2023年12月24日 (日)

映画『枯れ葉』

渋谷ユーロスペースにアキ・カウリスマキ監督脚本の新作『枯れ葉』(原題:Kuolleet Lehdet)2023年をみに行ってきました。上映時間81分。ヘルシンキを舞台に、みんな大好きティモ・サルミネンが撮影しています。『希望のかなた』2017年に監督引退宣言したことはなかったことに!

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コピー「愛を、信じる」

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アキ直筆サイン入り『過去のない男』(2002年)ポスターに天才犬ハンニバル……ではなくダイカット加工チャップリン付き☆

お客層 男女比5:5 往年の映画ファンが多いかなとかってに予想してたけど平均すると50代くらい(現在の日本人の平均年齢約50歳よりはやや上か)
労働者3部作『パラダイスの夕暮れ』1986年『真夜中の虹』1988年『マッチ工場の少女』1989年に続く第4作目……という前情報でみに行ったけど、前半をみてる間はどちらかと言えば敗者3部作『浮き雲』1996年『過去のない男』2002年『街のあかり』2005年の第4作目じゃないか、と感じてた。でも『コントラクト・キラー』(1990年)をみた時のことも思い出してた。
つらい。労働はつらい。労働がつらい。労働もつらい。アルコール中毒もっとつらい。みんな楽しみにしてる(?)バンド演奏シーンはマウステテュトットでよかった。つらくない。1番つらいのは、ウクライナ戦争のニュース音声が背景なのきつい。監督はこの脚本を30時間(内訳:執筆15時間+修正15時間)で仕上げたそうだ。印象に残ったのはアンサ(アルマ・ポウスティ)がスーパーマーケットで買うプレート皿が8ユーロぐらいで157円で計算すると1200円……廉価モデルでもけっこうするな(そこじゃない)。あと、豚に失礼な件である。豚かわいいよね(そうじゃない)。

まとめ:もっと犬を!
心身ともコンディションを整えてからみたほうがいい。『街のあかり』ぐらいのボディブロー。親友の役はヒューティアイネンだし。お互いに年取ったよなと画面のこちらで思う。みんな大好き天才犬(アルマ、偶然か主役と同名)の姿は少ない。労働がつらいので、もっと犬を出してほしかった。具体的には30秒ごとにカットインしてほしかった。ギブミーもふもふ。

パンフレットは質感とフォントがとてもいい。監督インタビュー(カンサン・ウーティセット誌より転載)とホラッパ役ユッシ・ヴァタネンのインタビューと映画館共同経営者ミカ・ラッティのインタビューが特に楽しかった。ヴァタネンいわくアキは「世界的に知られた伝説の監督」(UMA並?)だといい「こんなに国際的に受け入れられたのは初めてなので」と語ってるけど、いや君、『アンノウン・ソルジャー』コスケラ中隊長役で出演してたよね? 超大作よ? 日本の武器マニアが「武器考証がすごい」と大絶賛! なんだけどな。継続戦争じたいの知名度のせいなのか。いや、戦争の知名度なんてないほうがいいからいいか。

『アンノウン・ソルジャー 英雄なき戦場』(2017年)オリジナル版は3時間

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だれかが大事な写真を貼ったかんじのデザインが新鮮

2018年11月20日 (火)

映画『文豪ストレイドッグスDEAD APPLE』

今のところまだ生存してるので、しぬ前にやりたかったことをやっておきたい。
しぬ前にやりたかったこと①文ストの映画を見たかった

映画『文豪ストレイドッグスDEAD APPLE』を観に、角川シネマ新宿へ行ってきました。今年3月公開の作品だけどアンコール上映しててよかった。

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ビル入口


11月末DVD発売決定⇒12月延期に

※ネタバレの可能性があります

『文豪ストレイドッグスDEAD APPLE』監督:五十嵐卓哉/原作:朝霧カフカ/漫画:春河35/90分
お客層 男女比0:10 年齢層ふめい

「文スト」の愛称でぜっさん人気連載ちゅうの漫画&アニメ原作の映画で、原作にはいない澁澤龍彦が登場します。土台は文豪の名前を持つキャラクターたちが、作品をモチーフにした異能力を使って架空都市ヨコハマでバトルするファンタジーです(たぶん)。以前、漫画のレビューに「文豪のイメージが(じぶんと)ちがう」「作家が(文豪の)作品を読んでないんじゃないか」などの感想を散見したけど、いや、評伝評論じゃないし、そんなこと言ったら文豪だれもバトルしない……、あの立原道造(本人)が銃ぶっ放しそうにない。だから文豪&作品の要素を現代メディアの様式美に沿って擬人化(文豪はヒトだけど)したシリーズだと作者は認識しています。擬人化は日本の伝統芸術です☆ それに文豪の作品は強度が異常値★ 擬人化されたぐらいで揺らがないから安心しろ、とおもう。だれも読まない本なんてただの紙ゴミだし。


澁澤龍彦(擬人化)描き下ろしコラボカバー文庫

やー、前半すばらしかった。文スト(アニメ)の傑出した魅力は①不健康そう&不健全そうなイケメン(美男美女)、②派手なファンタジーアクション、③リズム感の強い音楽、④様式美を重んじた画(配置&背景)、じゃないかとおもってるんだけど、ほんとにキレイだった。安定の美麗映像が大画面でうれしいなー、と気持ちよく見てた。クライマックスまでは。
…………龍のデザインがダサい。なぜだ。
笑うところ? ???? と迷うぐらいのダサさだった。そこまで美麗映像一直線で来ただけに落差におどろいた。なんで、龍? 龍彦だから? ドラコニアだから? 作者は澁澤龍彦作品のことよく知らないけど、こうゆう龍が関係してる作品があるのか?
いらなかったんじゃないか、龍。じゃなきゃ、絵じゃなくてミストの3DCGでよかったんじゃないかしら(CGだったら謝ります)。あー、でもこの巨大な龍じゃないと中也の見せ場が減ってしまうのか。うーむ。中也の見せ場ならしかたない☆


中原中也(擬人化)描き下ろしコラボカバー文庫

で、クライマックスで龍のダサさ(描いたヒトには内緒)に驚いて興醒めしたせいなのか、よくわからないけど、後半のストーリーは尻すぼみだった気がする。あれだけ多彩な探偵社&ポート・マフィアのメンバーほとんどを自身の異能とのバトルでストーリー外に置きざりにしてしまうのはもったいなかったんじゃないかなー。原作連載ちゅうだからしかたないのか。
「太宰はぜんぶお見通し」落ちは反則じゃ。そりゃ、太宰の悪だくみが軸にないと始まらないけど……、あと、太宰は一体いつ着替えたんでしょうか。おれが見逃しただけ?
もう1回見たいか見たくないかで言えば、まちがいなく観たい映画だけど。うーむ。! そうか、3回ぐらい見ないと理解しづらい作りにわざとしてるのか。あー、悪だくみ☆


太宰治(擬人化)描き下ろしコラボカバー文庫

結論:文スト製作陣は爬虫類状の生き物が苦手

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かわいいのにな

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ミズオオトカゲ(爬虫類)

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ゆず茶おいしかったけど作者には熱すぎた

足もとが広くて椅子がふかふかで快適でした。

2018年6月20日 (水)

