徳政仁政思想により「こんなに厄災が降りかかるのは幕府に仁徳がないせいだ」という犯人説に落ち着いて構成員=味方を失ってくのである。1867年の大政奉還こそが革命なのに。

元治元年(1864年)6月5日池田屋騒動を思い出してもらいたい。吉田稔麿をはじめとする攘夷過激派(長州土佐肥後林田藩士)の御所放火および中川宮幽閉と京都守護職松平容保暗殺、加えて孝明天皇長州連行計画を、新撰組が惨劇の末に阻止して朝廷・会津藩・幕府から褒美をもらったあの事件。↑これのどこが尊皇なのだろうか。新撰組による捏造説も根強いけど時系列と状況でいえば捏造は無理があるかな。
※中川宮(久邇宮朝彦親王):血縁関係でいえば北朝第3代崇光天皇の第1皇子栄仁親王の裔である第20代伏見宮邦家親王の第4皇子、孝明天皇の父・仁孝天皇の養子、1862年赦免により還俗後は国事御用掛。のちの香淳皇后の祖父。
のちの東軍が死ぬ必要なかったのと同様に、吉田稔麿らもこんな事件起こす必要も死ぬ必要なんかもぜんぜんない。「急務十条」第十の軍事同盟だけでも幕府政権がんばれなかったのか。孝明天皇1人、攘夷過激派公卿らさえ説得できてなかったからむりか……。口下手? 情報共有どころか情報独占に走る幕府政権下において、三条実美ら攘夷過激派公卿による偽勅は負の連鎖の増幅装置である。

同年6月18日付け妾お蝶への象山手紙より抜粋:
「三十年も其節を替え申さず、おそれながら天皇様の御為にも公方様の御為にも深く存じ候上の事にて、其事は志あるものは大てい知る所に候故、色々申候ものこれあり候ても、天道と申すものこれあり候へば、先は此方へ手むかい致候事はあるまじくと安心いたし居候」

暗殺されたのが旧暦7月11日午後5時頃、知行・屋敷地召し上げにより佐久間家断絶したのが7月14日、随分はやい。実行犯は浪士としても松代藩家老・真田桜山一味の者らによる黒幕説が当時から囁かされたとか。

先見の明は天道を照らさず、ただ保身と権力争いだけだった。


②植木枝盛(1857~1892年)
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植木枝盛は安政4年1月20日、土佐国井口村(現在の高知県高知市井口町)に生まれた。明治時代前期の自由民権運動家、立志社憲法起草委員、思想家、政治家、高知県会議員、1890年第1回衆院選の高知3区選出衆議院議員。明治25年元日、持病の脱肛が急激に悪化し入院1月23日死去。享年34歳。※イラストでは「憲法草案」と書き込んだがタイトルは「東洋大日本国国憲按」

大日本帝国憲法がどうにも気に入らない。せっかく自由民権運動家どもが侃侃諤諤喧喧囂囂の議論の末に下から(旧氏族・豪農・豪商を下と呼ぶのが適切か微妙)生みだしたものが数多あったのに、天皇神授王権説で上から降らせた欽定憲法が発布され、それが広く市民に受け入れられたのだ。しかも熱心に。くたばれ伊藤博文(113年前に暗殺されたのでもう2度とくたばることはできない)。
枝盛たちが起草した「東洋大日本国国憲按」は明治前期までに作成された90超の私擬憲法の内でも、連邦制・皇帝の行政権等に関する規定・人民の自由権利の徹底において異色の憲法草案だった。⇒青空文庫:東洋大日本国国憲案(日本国国憲案)

有名(?)な抵抗権と革命権の条章は以下である。

第64条 日本人民ハ凡ソ無法ニ抵抗スル事ヲ得/
第70条 政府国憲ニ違背スルトキハ日本人民ハ之レニ従ハサルコトヲ得
第71条 政府官吏圧制ヲ為ストキハ日本人民ハ之ヲ排斥スルヲ得
     政府威力ヲ以テ擅恣暴虐ヲ逞フスルトキハ日本人民ハ兵器を以テ之ニ抗スルコトヲ得
第72条 政府恣ニ国憲ニ背キ擅ニ人民ノ自由権利ヲ残害シ建国ノ旨趣ヲ防クルトキハ日本人民ハ之ヲ覆滅シ新政府ヲ建設スル事ヲ得