映画『犬ヶ島』

ウェス・アンダーソン監督の映画『犬ヶ島』(字幕版)を観てきました。1097体(半数くらい犬)が所狭しと動きまくるストップモーション・アニメです。

A
お客層 男女比3:7 年齢層けっこうおとな


※ネタばれの可能性があります。これから鑑賞予定の方はスクロールしないでください※


『犬ヶ島』(原題:Isle of Dogs):人間は日本語、犬たちは英語/作者が見たのは字幕版(石田泰子翻訳)だけど吹替版もアリ/101分/アメリカ・ドイツ製作/2018年
オープニングの和太鼓&バリトンサックス(?)の重低音がかっこいい。そこにリコーダー(だったかなー)のメロディが響き渡り、しかもわざわざ体育館っぽいセットと太鼓演奏する少年3人の映像である。……いる? この演奏シーン、いる? だって太鼓演奏のストップモーションわざわざ作るの、手間じゃない? …………いや、いるね☆ ストップモーションの合間合間にアニメーションも挿入されるんだけど、絵のタッチを浮世絵風にしたやつ等で、アニメーションの分量もっと多くてもよかったなー、とおもった。
ストーリーは近未来(20年後)のファンタジーな日本が舞台。ウニ県メガ崎市で犬インフルエンザ(ドッグ病)が大流行し、人間への感染拡大を防ぐために小林市長率いる反犬派によって犬はすべて「犬ヶ島」(海上のゴミ島)へ追放する法律が制定される。最初に、小林市長宅の護衛犬スポッツ(白い毛に斑点、ピンクのキュートな鼻と聡明そうな動きをする青い目を持つ大型犬)がケージに入れられた状態で放逐(ケーブル自動移送?)される。それから数ヶ月後に小林市長の養子であるアタリ少年(12歳、銀色の飛行服になぜか白足袋&下駄履き)が小型飛行機に乗って単独、愛犬(親友)スポッツをさがしに犬ヶ島へやって来る(着陸とゆうよりは墜落して)。

作者の好きなシーン①スポッツ死す?
ゴミの島でアタリの墜落を目撃した5頭の雄イヌたち(レックス、ボス、キング、デューク、チーフ)と一緒にスポッツをさがすが、見つかったのは施錠されたままの移送ケージとその中の「sports」タグ付きの犬の骸骨。
アタリが持参した鍵を差し込むと、金属質の虚しい音を立てて扉が開く。
犬たち「Owooo!」
レックス「(脱出するのに)鍵が必要だった」(英語)
つまり、親友の救助にアタリは間にあわなかった。しかし初対面の犬5頭が、いや、チーフ(黒い野良犬)は離れてたから4頭が、嘆いてくれるのである。「Owooo!」は、いいシーンだった。

作者の好きなシーン②「いい子」最強説
スポッツ探索ちゅう、ほかの4頭のイヌとはぐれてチーフとふたりだけになったアタリが「とってこい」を敢行。元・野良犬として動こうとしなかったチーフだけど
チーフ「(服従ではなく)おまえがかわいそうだからやってやる」(英語)
と棒だったか何かをとってくるシーンで
アタリ「いい子だね」
スポッツのために持ってきた犬用ビスケット(パピー・スナップ)を半分あげて今までより仲良くなった。
動物写真で著名な岩合光昭さんはBS番組で猫に「いい子だね」とやさしく声をかけながら撮影してる気がするんだけど、スタジオジブリ『風の谷のナウシカ』(1984年)ではナウシカがウシアブ(巨大な羽蟲)に対して、また『もののけ姫』(1997年)ではサンが犬神モロの子(巨大な山犬)に対して、「いい子」と言って行動を促す場面がある。
日本語で動物と仲良くなりたいとおもったら「いい子」は今のとこ最強ワード(音声言語)だとおもわれる。

作者の嫌いなシーン①竹林に傷文字?
5頭のイヌと一緒にアタリが歩き続けるシーンで一瞬、竹林っぽい場所を通過する。
「天の原」「出でし月かも」「うつりにけりな」
など、百人一首とおぼしき文字が傷で浮き出されてるのだ。
…………なんて、不吉!? とおもった。
竹は、傷から腐る⇒根まで菌が入る⇒地下茎がつながってるので株全体がダメになる⇒株が大きければ山崩れや地滑りの原因に?
とゆうことで、竹の花(稲穂みたいなヴィジュアル)が咲くのと同じぐらい厄災の前触れを感じる。いや、設定が竹林なのか、切り出した竹を垂直に立てた人工物なのかは不明だけど(1度しか見てないからびみょう)。ウェス、やめてー。もう、どうしてだれも止めてくれなかったんだ。
Aあきらかに伐採した竹に彫刻する
B生きてる竹林ならせめて墨で筆書き
どちらかでよかったじゃん、とおもう。小倉百人一首に撰ばれた順徳天皇までの歌人たちはそうゆう吉凶を1番気にしたヒトたちなのにな。いや、舞台は現実じゃなくて、ファンタジー日本だけどさー。

広くおすすめできない理由①情報が多すぎる
ウェス・アンダーソン監督ファンやストップモーション好きにはもちろんおすすめだけど、そうじゃない日本語が母国語のヒトが見たときに辛くない? もはや辛くなる情報量の多さだとおもう。背景に日本語の看板等がめちゃくちゃ配置されてるんだけど「メガ盛りラーメン40円」とかが気になってそっち読んじゃう。認知心理学の定説「画面に映りこんだ母国語の文字を無視できない」問題である。海外ニュースの街頭インタビューなんかで「待」ってプリントされたTシャツに気をとられて「待つ……? あー、侍ちがいかー」とか考えてる内にインタビューもニュースも終わってて内容わからず、みたいな現象。
どう考えても日本語が聴き取れない、少なくとも読めないヒトが鑑賞すべき映画だよな。だったら吹替版ならどうか、とおもったんだけど、美女犬ナツメグの声優がスカーレット・ヨハンソンで最高な美犬っぷり。なのでそこは変えてほしくない。そもそも人間(日本語)×犬たち(英語)のコミュニケーション交錯はこの作品において重要な気がする。うーむ。
スタッフ670人のうち500人ぐらいモデラー(パペットや小道具をコマごと分製作するお仕事)なんじゃってゆうクレジットの長さだった。少なくとも2人のJuniorモデラーもいたし。せっかく鬼のように造りこまれたストップモーション・アニメを味わうヒマがあんまない感じ。
きっと、DVDで時々停止しながらゆっくり鑑賞したほうが楽しめるんじゃなかろうか。スタンリー・キューブリック監督『バリー・リンドン』(1975年/185分)みたいに(いまでこそ「名作」と名高い映画だけど、日本での公開時には3週間とかですぐ打ち切られたらしい)。

広くおすすめできない理由②映画マニアが過ぎる
黒澤明監督へのオマージュで『七人の侍』(1954年)の劇中音源が使われてるらしい。「らしい」とゆうのは、おれ『七人の侍』見たことないんだよね。わかんなかった。『酔いどれ天使』(1948年)の歌謡曲もギター演奏で使われてるらしい。「らしい」とゆうのは(以下同文)。おれ、『野良犬』(1949年)しか見たことない気がする。そして、ウェスは『野良犬』も好きらしい。まじか、あの暗い映画すきなの……? (淡路恵子さんは不思議かわいいけど、作者は全体的にピンと来ず。街のシーンは好きかな)日本の映画だけじゃなく、ほんとに映画マニアが過ぎるヒトたちが作った映画である。見るほうが映画マニアでないことを、ゆるしてほしいとおもう。




塩野七生さんの著作の一文に「伝統があるということは、ストックがあるということ」とゆう主旨のものがあったはずなんだけど(うろ憶え)、逆にストックがあってもちゃんと伝わってないとその時点でナイのといっしょ、消滅だよな、とおもう。