第64条 日本人民は、すべて法の許さない物事に抵抗することができる。
第70条 政府がこの憲法に背くときは、日本人民は政府に従わなくてよい。
第71条 政府や役人が抑圧的な行為をするときは、日本人民はそれらを排除することができる。政府が威力をもって勝手気ままに横暴で残虐な行為をあくまでもなすときは、日本人民は武器をもって政府に対抗することができる。
第72条 政府がわがままにこの憲法に背き、勝手に人民の自由の権利を害し、日本国の趣旨を裏切るときは、日本国民はその政府を打倒して新たな政府を設けることができる。
※原文現代語訳とも数表記とスペースを改変しております。

明治9年(1876年)「猿人政府」の件で2ヵ月投獄され、獄中で成島柳北(新聞紙条例違反で投獄)らと交流した経緯もあって、枝盛は憲法を作っても明治政府(独裁)が守らないと確信してたと思う。抵抗権と革命権(武装する権利)が必要なのだ。脳内の「民主的」ではなく自由民主制を具現化し継続するには独裁者から武力で勝ち取らないといけない。「自由ハ鮮血ヲ以テ買ハザル可ラザル論」

自由民権思想家たちの理論的支柱は福沢諭吉であり、その元ネタはイギリス・フランス・アメリカのキリスト教の教義を含む人権および平等民主主義思想だった。また、千葉卓三郎の五日市憲法はイタリア・ポルトガル・イスパニア・スイス・オーストリア・オランダ・デンマーク・プロシャ(一か条のみ)などの中小国の憲法を参考にしてる。
いっぽう、1881(明治14)年11月井上毅は意見書を起草し漢学復興・ドイツ学奨励を提案した。自由が怖かったからである。
木下尚江は『火宅』内のセリフで明治初年の日本の精神的雰囲気が明治時代中期以降に成長した人たちの呼吸した空気と著しく違っていたことを語った(作者は未読です)。
1881年に9年後の国会開設を公約した伊藤博文は、華族を民権派に対抗できる上院議員にしたかったが本人たちが政治に無関心だったため勲功華族の設置に至った。
縛りたい明治政府と自由な空気を吸いたい民権家との死闘は、不景気と欽定憲法発布により呆気なく終わった。

さらに欽定憲法発布後、枝盛含む土佐派は第一議会で政府に妥協する。最大にして結局最後のタイミングで民定憲法への道を自ら閉ざしたのだ。

「徒らに一身一家の上にのみ身を働かして更に国家公共の事に心を用ひず気を付けず(中略)言ふべき事も言ひもせず論ずべき事も論じもせず、怒るに怒らず怨むに怨まず、卑屈の奴隷に安んじて此に満足する人民等は、是れは国家の良民ではない、ほんに国家の死民でござる」『民権自由論』1879年

先見の明で自由を照らした枝盛らも良民ではなかったのか、それとも。


③朝河貫一(1873~1948年)
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朝河博士こと朝河貫一は明治6年12月20日、二本松町下ノ町新長屋(現在の福島県二本松市根崎)に生まれた。明治時代後期~戦中の比較法制史専攻博士、ポーツマス講和会議オブザーバー出席、イェール大学名誉教授。昭和23年8月11日アメリカ・バーモント州にて死去。享年74歳。※イラストの『入来文書』1929年は英文と邦文資料で刊行された