まとめ:およそ3週間で打ち切り
5月25日に公開しておよそ3週間で打ち切りである(“およそ”なのはそもそも2週目には午前だけ、レイトショーだけ、みたいな上映スケジュールだった)。オリジナルグッズが当たる感想投稿キャンペーンの応募期間が6月30日までなのに……いや、これから公開する映画館もある。あと重大な問題として当初、犬が虐げられるストーリーなわけで犬好きにもいまいちおすすめしづらい、かな。驚異的な美術センスと造りこみを前にして、なぜだか心があったまらない。作者は何度考えてみても、イイ映画なのかワルイ映画なのかわからなかった。

2017年12月12日 (火)

映画『希望のかなた』

アキ・カウリスマキ監督(1957年フィンランド生まれ)の最新作『希望のかなた』を観に、渋谷ユーロスペースへ行ってきました。よかったです。でも無邪気に「さいこうです☆」とゆっていいのかわからない。さいこうなんだけどね。

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特大の屋外広告

ところで今年5月からユーロスペースでは全席指定・3日前からオンラインおよび窓口販売スタイルになってたらしい。しらなかった。便利☆

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主演シェルワン・ハジのサインは♡付き

お客層 男女比6:4 年齢層20代~70代? おひとり客が多い回だったのか落ち着いた雰囲気

※ネタバレ注意・これから鑑賞予定のかたはスクロールしないでください。


『希望のかなた』(原題『TOIVON TUOLLA PUOLEN』)/フィンランド語・英語・アラビア語・日本語字幕付き/98分/2017年
主人公でアレッポ出身の難民の青年カーリド役はシェルワン・ハジ。当て書き(さきに役者ありきで作る脚本)なのかとおもいきや、「英語とアラビア語ができて、できればフィンランド語も喋れる中東出身の俳優を探している(中略)ユーモアが理解できる人、とも」(※パンフレットのインタビューより)とゆう募集に当てはまったシェルワン。フィンランドの人口は549万人(日本でいえば北海道と兵庫県の中間規模の人口)なので、フィンランド語も話せるのすてき。長編初主演だそうだ。
もうひとりの主人公で、服飾卸商(?)からレストラン経営へ転業を画策ちゅうの首都ヘルシンキ在住のヴィクストロム役はサカリ・クオスマネン。日本でロングランヒットした『過去のない男』(2002年)では港湾警備員(ふわふわの白い雌犬の名前を聴かれ「ハンニバル!」と答えたあのヒト)だった彼です。おじいちゃんになっ……と、感じたけど作品15年も経過してた。15年分の時が流れてるのに15年分の年を取ってなかったらおかしいわね、と思い直した。

『過去のない男』(2002年)いま観ても何度観てもたのしい

もう冒頭から、アキLOVE♡
ヘルシンキの港に到着した大型の石炭運搬船から煤まみれのカーリド登場。また別の、住居らしき一室ではヴィクストロムが仏頂面でネクタイを締め、結婚指輪を妻(っぽいヒト)の前に置いてトランクを持った重い足音で出て行く。美しいクラシックカーを運転ちゅうのヴィクストロムと煤まみれのまま歩くカーリドは、道でぶつかりそうになり互いに見つめ合う。しかし避け、無言ですれちがう。で、ヴォーカルが哀切な挿入歌がはじまる。
…………こんなに色々あったのに主人公のセリフよりも挿入歌(バンド演奏)先? いいの? LOVE♡ アキ映画でおなじみ(?)の「え、この丁寧なバンド演奏シーンいる? いる? ……いや、いるね!」とゆう映像は今作でもふんだんにあってあったまる。
中盤すぎてから、難民申請者の収容施設でカーリドがリュートっぽい楽器(サズ)を演奏するんだけど「『A NIGHT WITHOUT MOON』作曲演奏シェルワン・ハジ」ってクレジット、シェルワンも多才☆

印象に残ってるのは、収容施設で出会ったイラク人青年マズダックが上着に丁寧にブラシをかけてるシーン。そしてカーリドに対して「生き延びるには明るくしたほうがいい。でも笑いすぎるな。頭がおかしいと思われる」とゆっくり話す。さらに携帯を貸してくれる。またフィンランド語でビールを2人分注文してくれる。
どうしてもこのシーンを見せたかったんだ、と思った。
でも1番びっくりしたのは、入国管理局審査の面接でポーランド(か、途中バルカンルート)で聴いたフィンランドとゆう国についてカーリドが語るシーン。
カーリド「かつて内戦を経験し難民を出した。そのことを、この国の人々はけっして忘れないと」(正確なセリフはうろ憶え)
アラビア語で。だから通訳人が管理局員の女性にフィンランド語に翻訳して伝える。しかしこの後、難民申請は却下され強制送還が決定。理由は「アレッポは安全だから」。
つらい映像だった。

ここで突然ですが、2017年12月6日に独立100周年となったフィンランドのつらい歴史○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*
そもそも中世より以前にあまり遡れない。スウェーデン王国あるいはデンマーク王国の被支配地域でぜんいんアル中の農民だったから、とゆう噂(サーミ人もフィン人も国を作らなかったようだ)。
紆余曲折=数多の戦争を経て、1809年ロシア帝国支配下のフィンランド大公国が成立。
1917年12月6日独立後、失業率悪化&食糧不足により赤衛隊(社会主義者)×白衛隊(ブルジョア)という民間人同士の残虐な戦争が勃発=1918年の市民戦争←カーリドのゆう「内戦」はこの戦争だとおもわれる
1918年5月27日白地に青十字の国旗承認
1939年11月30日~1940年3月13日ヘルシンキ空爆により冬戦争タルビ・ソタ=第一次ソ芬戦争、孤立無援のなか「モロトフのカクテル」=酒瓶+ガソリン+タールを戦車の下に放りこんで白装束スキー部隊がゲリラ戦を展開したことが有名しかしカレリア割譲により全人口の12%45万人が難民となった
1941年6月~1944年9月継続戦争=第二次ソ芬戦争
1944年9月~1945年4月ラップランド戦争は対ナチス・ドイツ、駐留ドイツ軍の国外排除を目的とする
そして2017年8月、トゥルクで起きた無差別殺傷事件はテロと断定された。同時に劇中に登場するネオナチのようなレイシストらが事件現場でヘイトスピーチを行い、追悼者と対峙したそうだ。

『雪中の奇跡』(1989年)や『世界史のなかのフィンランドの歴史』(2011年)など

ところでみんなご存知だとおもうけど、日本の難民申請の却下率はほぼ100%。2016年に難民認定されたのは28人(+在留許可97人)/10901人と冗談みたいな数字である。却下することにデメリットはあってもメリットは思い浮かばない。だから入国管理局の職員のヒトたちみんな死んだ魚みたいな目をしてるんだろうか(※個人の感想です)。むなしいレイシスト国家なんだろうね。


だが映画としては、カーリドが強制送還から逃走して不法滞在となりヴィクストロムのレストランに迷い込んでからが面白いのである。ちょう。あっさり市民カードまで偽造してあげちゃうし。なぜか「インペリアル寿司」に業態転換して失敗するし。「え、このシーンいる? いる? ……いや、いるね!」キレイな色に塗られた壁、謎の日本趣味、バンド演奏、ジュークボックス、空き瓶に活けられた一輪のテーブルフラワー、巻き煙草、見覚えのある役者のみなさん、そして犬。コイスティネン役はアキ監督の愛犬ヴァルプだ。
カーリド「(コイスティネンを抱きかかえながら)この犬は賢い。アラビア語で話しかけたらイスラム教に改宗するって。仏教よりおもしろそうだからって」
……コイスティネンさん仏教徒だったんですね。そして退屈だとおもってたんですね。きゃわ~♡