先項の「自由な空気」が潰えた明治時代後期に教育を受けた朝河博士によれば、徳川時代が明治維新の成功のすべてを用意したという。
「封建時代が独特の社会的道徳的制度を準備しなかったならば、日本の運命はどんなに異なっていたであろうか。武士がもし個人主義的実用主義的であったならば、既存の秩序が根本的に変化した近代的条件のもとで、国家が独立を保持できたかどうか疑わしい。革命以後の日本を特徴づけるような政体として団結し、調整され、目的をもって前進することはほとんど不可能であったはずだ。同様に、農民が批判的であり、個人的に自己主張したならば、国家を転覆させるかに見えたほどの内外の危機を克服して、今日のように存在することはきわめて困難であったはずだ。国家の存在自体をあやうくする内部の反対が起こったに違いない」
『Some of the Contoributions of Feudal Japan to the New Japan(近代日本が封建日本に負うもの)』1909年(明治42年)クラーク大学講演記録を整理した論文より
フランス革命は革命後のほうがカオスだったことを念頭に↑こう言ってると思うけど、さすがに「農民は旧時代から新時代にかけて、ほとんど一滴の血さえ流さなかった」は一面的すぎると感じる。比較の専門家からすればそう結論づけるだろうけど、けっこう死んでる。「この革命がかくも成功裡に達成することは」明治維新を成功だと思ってたのか。そう? 大西祝・大隈重信・徳富蘇峰・勝海舟らの渡航費援助で米国留学した貫一が明治政府を悪しざまに言うわけない、と留意すべきか言葉通りに受け止めるべきか。

大日本帝国憲法における天皇主権についての朝河博士の解釈は起草者伊藤博文の意を完全に汲んだものと言える(たぶん)。
「これらの日本の主権に特有な原則の背後には、皇室に対する国民の広範な忠誠心が認められる。これは過去数十年にわたって、それを理解しない外国人観察者たちを驚かせてきた。(中略)今日、日本国民という組織のなかで天皇の占める正確な位置は、おそらく社会生活の重要な中心人物であり、強い統一性の人格化を喚起するもの、そして人々の野望を弱めるものと定義されるかもしれない」『明治小史』1907~1910年?

終戦の10ヵ月前、アービング・フィッシャー宛て1944年10月2日朝河書簡:
「米国の専門家気取りの人びとの〔天皇論と国民感情についての〕論議には、あまりにも的はずれのことが多い」「にわかじたての自称平和の設計者達が、(中略)天皇制の廃止が必要条件」だとしているが、「米国の宣教師精神に基づいて、休日の単なる気晴らしのように処理できることでしょうか」
天皇制民主主義は日本オリジナルのものであり、それが国家共同体の存続に大きな役割を果たしてることを最も理解してたのが朝河博士だった。1917年研究のために休暇帰国し1919年9月13日横浜を出港してから亡くなるまでの30年あまり母国を離れたところにいたひとの見解である。

その以前、1906年2月から1年半イェール大学図書館と米国議会図書館の図書収集を目的としてアメリカから一時帰国中だった朝河は、1906年5月28日アーネスト・サトウのために開かれた歓迎会で当時、初代韓国統監の役職で一時帰国中だった伊藤博文と直接面談してる。主催は横井時雄、小村寿太郎も同席した。
当日夜に朝河が伊藤に宛てた書簡:
「長らく研究討議し取捨遊ばれ候ううえにて帝国憲法を制定せられしその筋道には、フェデラリストの如きものあるべく、またエリオッツ、デベートの如きものもあるべく、もしこれを整理して世に発表せられ候わば一般に世人を利すべきはもちろん、欧米の比較政治学者、法制学者を益すること莫大なことは疑いなく候」
憲法制定過程の情報公開のすすめである。わー、それちょうやってほしかった。現代人熱望☆ しかし3年後、1909年1月26日ハルビンで伊藤は暗殺され叶うことはなかった。荷物の中には朝河の『日本の禍機』が入っていたという。

「『日本の禍機』は私が若い頃に自身の内的な衝動に従い書いた著作で伊藤博文が1909年に暗殺された際持っていた。現在の私は自分を客観的な歴史研究の中に隠すことを望む」1944年3月5日付け名宛人匿名グレッチェン・ウォレン宛の書簡

先見の明は現在も隠されたままだ。


まとめ:情報共有の先見性
現代のおれから見れば3者ともゴリゴリの保守思想だ。それでも先見性が光るのは情報共有の側面である。現状を正確に把握するため可能な限り情報を集約公開し、構成員は正直に意見を述べ対話を繰りかえし、全体としてよりよい意思決定を行う。と同時にその過程の記録を作成保存管理する。情報共有のメンバーにはいまだ生まれていない未来人も含まれるからである。
今回挙げた3者だけでなく記録に残らないもしくは破棄されたなかにそうゆう短期的にも長期的にも公益に資する行動をとったひとがたくさんいたと考えてる。しかし現代日本に残ったのは記録を作成せずかってに破棄し文書改竄に手を染める輩ばかりであった。むねん。
例えば明治政府は後世人にとってだいじな天文方資料をかってに破棄してる。
1811年蛮書和解御用→1855年洋学所→1856年蕃書調所→1862年洋書調所→1863年開成所→1868年開成学校→(改称色々)→東京大学および東京外国語大学
1868年(明治元年)明治政府は暦道のことを土御門家に任せる
1870年(明治3年)明治政府は大学内に天文暦道局を設置し土御門家を解任
1873年(明治6年)太陽暦施行
かつての洋学所は明治政府の所管になった後、3日かけて膨大な記録文書が破棄された、という記録が残ってたはずである(出典失念)。破棄記録はいらないから資料本体を残せよ、と思う。江戸時代の天文方のお仕事が……、むねん。

付記:情報共有=情報汚染
象山先生は優生思想にかぶれてたという証言がある。子がいなかった時分「臀部の発達した体格優秀な婦人を世話してほしい」と名主に依頼した。近代優生学の創始者と呼ばれる英フランシス・ゴルトン『遺伝的才能』は1869年の発表だけど、マルサス『人口論』1798年、後に「社会進化論」と分類されるスペンサー『第一原理』1862年など、19世紀の社会学者含む科学者らの多くは広く同調してた思想だった。それらを読んだ象山先生は「最新の科学」として享受したもよう。ヨーロッパで断種法を最初に制定したのはデンマークで1929年のこと。
共有するということは情報汚染も共有するということでいいことばかりじゃない。それでも情報共有が現在から未来まで公共福祉最大化の最低条件だと信じてる。


参考図書:
大平喜間多『佐久間象山』1959年
家永三郎『植木枝盛研究』1960年
矢吹晋『天皇制と日本史』2021年
小田部雄次『華族』2006年

※古い資料なので情報更新されてると思います

2022年2月11日 (金)

シティーハンターが緑色な件

※ややネタバレの可能性があります。35年前に解禁済みだけど、これからアニメ視聴予定の方は以下スクロールしないことをオススメします。

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念のため、緑色のお写真をお届けしております





2022年1月、はじめて『シティーハンター』(1987年)のアニメをみた。
この作品、コメディだったのか(けっこう驚いた)。
かってにハードボイルドアクションと思ってた。銃もアクションもあるけど。そして香さんはいわゆるヒロインなのかと思ってたら、100tハンマー女だった。なんか色々ちがった。香さんは獠のお母さん・お姉さん・妹(弟)・娘・マネージャー・ファンみたいな6重以上の役割を一身に背負わされてるのが不思議で、原作者の北条さん、香さんのこと嫌いだったのかな……? と最初思った(アニメ制作時にキャラクター設定を変更してなければ)。距離感が近すぎてよくわからない。まだ見てないけど『エンジェル・ハート』(2005年)は香さんの事故死ではじまる物語らしい。何故さらに加重……!?
でも第40話「もっこりパートナー!依頼料はシャワーの後で」(今読むとすごいタイトル)の女スイーパー・彩さんが、香さんを褒め殺す場面において
獠「あらー、のせるの上手いこと。おれも覚えとこ」とゆうセリフが独白される。
つまり「獠は無自覚なんですよ」とゆうことがあえてはっきり描写されたのである。こわー(激賞しております)。これ作ったひと相当性格悪いか抜群にクレバーかド天然なんじゃ…………、ド天然なほうに五千円☆ たぶん最初から香さんの立ち位置はヒロインとゆう類のものではなく、「獠のアキレス腱」=唯一致命的な急所および身体の一部だったとゆう結論に(にぶい)。2人の関係性が最高に重い(激賞しております)。
そうか、このひとが矢吹さんの理想のひとなのか。いまのところ無自覚風来坊に見えるけど
「あんなに男らしくてかっこいい人この世にいないもの!!」とおっしゃってた。難儀じゃけえ。