妹は見つかる。妹とは再会できる。それでもどうしても、ハッピーエンドは用意できなかったんだとおもった。



2012年の記事⇒宇宙ラジオ;地球の映画BEST10


『ル・アーヴルの靴みがき』(2011年)

2017年11月17日 (金)

映画『福島生きものの記録5』@ポレポレ東中野

ドキュメンタリー映画『福島 生きものの記録 シリーズ5~追跡~』を観に、東京都中野区にあるミニシアター・ポレポレ東中野へ行ってきました。一週間限定上映なので興味のあるかたは大慌てで行ってください。

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JR東中野駅ホームから見える線路沿い建物の地下

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階段のイス

お客層 男女比4:6? 年齢層たかめ

※ドキュメンタリー映画ですが、先入観なく見たいとゆう方にとってはネタバレに相当するので以下スクロールしないでください。

『福島 生きものの記録 シリーズ5~追跡~』岩崎雅典監督/95分/2017年
2012年から岩崎監督が福島に通って撮り続けてるシリーズの5作目。そういえば、音楽って流れてただろうか……、ナレーション、ワイパーの音、雨の音、波の音、風の音、空間線量計の警報音。なかったかな。
まず大荒れの天候のなか、福島第一原発から1km地点でのイボニシ(巻貝)の調査に同行。国立環境研究所の堀口敏宏さんは水産合羽(?)を着込みながら「(廃炉作業中の)福島第一原発になにかあったらココ(携帯?)に連絡が来ることになってる。これだけは肌身離さず身に着けていないと」と説明した。そしてテトラポッドのスキマを火ばさみ(ゴミばさみ? トング)とバケツを持って棲息調査・目視観察・採集はじめるんだけど、ザッパーンと波が高くてだいじょうぶなのか、だいじょうぶじゃないよね、と作者はハラハラして見てた。しかもチームじゃなく、生態系影響評価研究室の室長ひとりである。限られた時間(干潮のあいだだけ)しかフィールドワーク不可だから、けっこうムリするようだ。何地点目かで高波に足をとられて腰を打ちつけて撤収されてた。命がけ。
つぎにNPO法人いわき市民放射能測定室“たらちね”の福島第一原発沖における水質と魚(海釣り)調査に同行。海岸段丘を横目に船(クルーはみなさんボランティア)がすすむんだけど、揺れる。揺れる。そして酔う。作者が。映像で船酔いするなんて作者の三半規管はポンコツである。
つづいて、放射能を可視化するために放射線像(被爆したネズミやヒヨドリなどのサンプルをフィルムに半年とか長時間露光・撮像することで放射能汚染箇所が黒く浮かび上がって視覚的に分布を把握できるオートラジオグラフィ―とゆう手法)を作成してる東京大学名誉教授の森敏さんの研究室をたずねた。ヒヨドリではとくに眼球まわりと肝臓が真っ黒だったのとか、こうやって可視化できるのか、とはおもうけど結果は予想通りで驚きはない。気になったのはプレートの角度固定にサランラップを使ってた点だ。いや、クレラップか。
そして、ツバメの白斑を継続調査してる東京都市大学環境学部の北村亘さんチームに同行。まず軒先のツバメの巣のなかを長い持ち手をつけたカーブミラーで確認。親鳥がいないスキに雛鳥を捕獲。雛鳥は思いのほかおとなしくしてた。そして店先などを借りてまず首の白斑を確認、採血、血液塗抹標本を作製(血液をスライドガラスに薄くのばす、あとで染色して観察)、一方ツバメ本人は綿棒を使って止血(消毒液止血剤つき?)して足環を装着して巣に返す。標本は乾燥させたら冷蔵保存ひつようないのだろうか。なにしろツバメ夏鳥だから作業も暑そう。
これがおもしろかった。そうか、こうやって調査するのか。「調査」って聴いてもピンとこないけど(少なくとも作者は)、この手順とゆうか作業工程のディテールが知りたかったんだと思った。「それが仕事だから」と言われればそれまでだけど、みなさんすごい手際いいんだよね。「神は細部に宿る」byミース・ファン・デルローエ(1886~1969年・独建築家)
ほかにもアライグマやハクビシン(career・伝染病媒介者)が棲みついた帰還困難区域の空き家(6年)にヒトが戻ることで起こる健康被害に対する警鐘とか、だいじなことでいっぱいだった。
1番印象に残ったのは、帰還困難区域の6.0μSv/h(1時間当たりの被曝量)地点で線量計が警報音を鳴らしつづけるなか、そこに生えたモミの木の形態異常について詳しく解説する森敏さんとそれを聴き続ける岩崎監督である。警報音が蝉しぐれみたいで、まるで何でもない夏の一日に錯覚した。

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上映後トークイベント

岩崎雅典さん(監督・群像舎代表、1940年生まれ)×中村敦夫さん(俳優・作家、1940年生まれ)←※中村さんは映画には出演してません
おふたりは日本ペンクラブ環境委員会(この映画の後援も)つながりだとゆう説明から、
岩崎「(初日のゲストである元・双葉町町長の)井戸川さんに、(岩崎監督は)福島に通いすぎて具合が悪くなったんだと言われました」←ピカッとした目力☆
岩崎監督はかなり体調が優れない様子で声が出ないことを詫び、上記の話をしてからはあまり話されなかった。経緯を振り返れば、井戸川さんが本気なのか軽口なのかは判別できない。実質、東北から関東地方のぜんいんで人体実験してる現状だからな(※作者は産地によらず経口摂取するアイテムはすべて放射性検査して表示すればいいのに、と考えてます。原発事故なくたってそこらじゅうホットスポットは存在するはずで、食べる前に調べるのがリスク低い。森は除染できないし自然界は循環してるわけだから福島以外の自治体が「たまに」「適当に」検査しても無意味。オイシックス、らでぃっしゅぼーや等の宅配ビジネスができんなら標準でできるはずでは)。でも作者は皮肉よりは冗談だととらえて笑うことにした。次回作が撮れるまでよくなってほしい。
中村さんはニット帽にカラーレンズの眼鏡、ダウンベスト恰好の大柄なかたで、かっこいいのと同じぐらいちょっとこわい、と感じて作者はビビってた(客席までそこそこ距離ある)。でも椅子に腰かけた中村さんの足もとからボーダー柄ソックスが見えて、あ、こわいヒトじゃなくておしゃれなヒトだ、と思い直してホッとした。
中村「70歳を過ぎたら山頭火(種田山頭火・放浪の俳人、1882~1940年)みたいに旅に出ようかとおもってたのに、(原発事故が起きて)そうゆうわけにはいかなくなった」ようなことをおっしゃった。
中村さんといえば市川崑監修『木枯し紋次郎』(1972年)の主演、TBS系『地球発22時』(1984~1988年)の司会、そして参議院議員(1998~2004年)期には“政界の一匹狼”と呼ば……しらなかった。おれ、選挙権なかったからだろうか。
中村さんが脚本を書いた朗読劇『線量計が鳴る』について
中村「脚本を書いてだれか若いヒトにやってもらうつもりだった、でもだれも手を挙げない。だからサンプルとして2、3回やって“こうやって演ればいい”とゆうことを示したんだけど、それでもだれも手を挙げない。だからじぶんでやってる。朝日新聞の取材が来て『何回公演めざすか?』と聴くから『100回』と答えたら記事になったのでやらないわけにはいかなくなった」ようなことをおっしゃった。
そして今年10月、京都・同志社大学の寒梅館ハーディホールに招かれた公演について
中村「がんばって広いホールを用意してくれてしまって、中央の席だけでも400人入る(最大キャパ1000人)、こうゆうまじめな作品はヒトを集めるのがたいへんなんです。こんな広いところで100人ぐらいしか来なかったらかっこつかないな、とおもって(控室で?)そわそわしてたら、フタを開けてみたら大盛況で(今作の)動員記録になった」(言い回しはうろ憶え)
……かずかずの修羅場をくぐってきた中村さんでも動員とか気にするのか、と意外だ。
中村「これはなんだろう、とおもって。これは、わたしがすばらしいとかそんなことじゃなくて、(原子力政策に関する)情報が分断されていることへの怒りだとおもった」(うろ憶え)
情報と刺激を与えてくれる作品に対する熱狂、いつから日本は戦時ちゅうになったんだろうか。