『きのう何食べた?』6巻(2012年)の話をしております

そして、気づかなければよかったことがある。
絵、うまいなー。
気づいてしまって失敗である。のんびり楽しむ気で視聴始めたのに「いまのカット」「さっきの色」と戻って繰りかえし同じシーンを凝視したもんだからぜんぜん進まないし、眼輪筋&側頭筋がしびれてきた。シティーハンターはこの後2・3・'91・エンジェルハートと続くのに、まだ1年目しか見れてない。
絵がおしゃれ。おれ漫画アニメみて下手だなんて感じたことがないのと同じくらい、うまいとか考えないのに(全員超うまいよ)。人体描写の安定感もいいけど、背景がどんどん精彩になってく。「マイシティーだ」とか「コクーンタワー(2008年竣工)はおろかパークタワー(1994年)も都庁舎(1990年竣工)も存在しない新宿、新鮮だな」とか感じてる内はよかった。どんどんターコイズグリーンもしくはターコイズブルーに染まってくのである。画面の8割方緑色。おしゃれ。
背景はおもに獏プロダクションとスタジオ・イースターで、美術監督はそれぞれの代表・宮前光春さんと東潤一さんである。
エメラルドグリーンとセルリアンブルーのポスターカラー(セル画のほうは塗料)在庫が余ってた可能性を疑うぐらいターコイズグリーンもしくはターコイズブルーである。
夜の道路と壁、夜のビルのガラス窓、公衆電話に照らされた白い服の陰、日中のビルの陰影、日中のジャケット裏、晴れた日の雲の陰、獠の事務所の壁の陰影、和室の襖の陰影、カーテン、扉、床、水、香さんや登場人物の服の色、そして獠の下着までターコイズグリーンもしくはターコイズブルーである。
なんておしゃれ。せっかくなのでもう1度言おう。おしゃれ。
べつに緑色入ってればおしゃれ、とゆうことはない。彩度の強いトーンのなかにターコイズグリーンが陰影のグラデーションとして入るから全体が華やかである。見落としてなければ色彩設計のクレジットがないようだけど、これはサンライズ界隈にドラクロワ(巨匠)がいるのでは?

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798~1863年):色彩の魔術師、ロマン主義の帝王、近代絵画の祖とも称えられる。24歳のサロン初出品『ダンテの小舟』は緑色(だけじゃないけど)の入れ方が革新的だった。演劇性の強い構図・ポーズと強烈な色彩表現は賛否両論あり、非難は「やりすぎ」「くどい」みたいなものだったらしい。対立軸が同時期にサロンで成功してた新古典主義最後の指導者アングル先輩である。どっちもフランス国家が滅亡するまで手放さない巨匠連中と言えるのでどっちでもいいと思う。ドラちゃんは巨匠のなかではデッサンは不得手だったとか。超の付く愛書家。

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ドラクロワ『ダンテの小舟』1822年

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ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』1830年

ドラちゃんの作品ではこちらの方が有名かと思う。

ルーヴル美術館パブリックドメイン(対応言語は仏英)
「Delacroix△Eugène」もしくは『Dante et Virgile, dit aussi La barque de Dante』『La Liberté guidant le peuple』

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たとえば獠のジャケット裏の表現、ブルーグレーが陰ならターコイズグリーンは反射か透けか

背景だけでなく、ジャケット裏のターコイズグリーンがおしゃれ。最初は夜の人工灯の下方向からの反射を表現してるのかと思ったけど、日中でもこの色味が使われる。3・4クールのオープニング映像では正面からの照明でブルーグレーである。夕日のなかのジャケット裏は暗灰色である。うーむ。生地が透けてる可能性ある? 1・2クールのオープニング映像ではネオン灯の反射として入れてるように見えるけど。うーむ。

そもそも犯人様は北条さんである。


1986年ジャンプコミックス第1巻・2巻(ネット上の書影で申し訳ない)の表紙絵

既に1巻からおしゃれ。作風を「夢のような」と評されたシャガール(1887~1985年)に通じる多幸感あふれる色使いに白抜きの影(反射?)、『CITY HUNTER』のフォントがターコイズグリーンである。
そして2巻! やっぱりおしゃれ。彩度の強い髪色肌色にシャツの陰はターコイズグリーン。これだ! アニメは北条さんのカラーパレットに忠実にさらに派手やかに結晶化したようだ(たぶん)。コミックス背表紙もネオンカラーでカラフルである。360度おしゃれ。画集の再販もしくは新発売予定ないかしら。そういえば漫画本=カラー印刷って減法混色か、カラー原稿はもっと発色がすごいのでは! 

ところで第27話‐第51話オープニング曲「ゴーゴーヘブン」作曲大沢誉志幸/作詞銀色夏生がはじまって、それも驚いた。子どものころ手にした本が音楽に……そのものじゃないけど、ソニーが1番トッポい頃の(※かってなイメージ)空気これかー。


銀色夏生『GoGoHeavenの勇気』1988年

まだトモさん(カステラ)はいない頃だろうか。TOMOVSKYも緑色で影を表現するのが巧みだった。

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TOMOVSKY『Illustrations1992~2007』

P53に「『影で光を表現せよ!』ってキリコの絵に言われて」との一文があり、イメージソースにキリコの名を挙げてる。

ジョルジョ・デ・キリコ『モンパルナス駅(出発の憂鬱)』1914年ニューヨーク近代美術館
エドワード・ホッパー『夜の散歩者/Nighthawks』1942年シカゴ美術研究所

↑それぞれ都市を舞台美術のように描いた作品と、夜の都会で人工灯によって浮かび上がるカフェを描いた作品。説明したかったけどパブリックドメインになってなかった……どちらも緑色を使った都市の陰影(光)表現が共通する。
ドイツのシュルレアリスム画家エドガー・エンデ(1901~1965年)の作品は題材が神話的で都市ではないけど、光の表現は共通するだろうか。

1953
エドガー・エンデ『窓と十字架』1953年(床の赤は血痕なのか)

緑色の魔法使いたちのキーワードは都市の舞台化と演劇性、そして一瞬の静寂だ。おしゃれ☆

で、1年目みおわったタイミングで『劇場版シティーハンター <新宿プライベート・アイズ>』2019年をみた。てっきり公式から最新版のターコイズグリーンが供給されるのかと思いきや……、緑色じゃない! ショック!
2018~2019年世界同時多発的に突如はじまったシティ・ポップ(音楽ジャンル)ブームにこたえるために制作したわけじゃないのか……。
ぶーぶー、出し惜しみするな。シティポップ! シティポップ(美術ジャンル)!
35年前の作品をたった10日前にみたやつなんかに言われたくないとは思う(おれならヤダ)。そして依頼人・亜衣ちゃんの瞳の色を際立たせるためにその他の緑色を抑えたならしかたない、、、けど、「きれいだけど、薄いな」とゆう印象だ(おもしろかったし音楽もよかったし『キャッツ・アイ』はじめてみた)。

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と、いう差なんじゃないかと考えてる。左は手前からスポットライト、右は日中(自然光)店内の場面だから光の加減は正確だけど、左は彩度補色対比、右は輝度(明度)対比に重点を置いた色使いと言える(たぶん)。
描き手のセンスや技術的なことじゃなくて、実際の景色(見え方)変わったんじゃないか。
2010年以降切り替え普及したLEDに照らされる夜の新宿に緑色は少ない。時系列では歌舞伎町一番街アーチがLED電球に更新されたのは2013年。1986~1993年青色LED発明実用化⇒2014年ノーベル物理学賞。
色温度としてたき火・蝋燭1800K、白熱電球2400K、電球色LED3000K、満月4000K、昼白色LED4000~5000K、LEDは火傷の発熱をしないのはいいけど光エネルギーが強く(ブルーライト)直進性があり、点の光をまぶしく感じる。対してネオン灯は全方位に広がるけど、高電圧で消防への設置届出が必要なうえガラス管が風水害で割れる。そりゃLEDネオンサインに更新するよ。光環境工学を勉強してないのでこのへんでやめにしたい。
とにかく明るい、昼も夜も。で、絵も明るく(輝度高く)なったんじゃないかしら。
それにしても配信1年目分だけデジタルリマスターなのだろうか、35年前の映像とは思えない鮮やかさにほれぼれする。冴子さんのリップのフェアリーピンクおしゃれ。

もう1つ小さくショックだったのは、獠の事務所兼自宅が1987年時点ではラグの上にベンチ型のダイニングテーブル、インダストリアルデザインのペンダントランプ、暖炉付きでおしゃれだったのに、ずいぶん生活感のあるスタイルに更新されてた。バルコニーとカーテンボックスあるとなんかちがう。アーチ型窓にカーテンつけないのがよかったのに……、しかし打ち込みタイルの地上6階立て建築は3.11でダメージを受けたのかもしれない。ならしかたない。