「ロイヤル・シェイクスピア劇団が『リア王』をもってヨーロッパを巡業(1964年?)したときのことだが、上演の質は尻上がりに向上して、おそらく最良の出来はブダペストからモスクワにいたる間の公演だった。英語をほとんど知らない観客を前にしたとき、どんなにそれに俳優たちが左右されるか、見ていても実に興味深かった(中略)彼らの関心のあり方がどんなものであったかは、彼らの沈黙と凝視のうちによく現れていた。(中略)フィラデルフィアの観客はなるほど英語はよくわかる、だが彼らの大部分はこの作品に興味をそそられてはいなかった。(中略)人びとがあくびするのを見て、わたしは自分が悪かったのだという気がしてきた――求められているのは別のものなのだ」

高橋康也・喜志哲雄訳ピーターブルック著『なにもない空間』(1968年)

岩崎「中村さんはひとりでどんどん先へ行ってしまって、うしろにだれもついてきていない」
岩崎監督は先週「トモダチ作戦」ちゅう被爆した米兵士が東京電力を提訴した件でシカゴに呼ばれ、この映画のシリーズ②&⑤を上映してきたそうだ。毎回英語版をつくってきたがどこからも要請がなく今回はじめての上映だったと話された。中村さんはチェルノブイリに取材に行ってるしおふたりともタフで、作者ふがいなくおもう。
岩崎「森敏さんから連絡がきて、札付きになったからもう研究がしづらくなるかもしれないと言っておられた」
……! そんなあからさまに排除されんのか、さすがアカデミズム。
中村「岩崎さんは幸せになれるわけがない、(みんながやらない火中の栗を拾うためにカラダを壊して)不幸せを背負ってる」(どんな言い回しだったろうか)
岩崎「どこでも意見を言えるのは名誉教授ばかりで、現役の研究者はなにも言えないらしいです」
中村「われわれも名誉芸術家ですから」

まとめ:うれしかった
2014年、15年だったろうか、福島第一原発の元作業員が賃金未払いや危険手当の中間搾取で損害賠償訴訟を起こしたさいに、え、ちゃんと働いてたんだ。とおもった。いやだってね、一歩踏み込めばしぬかもしれない場所でいくら高額賃金を提示されても一体だれがまじめに働くとゆうのだろう。政府が「やってますやってます」と言い張るために税金をジャブジャブ投入してるポーズだけできっとなんにもしてないんでしょ、とおもってた(心理学用語ではこうゆうの学習性無力感と呼ぶらしい)。にもかかわらず、ちゃんと働いたうえに日当が手取り9000円ってどうゆうことだ、とおもった。やんなくたってだれも文句いえないぜ。文句あんならおまえがやれよ、とゆう案件である。
研究者だっておんなじである。まじめに調査すればするほど「原子力発電所ないわー」「放射性物質を右から左に移動させてなんのイミあんだよ」とゆう結論しか出てこないしそんなまともな意見だせば、名誉も収入も許可も籍も席もなくなる。デメリットあってメリットなし。でも、大真面目にちゃんと調査してる研究者の方々とボランティアの方々が実在した。衝撃である。うれしいし、よかったと思った。
そして岩崎監督も中村さんも心配してるのだ、と感じた。まるでじぶんのことみたいにとくに「これから生まれくる者たち」を心配して奮闘されてるのだとおもった。


「誰が『原子力ムラ』の村長さんか、この40年間ずっと見てきましたが、どうもいないようです。日本人得意の、阿吽の呼吸でムラを回しているのが本当のところだと思います。ただ50年前、60年前はいました。今でも元気な中曽根康弘さんと、亡くなった読売新聞の正力松太郎さんです。あの二人が日本の原子力を始めたのは確かです」

『新聞うずみ火連続講演熊取六人組原発事故を斬る』(2016年)

作者は豊島区高田(中曽根康弘さんの自宅)と渋谷区富ヶ谷(安倍晋三さんの自宅)の地下500mに放射性廃棄物の地層最終処分場つくったらいいとおもってて、だって安全なんでしょ? やっぱり言いだしっぺが責任とるのが筋じゃないのかな。ただ地下水がでるか、温泉がでるか、天然ガスがでるか、するだろうけどそれでも方向性はそれでいきたい。

2017年8月11日 (金)

上映会『ウルトラセブン』@鶴川ポプリホール

鶴川ショートムービーコンテスト2017プレ・イベント『月イチ映画上映会・ウルトラセブン~放送50年記念企画~飯島敏宏&実相寺昭雄特集上映』を観に、小田急線・鶴川駅そばの和光大学ポプリホールへ行ってきました。
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外観

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ホール入口はB2F

2012年オープンの複合施設(図書館・カフェ・住民票交付できる市の窓口)で吹き抜けのスッキリした建物。ホール(定員300)で映像観れるのいいよね。

お客層 大人チビッ子比 4:6 男女比 4:6?
自由席だしボランティアでやってる上映会とのことで早めに行ったら予告編が15分あった。「鶴川ショートムービーコンテスト2017プレ・イベント」なのでいいんだけど、ゆってほしかったかも。

上映ラインナップ:第8話『狙われた街』、第39話『セブン暗殺計画・前編』、第40話『セブン暗殺計画・後編』、第43話『第四惑星の悪夢』(1967年)
第8話&第43話=実相寺昭雄監督、第39話&第40話=飯島敏宏監督の作品


内容をご存じない方はamazonプライムで見放題

感想:酔った
「酔いしれる」ほうじゃなくて「乗り物酔い」のほう。画面全体をグルグルする映像があって、まずいとおもった時には手遅れ。CGよりハンドメイド(CGだって美術さん大変だけど)のサイケ映像のがパンチ強い。ナチュラル・ボーン・サイケ。映像は観たいが体調はグロッキー状態で記憶がパッとしない。60年代にイメージされた「ハイテク」のローテク具合の異次元感もサイケだと再認識した。特撮ヒーロー(つくるのも撮るのもちょう大変だっただろな、とはおもうけど)に縁のない作者でもピンと来るのは「ウルトラ怪獣、かわいいよなー」とゆうキモチ。『狙われた街』メトロン星人のイカ感とネオンサインか誘導灯のようなピカピカ点滅仕様……かわい☆ 作者、一切の特撮ヒーロー作品見たことなくてもウルトラ怪獣はかわいいとおもってて、tvk等で放送してたウルトラ怪獣が主役のコントやミニドラマのオムニバス番組『ウルトラゾーン』すきだった(マニアがいた人気番組『戦国鍋TV』2012年放送終了のスタッフさんが作ってたらしい)。本編をちゃんと知っておくべきかとおもったんだけど、ざんねんなことに怪獣しか好きじゃないようだ。



まとめ:おれ、ヒーローに興味が薄いらしい



せっかく飯島敏宏監督ご本人いらしてたのにな(悔)

2017年6月11日 (日)