そんなおしゃれで緑色な作品を制作された方々だが作画監督にいのまたむつみさん、神志那弘志さん『吸血鬼すぐ死ぬ』、原画に高橋久美子さん『桜蘭高校ホスト部』、制作進行に渡辺信一郎さん『カウボーイビバップ』の名前がある。どれぐらいすごいかと言うとアニメライトユーザーのおれが認識できるなんてすごい。

おれ、12月まで秋アニメ『吸血鬼すぐ死ぬ』を「色使い、おしゃれだなー」と思ってみてた。35年前から夜の都市を描くのが得意な方が監督だったことが今判明した。
具体的には第3話『出世街道転落道』のヒナイチちゃんが屋上に佇むカット(満月がターコイズグリーン)と『バカ騒ぎ退治人ギルド』でジョン君がギルドマスター父子に手土産をお渡しするアイキャッチ(紙袋がターコイズグリーン)がイチ押しです。


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背景に練り込まれた赤も、雲のターコイズグリーンもいいけど、照明の光と影の境界のデフォルメラインがおしゃれ☆

眼球は可視光線の受診臓器なので闇は受診できない。視界の闇・影・暗がりはなんなのかと言えば、脳の補正である。脳(臓器)が「光が多い、光が少ない」で暗く塗りつぶした幻影。夜空が黒っぽく見えるのは、星光と星光の間を塗った臓器のせい。大事なのは光の強弱の差で、眼球に届く光刺激が弱いほど輪郭は曖昧に感じられる。で、夜の都市の境界線のぼんやり感を強調したのが上絵のデフォルメライン(たぶん)。

60歳を前に中途失明したボルヘスの感覚では、光刺激のない世界は真っ暗闇ではなく常に薄明だったそうだ。

ボルヘス『七つの夜』1977年の講演より

ビルの外観だけでなく、事務所の壁もバーの店内も警察署内もぜんぶ陰影がギザギザなのおしゃれ☆ 『吸血鬼すぐ死ぬ』界隈にラ・トゥール(1593~1652年)がいらっしゃる。

Le-tricheur
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『いかさま師』(ダイヤのエース)1635~1638年

163034
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール『クラブのエースを持ついかさま師』1630~34年頃

ダイヤのエースが見たければ仏パリ・ルーヴル美術館、クラブのエースご希望なら米フォートワースのキンベル美術館☆
現実にはどうがんばっても影はこうならない件で有名な絵。

1595
カラヴァッジョ『トランプ詐欺師』1595年

壁の陰影という点ではカラちゃんのほうかもしれない。右人物の衣装は指塗り。

キンベル美術館コレクション


色彩設計色指定仕上げ検査は今野成美さん、美術監督は吉田ひとみさん、背景はスタジオじゃっくとK.Jstudioだ。カラちゃん……☆

派手な色使いの舞台背景に飾り立てた衣装の登場人物たちが繰り広げるドタバタコメディとダンス、手前にはオーケストラピットでジャズが演奏される。という華やかな舞台だった(心象風景)。導入部のピアノ、クライマックスのサックス&トランペット(っぽく聞こえる音パート)、吸血鬼登場曲(あるいは御真祖様のテーマ)のコーラスもかっこよかった。2期愉しみだ。


まとめ:カムバック! おしゃれターコイズグリーン・シャドー!

Citypopguys
ネチネチ書いたけど描けはしない、ので絵のうまい方々にかってに期待してる

記事中で16回「おしゃれ」と言っています。

2022年1月10日 (月)

部屋着が緑色な件

突然、気づいたことがある。
2010年代連載開始作品において、動物に親切なひとり暮らし女性(オタク気質)主人公の部屋着が緑色だ。
・小林さんちのメイドラゴン(クール教信者:2013年~)
・サチコと神ねこ様(wako:2014年~)⇒Pouch夜の4コマ部屋
・チンチライフ(祭:2019年~)⇒くらしとお金の経済メディアLIMO