映画『ローマ法王になる日まで』

映画『ローマ法王になる日まで』を観に、東京・新宿シネマカリテへ行ってきました。

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劇場ロビーのアクアリウム(近づくと讃美歌が流れる仕様)

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ヒレナガニシキゴイの背景に十字架

写真だとお澄まし顔(?)だけどみょうに人懐っこいコイでかわい♡ とガラス張りつきである。そして「ヒレ長」だけあって柔らかく広がるヒレの優雅さがすごい。

※※ネタばれ注意※※

『ローマ法王になる日まで』113分/スペイン語&ドイツ語&イタリア語・日本語字幕つき/2015年
伊ダニエーレ・ルケッティ監督
爾ロドリゴ・デ・ラ・セルナ主演(⇒後半は智セルヒオ・エルナンデス)

第266代ローマ法王フランシスコ(2013年3月13日就任~、欧州以外から法王が選ばれるのは約1300年ぶり、中南米出身者は初)=ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(1936年生まれ)の若いころを描いた宗教映画……かとおもって行ったら、ぜんぜんちがった!
ホルヘがイエズス会のアルゼンチン管区長になったのはビデラ将軍による軍事独裁政権(1976~1983年)時代で、それは予告編で知ってたんだけど……そもそもホルヘが学生時代に酒場で口論になるペロンって1955年に失脚した独裁者じゃなかったっけ……? (ペロンは三選した政治家)おれ、ボルヘス(詩人1899~1986年)の経歴を通して薄らぼんやりとしかアルゼンチンのイメージを持ってないことが発覚した。ごめん、アルゼンチン。
冒頭ローマのサン・ピエトロ大聖堂を前に祈らずにメロディーを懐かしむホルヘ(ビデラ将軍も詩人ボルヘスもファーストネームはホルヘだけど、まあいいや)の独白場面で流れるギターの澄んだ音色までは心地よかったんだけどね。
前半の前半において、2人の司祭が銃殺された場面の臨場感に「まずい、これは雲行きがあやしい」と察したがもはや手遅れ。
独裁政権はペロン時代の経緯で左傾化していたゲリラを治安維持の名目で弾圧。弾圧されたヒトたちが助けを求めたのは教会。彼ら彼女らを匿った司教(ホルヘの友人?)が暗殺される。ホルヘもこっそり神学生として匿ったり国境まで逃がしたりするが政権癒着の司祭(部下にあたる)に密告される。その後も暗殺、密告、拷問、虐殺の繰り返し。しかもこんなに臨場感のある映像にしなくても……! とゆう内容で胸が痛む。軍部の弾圧により「行方不明」になった市民(じっさいにゲリラかどうかも不明)は推計3万人ともいわれるらしいが数すら不明。痛めつけられゴミのように捨てられたヒトたち(映画だから役者さんだけども)の姿もかなしいけど、1番かなしいのは暗殺し密告し拷問し虐殺したヒトの手だ。
1980年前後の首都ブエノスアイレスを再現してるのか、それともいまでもこうゆう街並みなのか知らないんだけど裁判所の壮麗さとか“南米のパリ”はほんとだったんだ、とゆう感想と街行くヒトがパンタロン(日本では1960~70年代に流行したベルボトム型のパンツ)穿いてる! とか公衆電話のかんじとか画は楽しいんだけどね。
ホルヘ「por favor」
あと、スペイン語がとても聴きとりやすく「お願いします」って台詞おおかった気がする。
ホルヘは表立って行動せず調停し自重をうながし人道的立場からの進言とゆう形で意見し独裁政権の終焉まで生き残る。その消極性は軍事政権に加担したとみなすべきだろうか。ゲリラの形態にしろ行方不明者捜索の形態にしろ人道支援の形態にしろ表立って行動したヒトたち=ホルヘの友人たちは殺された。正義感の強い、ヒトを見殺しにできない、おのれの犠牲を顧みない、勇気あるヒトたちから順番に。では、生き残ったホルヘはなんなのか。罪悪感をかかえたままドイツ留学へ。
で、帰国したホルヘは母国アルゼンチンで平穏な日々を過ごすのかとおもいきや、今度は資本主義が襲ってきた! いそがしい。立ち退きを迫られた首都スラムの貧民(追い詰められ暴発寸前)のために奔走するも裏切られしかし枢機卿(上司にあたる)を連れてきてミサ。いそがしい。この場面を盛り上げるストリングスはきれいすぎて反則。
ラストはベネディクト16世の退位によりコンクラーベで選出されたホルヘが雨のサン・ピエトロ広場で集まった聴衆に挨拶したときの実際の映像だ。
フランシスコ「こんばんは」(笑顔)←「Buonasera」と言ったかはうろ憶え
……教皇、フツウ!

作者はもともとカトリックにいいイメージがない。イエス青年は最初から最後までユダヤ教徒だったはずである。ユダヤ教原理主義過激派とも呼べる言動の数々をユダヤ教既得権層に忌避され、当時のパレスチナ地域の支配者だったローマ帝国のピラト総督が処刑してくれることを願って讒言しつつ引き渡したのであって(これは新約聖書の内容なのでユダヤ教徒は異議アリかとおもう)、「ローマ帝国が(とくに初期)キリスト教徒を迫害した」なんて史実存在しないとおもうんだけど、なんで日本でそうゆうことになってるの? え、おれが間違ってるの?
J.S.バッハ『ヨハネ受難曲』の合唱にある。
「Wäre dieser nicht ein Übeltäter,wir hätten dir ihn nicht überantwortet.」
(この男が悪いことをしていなかったなら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう)


イエス青年の死後、思い込みの激しいパウロ(※あくまでも作者のイメージ)が布教したところからもう間違ってるとおもう。さらに紀元後4世紀になってキリスト教を良くも悪くも拡大させたのは表の立役者がコンスタンティヌス帝(在位306~337年)、陰の立役者がアンブロシウス司教じゃなかろうか。宗教じゃなく政治的な理由で。そうゆうやり口、イエス青年は嫌いだとおもうのよね。

「豪華な冊子本の偉大な時代は紀元後4世紀に始まった。そして4世紀の末ごろにはすでに教父ヒエロニムスは、貴族層の要請で作られた聖書の豪華版がもたらした表面的な華美な風潮にいきり立って、次のように述べている。
『キリストが裸でお前たちの家の門前に立ち、死んだというのに、羊皮紙は紫に染められ、文字は金色で書かれ、書物は貴金属で装飾されているとは』」


ホルスト・ブランク『ギリシア・ローマ時代の書物』(1992年)

様式が豪華すぎると(美術としては大歓迎だけど)ピンと来ない。もしもイエス青年が地上に戻って来たらバチカン、爆破されるんじゃないかな、って心配になる。あのヒト、潔癖だったよね(※あくまでも作者のイメージ)。
ご存知ないかたのために説明すると第266代ローマ法王フランシスコは「ロック・スター法王」とあだ名される人気者である。いそがしい。あっちでモメモメしてると聴けば出かけて行きツイッターも使って仲裁し、こっちでホームレスがたおれてると聴けば食べ物を持って行き、2015年にはロックアルバムを配信し……「雨ニモマケズ」東奔西走してるらしい。
ただ母国アルゼンチンの人権侵害裁判でビデラ将軍が終身刑の有罪判決を受けたのは2010年のこと、獄死したのは2013年5月のことである。殺されてしまっては元も子もない。でも「見殺しにした」罪悪感と後悔があるならそのほとんどをアルゼンチンのために注力しても他国のヒトは文句いわないんじゃないかな。今夏あたり来日するってウワサもあるんだけど来なくていいよね。母国だいじにしてほしいな。

まとめ:宗教宣伝映画ではなく、現代アルゼンチンの大規模な人権侵害虐殺事件においてカトリックが非難よりも保身をとった映画

2015年11月21日 (土)

『ロストックの長い夜』@東京ドイツ文化センター

ブルハン・クルバニ監督(1980年生まれ・ご両親がアフガニスタンから亡命したドイツ生まれドイツ育ち)による日本初上映の映画『ロストックの長い夜』を観に、東京・赤坂にある東京ドイツ文化センターへ行ってきました。
毎年(?)新作のドイツ映画を紹介&上映するドイツ文化センターのプログラム『2015ドイツ映画 映像の新しい地平』で、今年は4日間開催で全4作品でした。
2013年の記事⇒ドイツ文化センター『Glück

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赤レンガ外観のドイツ文化会館内ホールで上映会です

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吹き抜けの左手がホール、正面には中庭、右手にはドイツパンが買えるカフェレストランあります(写ってないけど)

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1上映参加費600円、2回券は1000円

お客層 男女比 6:4 年齢層 20代~60代寄り重心
スタッキングチェアが並べられたホール(200席くらい?)は盛況でもしずかでした。

※過去の事件が題材だけどいちおうネタバレちゅうい

『ロストックの長い夜』2014年128分 ドイツ語・ベトナム語・日本語字幕付き
ベルリンの壁崩壊(1989年11月、東西ドイツ再統一は1990年10月)後の1992年8月、旧・東ドイツのバルト海に面した港湾都市ロストックが舞台。実際にロマ(ジプシー)に対する迫害と強制移送をきっかけに飛び火したベトナム人労働者住居(建物は亡命申請者登録センターひまわり団地)への放火襲撃事件の長い1日を、襲撃した側のドイツ人青年=シュテファン(いちおうネオナチズム)、その父親の市議会議員=マルティン(役職はうろ覚え)、襲撃された側のベトナム人女性=リエン、をはじめとして多くの登場人物の立場から複眼的に描かれた作品。
ちびっこたちが買い物カートをひきずる、カシャンカシャンという乾いた金属音と空きビンを拾い集める高いガラス音ではじまる。映像はモノクロ。そしてクライマックスでモノクロからカラーに切り替わる瞬間の90年代初頭の憂愁に胸がざわつく。
画がずっときれい。端から端までどこにもスキがない。←2015年ドイツ映画賞の作品賞や撮影賞にノミネートされたらしい。つまり受賞はしていないらしい。あれ? 助演男優賞受賞。
音の使い方も意図的、というかデザイン的。テレビの音声、ラジオの音声、留守電、当たり前のように人々が口ずさむナチス・ドイツの行軍歌(?)とか、いつのまにかセリフが180度入れ替わってしまうシュプレヒコールとか、工場の低いモーター音とかオペラのレコードとか、ぜんぶシンボリックだったようにおもう。
市議会議員宅の庭に何気なく置いてあるビーチチェアとか回る洗濯物干しとか、あるいはベトナム人住居の家具にのせられた神棚とか、自然に置いてあるアイテムひとつひとつがそれぞれの生活ぜんぶを凝縮していて妙に物悲しい。こういうちょっと断片的な要素を積み重ねた映像っていうのは、だれかの記憶か、夢の中っぽい。
どのみち事件は起こっちゃうし、話すと長くなるのでざっくり。印象的だったのは事件の直前、ひまわり団地を出て仕事へ行こうとしたリエンとすれ違いざま、ドイツ人少年たちが「この細目!(←ベトナム人というよりはアジア人に対する差別用語っぽい)」「ベトナム女!」と言ってからむ。でも3人連れ立っているうちの1人が「やめろよ、(リエンに対して)ごめんよ」と制止してそのまま行き過ぎる場面。だいたい3人くらいいたら1人は止めるもんだよなー。常にその%でいけば事件起きない気がするけど、じっさいにはずっと繰り返しているわけで。
シュテファン「父さんは無理してる。雨が降っているのに晴れているとおもいこもうとして」

すでに死んだ者たちの言葉を借りよう。

マルクス・トゥッリウス・キケロー(紀元前106年~前43年?・共和政ローマの弁論家)
「人生を支配するのは、運命であって知恵ではない。」

木村健治・岩谷智訳『キケロ―選集12』

ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前4年~前65年?・古代ローマ帝国の有名哲学者)
「幸福な生について論じる際、元老院の議決の仕方にならって“こちらのグループのほうが多数と思われる”などと答えてよい理由はない。多数だからこそ、かえって悪いのである。およそ人の世の営みには、より善きものが多数の者に是とされるほどの合理性はない。大衆の是認こそ、最悪のものであることの証にほかならない」

大西英文訳『生の短さについて他2篇』

シシリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド(1910年~1997年・英国の歴史家)
オラニエ公ウィレム(1533年~1584年・オランダ独立の立役者)の著作において
「(中略)しかしウィレムは、人間をその信仰のせいで地獄に落とすほど、神がそんなに残酷で不合理であろうとは、とても信じられなかった。彼は世間を知った人間であり、世の百人の男女のうち、自分が信じていること、なぜ信じているか、を十分に理解している者が一人いるかいないかだ、ということを知っていた」

瀬原義生訳『オラニエ公ウィレム―オランダ独立の父』

ハンス・ヤーコプ・クリストフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(1621年~1676年?・『阿呆物語』は1668年初版・17世紀ドイツのバロック時代を代表するベストセラー)
「最後の審判が近いと信じられている今の世には、身分のいやしい人々の間に不思議な病いが流行するようになった。その病いにかかった人々は、あくせく働いて小金をため、少しふところが温かになると、絹のリボンでぎっしり飾られたこのごろ流行のちんちくりんな服を着こみ、そしてまた、思わぬ運がひらけて偉くなるとか、人に知られるほどの者になるとかすると、さっそく由緒の古い騎士や貴族の後裔を気どり始める。」

望月市恵訳『阿呆物語』

ウィリアム・H・ホワイト(1917年~1999年・アメリカの評論家)
「個人と社会との間の相剋は常に存在する。つねに存在しなければならない。イデオロギーはいくら望んでもそれを撤去することはできない。組織によって提供される精神の平和は、ひとつの屈服であり、それがどんなに恩恵的に提供されようと屈服であることに変りはないのである。それが問題なのだ。」

岡部慶三・藤永保訳『組織のなかの人間』

ミヒャエル・エンデ(1929年~1995年・ドイツの作家)
「(中略)いいですか、しっかりながめてみれば今日では結局のところ、ただひとつの文明しか存在していません。そしてそれは、西欧の工業文明なわけです。どこへ行っても、かならず出くわすのは工業製品でしょう。(中略)アジアの文化では工業社会はメンタリティーに対立するものであり、結局すべてが押しつけなので問題はいっそう深刻なわけです。(中略)これから私たちは突き破るしかありません。これらの問題の解決法を準備する。それが、これらの問題を生まれさせた古いヨーロッパの呪われた義務であり責任である、とおもいます」

丘沢静也訳『闇の考古学―画家エドガー・エンデを語る』


そういえば、前出のオラニエ公ウィレムは2度暗殺されている。1度目に暗殺されたとき(結果的に回復して未遂)、こう言ってから倒れたと伝わる。
ウィレム「わたしは、わたしを殺したこやつを許してやる」

「すでに死んだ者たちのもとに」「まだ生まれない者たちのもとに」はパウル・クレー(1879年~1940年・スイスの画家)の墓に刻まれているという文字です。

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亡命者を含む外国人排斥の暴力的(正面でも言葉の端々でも)な光景はクルバニ監督にとっての子どものころの鮮烈な記憶だったらしい(画はチラシ)