ドラゴンと神様が動物かどうか迷うところだし、作中の部屋着がいつも同じわけでもないけど、気になる。緑色の服ってあまり売ってないような? 正確にはカーキ、オリーブ、ミント、モスグリーン色はある。でもこういうターコイズグリーン、エバーグリーン、エメラルドグリーン色の服って選択肢少ない。しかし漫画内では緑色の部屋着は定番なのか。なぜだ。そしてどこかで売ってるんだろうか、ほしい。

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トール&小林、おみくじちゃん&祭さん、神ねこ様&サチコ(とゆうことで進める)

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まずは定番のモノクロに変換、こうゆう服よく売ってる

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次に暖色系、スウェット生地にも髪色とのバランス的にも映えると思う

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3番目は寒色系、緑色に近いのにみんな似合ってない気がする

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4番目は総柄、みんな似合う。これもいいんじゃないかな


まとめ:グリーンカラーの優しそうなイメージ効果はすごい
別に他の色でもいけるんじゃないかと考えて試しに色替えてみたけど、結構ちがった。イメージだけじゃなくて緑色の合わせやすさもいい。服屋さんにはもっと緑色を推していってほしい(無彩色以外のカラバリは在庫残ってセールになりがち)。
比較の結果、みんなの部屋着は緑色が優勝しました☆

2021年11月15日 (月)

電線のある風景

写真を撮るとき電線を入れる、とツイートしたら珍しくいいねをたくさんもらった。そうか、みんなもわざと入れてるのか(井上さんへのいいねのつもりか、別にちがうかもしれない)。


せっかくなので、お気に入りの電線入り写真7点をお届けしたい。

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旧町田市役所取り壊し直前のヒコーキ雲と平行な電線

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夕日を浴びて白く輝く電線

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暮れる空と月と電車と電線

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ウェーブする地面と高圧鉄塔と張り巡らされた電線

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都県境の交差点と横断歩道と電線

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ススキと架線と電線

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青空と白雲と華奢な電線

すでにGIGAZINE記事中で『serial experiments lain』のこと書いてるけど、電線を印象的に描いたアニメと言えばおれもlainが浮かぶ。ケーブルも含めてネットワーク=つながりのアレゴリーとしての位置づけかもしれないけど、そもそも描いたヒト、電線をきれいだと感じて描いてたと思う。よかったよね。

☆電線の描写が印象的なアニメ3選☆
『serial experiments lain』(1998年)舞台は2000年代?
『少女終末旅行』(2017年)舞台は西暦3230年?
『啄木鳥探偵處』(2020年)舞台は明治後期~大正時代


電線が描き込まれてるパッケージをお探ししました(全部電線入ってる)

電線電柱はアレゴリーになり、生活感および終末感、時代性および地域性を帯びながら構造美も備える視覚的に万能アイテムだ!
(たぶん)。『啄木鳥探偵處』もそうだけど明治後期~大正時代の都市の背景に電線と路面電車がほしいわけである。

舞台として背景に電線があるアニメ3例(他にもたくさんある)
『tactics』(2004年)明治後期
『おとめ妖怪 ざくろ』(2010年)ファンタジー明治時代
『MARS RED』(2021年)大正時代

でも別に明治大正時代ならどこにでも電線あったわけじゃない。
たとえば町田市南部の成瀬地域に初めて電灯がついたのは大正8年(1919年)だそうだ。
「当時、電灯をつけることは大変な事業で、電柱電線の費用の負担はもとより、工事の労役提供までしたものである。だから電灯をつけようかという話から、工事開始となるまでは、何年もかかったのである」
竣工には小学校で点灯祝賀会が開かれた。しかし冬は夕方17時から朝7時、夏は18時から朝5時までの限定的な送電(相武電力)だったそうな。いまが100年後でよかった。『成瀬―村の歴史とくらし』(1985年)より

まとめ:電線は視覚的万能アイテムです

2021年11月14日 (日)

チンプイ衰弱

〈チンプイ衰弱〉
おなじポーズのチンプイは何ペアいるでしょうか?

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チンプイ先輩天才的にかわいいよな、とゆう気持ち

2021年9月11日 (土)

デビるん衰弱

〈デビるん衰弱〉
おなじポーズのデビるんは何ペアいるでしょうか?

Mm
『せいぜいがんばれ!魔法少女くるみ』たのしい、とゆう気持ち

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