2014年10月29日 (水)

映画『聖者たちの食卓』

映画『聖者たちの食卓』を観に、東京・新宿のK’s cinema(ケイズシネマ)へ行ってきました。

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ケイズシネマ外観

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ビル入口エレベーター脇に上映時間案内

お客層不明 男女比5:5? モーニング上映・予告編なし本編のみ

※ドキュメンタリー映画でネタもなにもないけど公開ちゅうなのでネタばれちゅうい

『聖者たちの食卓』2011年ベルギー・フィリップウィチュス&ヴァレリーベルト監督(←2人とも映像作家で料理人らしい) 65分 ごくまれに日本語字幕付き(セリフなし)
アップリンク配給なので渋谷では先月からカレー付き上映とかいろいろ面白そうなイベントをやっていたみたいなのですが、時間合わず。むねん。
場所はインド/パキスタン国境付近パンジャーブ州のアムリトサルにあるシク教の総本山・観光地のハリマンディル・サーヒブ=黄金寺院。白い大理石に囲まれた池に建つ、四角いピカピカの建物……ではなく、その寺院に併設された“FREE KITCHEN”こと無料共同食堂が舞台。1回5000人、1日10万人が食事する施設を支えるボランティアの手が主役である。
はじめアムリトサルの風景からはじまったんだけど、画面が白っぽい。朝霧……? かと一瞬おもったけど土埃か(説明の字幕見逃していたら謝ります)。荷車を引く馬や牛。通行人(わざわざバイクを降りて)が寺院の入口前で立ち止まり、大理石に触れ、じぶんの頭に触れ、じぶんの胸に触れる、という礼拝を(無理に日本でいえば神社の鳥居前で一礼するかんじ)してから通過する。説明なしで土着の寺院であることがわかる。
まずは畑で収穫。手で。トラクターもクワもなし。素手(軍手もしない)でとんでもない速さで掘り起こされる芋(?)や豆(?)。おなじ作業を黙々としているんだろうな、という手さばきである。そのあと食材はパッと見、市場のような場所へ集積される。入口の屋根に「現世での善行が天国への……」みたいな幕がかけてあった。精神的には一日一善みたいな解釈でいいのだろうか。それとも……? ターバンにヒゲ、白シャツに白ワイドパンツの男性、あるいはスカーフを巻いてサリーを着た女性が大勢床にあぐらで座り込んでいる。みんな銀色の細いバングルを片腕、あるいは両腕の手首につけていた。
目的は食材のカット。床にはシートがひいてあって、それぞれが持っている小さなナイフで、にんにくの皮むきなどを黙々と行い皿にのせ量がたまったら食材回収係(人垣の間をうろうろしている)がキッチンへ運ぶ、というオペレーションのようだ。玉ねぎ担当エリアはみんな泣いている。
作るのは鍋でカレー、鉄板でチャパティと呼ばれるナンの小さくて円形バージョンのような素朴な小麦パン。監督が機械を使わないオペレーションと人々のボランティア精神に感激しているらしく、作業ちゅうのみなさんの手のアップが多い。半屋外の施設は天井に扇風機がついている。が、あつそう。
食堂では食事をする人々が手洗い&足洗い後、列を作り、ターリーと呼ばれる銀色の食器(日本では給食に使うような仕切り付きの円形皿)を配られ、カレー&チャパティを銀色のバケツとおたまで配膳、食後は食器洗いと食堂の清掃(トンボを使って床洗い)、腰掛け用の絨毯も丸洗い。洗い終わったら再び5000人の配膳。ほかに寺院建物の清掃(布で磨く)や池(“不老不死の甘露の泉”というらしい)での沐浴など。あたりが暗くなってからも続く。
作者の説明だけだと巨大食堂・巨大給食の裏側みたいだけど、なにしろここはインドのパンジャーブ州=農村穀倉地帯である。教師のこどもは自動的に教師っていう(農村部では特に根強いらしい)カースト制度(ヒンドゥー教義。シク教ではカーストは否定されている)の国で、男女子どもが一緒に調理作業&食事&清掃。さらに16世紀からずっと続いているらしい。近年では寺院は政治的なモメ事による事件の地のイメージもあるけど。きっちりアジールとして機能しているわけである。
チラシには「……今の日本でこんなことは、ほぼ実現しえないだろうことが残念……by山本謙治」みたいなコメントが多数なんだけど、素朴で機能的なオペレーションとボランティア精神に感激しすぎ? 近代化都市化日本は悪<田舎の無償精神を持つインド善、みたいな地元の事情を考慮の外側に置いたステレオタイプな意見って失礼なんじゃなかろうか(感想なんて人それぞれ。ただ監督は感動して撮影しているのがビシビシ伝わってくる)。それに作者は四国お遍路さんのお接待文化とか色々ちょういいじゃん、とおもっております。
映像はよかった。

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フライヤーはこんなかんじ

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定員84名イスふかふか☆ちょう快適

2014年10月23日 (木)

映画『まほろ駅前狂騒曲』

映画『まほろ駅前狂騒曲』を観に、神奈川県川崎市のイオンシネマ新百合ヶ丘へ行ってきました。

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ワーナー・マイカルじゃなくなってから初めて来た(看板かけかえただけで中身いっしょかとおもったけど、バッグスバニーやミーミーがいなかった。がっかり。予告編も性に合わなかった。がっかり×2)

お客層 男女比1:9 年齢層 平均するとアラサーくらい?
三浦しをんさん原作小説“まほろ駅前”シリーズの映像化第3弾(『まほろ駅前多田便利軒』は2011年に映画公開、『まほろ駅前番外地』は2013年テレビ東京のドラマ放送、シリーズ完結(?)の『まほろ駅前狂騒曲』が今回の2014年映画公開)です。


①『まほろ駅前狂騒曲』本編 124分・日本語
内容はさておき(重要)、映画館の特大スクリーンに町田リス園のタイワンリスたちが……! おれの、おれのやぶれ耳ちゃんたちが、こんな大画面にどアップで怖気づくことなく演技を……!!! 感無量☆ よよよ(涙)←“おれの”というのは、あくまで気持ちです。そして演技ではなく、いつも通りの食いしん坊を発揮してカリカリしていただけです。
作者は大満足であった♪ (タイワンリスたちの出演はぜんぶで数十秒たらず)。

②舞台挨拶
登壇者=大森監督・瑛太・松田龍平・横山幸汰・岩崎未来
上映後というタイムスケジュールだったため本編エンドロール終了後そわそわ緊張しはじめるお客たち。まじめだな。
そして客席との質疑応答のあいだ、なんとなく足元に視線を落とすクリエーター気質の大森監督、客席をじっと観察する生真面目な瑛太、斜めのスタンスでだれよりもはやく舞台から去ったカリスマ体質の龍平(風邪をひいていたせいかも)、たぶんこのなかで1番野心家な由良役の横山幸汰くん、赤いドレス姿で舞台に花を添えていた6歳の未来ちゃん、というかんじで人間味はみでていて楽しかったです。

とくに三峯はる役の子役・岩崎未来ちゃんの発言がきゃわ~♡ でした。
(撮影について)「大変だったことは、バスジャックがはじめてだったのでこわかったのと、たのしかったことはリスがかわいかったことです!」
……あの傍若無人なヒャッハー☆タイワンリスたち(シマリスとかもいるけど)をカワイイと感じるなんて、鷹揚で骨のあるお子さんだな(なにしろ泣きだす子もいる)。いい子だ!

リス好きは見逃せない映画だ!
※個人の感想です。

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