2017年11月17日 (金)

映画『福島生きものの記録5』@ポレポレ東中野

ドキュメンタリー映画『福島 生きものの記録 シリーズ5~追跡~』を観に、東京都中野区にあるミニシアター・ポレポレ東中野へ行ってきました。一週間限定上映なので興味のあるかたは大慌てで行ってください。

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JR東中野駅ホームから見える線路沿い建物の地下

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階段のイス

お客層 男女比4:6? 年齢層たかめ

※ドキュメンタリー映画ですが、先入観なく見たいとゆう方にとってはネタバレに相当するので以下スクロールしないでください。

『福島 生きものの記録 シリーズ5~追跡~』岩崎雅典監督/95分/2017年
2012年から岩崎監督が福島に通って撮り続けてるシリーズの5作目。そういえば、音楽って流れてただろうか……、ナレーション、ワイパーの音、雨の音、波の音、風の音、空間線量計の警報音。なかったかな。
まず大荒れの天候のなか、福島第一原発から1km地点でのイボニシ(巻貝)の調査に同行。国立環境研究所の堀口敏宏さんは水産合羽(?)を着込みながら「(廃炉作業中の)福島第一原発になにかあったらココ(携帯?)に連絡が来ることになってる。これだけは肌身離さず身に着けていないと」と説明した。そしてテトラポッドのスキマを火ばさみ(ゴミばさみ? トング)とバケツを持って棲息調査・目視観察・採集はじめるんだけど、ザッパーンと波が高くてだいじょうぶなのか、だいじょうぶじゃないよね、と作者はハラハラして見てた。しかもチームじゃなく、生態系影響評価研究室の室長ひとりである。限られた時間(干潮のあいだだけ)しかフィールドワーク不可だから、けっこうムリするようだ。何地点目かで高波に足をとられて腰を打ちつけて撤収されてた。命がけ。
つぎにNPO法人いわき市民放射能測定室“たらちね”の福島第一原発沖における水質と魚(海釣り)調査に同行。海岸段丘を横目に船(クルーはみなさんボランティア)がすすむんだけど、揺れる。揺れる。そして酔う。作者が。映像で船酔いするなんて作者の三半規管はポンコツである。
つづいて、放射能を可視化するために放射線像(被爆したネズミやヒヨドリなどのサンプルをフィルムに半年とか長時間露光・撮像することで放射能汚染箇所が黒く浮かび上がって視覚的に分布を把握できるオートラジオグラフィ―とゆう手法)を作成してる東京大学名誉教授の森敏さんの研究室をたずねた。ヒヨドリではとくに眼球まわりと肝臓が真っ黒だったのとか、こうやって可視化できるのか、とはおもうけど結果は予想通りで驚きはない。気になったのはプレートの角度固定にサランラップを使ってた点だ。いや、クレラップか。
そして、ツバメの白斑を継続調査してる東京都市大学環境学部の北村亘さんチームに同行。まず軒先のツバメの巣のなかを長い持ち手をつけたカーブミラーで確認。親鳥がいないスキに雛鳥を捕獲。雛鳥は思いのほかおとなしくしてた。そして店先などを借りてまず首の白斑を確認、採血、血液塗抹標本を作製(血液をスライドガラスに薄くのばす、あとで染色して観察)、一方ツバメ本人は綿棒を使って止血(消毒液止血剤つき?)して足環を装着して巣に返す。標本は乾燥させたら冷蔵保存ひつようないのだろうか。なにしろツバメ夏鳥だから作業も暑そう。
これがおもしろかった。そうか、こうやって調査するのか。「調査」って聴いてもピンとこないけど(少なくとも作者は)、この手順とゆうか作業工程のディテールが知りたかったんだと思った。「それが仕事だから」と言われればそれまでだけど、みなさんすごい手際いいんだよね。「神は細部に宿る」byミース・ファン・デルローエ(1886~1969年・独建築家)
ほかにもアライグマやハクビシン(career・伝染病媒介者)が棲みついた帰還困難区域の空き家(6年)にヒトが戻ることで起こる健康被害に対する警鐘とか、だいじなことでいっぱいだった。
1番印象に残ったのは、帰還困難区域の6.0μSv/h(1時間当たりの被曝量)地点で線量計が警報音を鳴らしつづけるなか、そこに生えたモミの木の形態異常について詳しく解説する森敏さんとそれを聴き続ける岩崎監督である。警報音が蝉しぐれみたいで、まるで何でもない夏の一日に錯覚した。

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上映後トークイベント

岩崎雅典さん(監督・群像舎代表、1940年生まれ)×中村敦夫さん(俳優・作家、1940年生まれ)←※中村さんは映画には出演してません
おふたりは日本ペンクラブ環境委員会(この映画の後援も)つながりだとゆう説明から、
岩崎「(初日のゲストである元・双葉町町長の)井戸川さんに、(岩崎監督は)福島に通いすぎて具合が悪くなったんだと言われました」←ピカッとした目力☆
岩崎監督はかなり体調が優れない様子で声が出ないことを詫び、上記の話をしてからはあまり話されなかった。経緯を振り返れば、井戸川さんが本気なのか軽口なのかは判別できない。実質、東北から関東地方のぜんいんで人体実験してる現状だからな(※作者は産地によらず経口摂取するアイテムはすべて放射性検査して表示すればいいのに、と考えてます。原発事故なくたってそこらじゅうホットスポットは存在するはずで、食べる前に調べるのがリスク低い。森は除染できないし自然界は循環してるわけだから福島以外の自治体が「たまに」「適当に」検査しても無意味。オイシックス、らでぃっしゅぼーや等の宅配ビジネスができんなら標準でできるはずでは)。でも作者は皮肉よりは冗談だととらえて笑うことにした。次回作が撮れるまでよくなってほしい。
中村さんはニット帽にカラーレンズの眼鏡、ダウンベスト恰好の大柄なかたで、かっこいいのと同じぐらいちょっとこわい、と感じて作者はビビってた(客席までそこそこ距離ある)。でも椅子に腰かけた中村さんの足もとからボーダー柄ソックスが見えて、あ、こわいヒトじゃなくておしゃれなヒトだ、と思い直してホッとした。
中村「70歳を過ぎたら山頭火(種田山頭火・放浪の俳人、1882~1940年)みたいに旅に出ようかとおもってたのに、(原発事故が起きて)そうゆうわけにはいかなくなった」ようなことをおっしゃった。
中村さんといえば市川崑監修『木枯し紋次郎』(1972年)の主演、TBS系『地球発22時』(1984~1988年)の司会、そして参議院議員(1998~2004年)期には“政界の一匹狼”と呼ば……しらなかった。おれ、選挙権なかったからだろうか。
中村さんが脚本を書いた朗読劇『線量計が鳴る』について
中村「脚本を書いてだれか若いヒトにやってもらうつもりだった、でもだれも手を挙げない。だからサンプルとして2、3回やって“こうやって演ればいい”とゆうことを示したんだけど、それでもだれも手を挙げない。だからじぶんでやってる。朝日新聞の取材が来て『何回公演めざすか?』と聴くから『100回』と答えたら記事になったのでやらないわけにはいかなくなった」ようなことをおっしゃった。
そして今年10月、京都・同志社大学の寒梅館ハーディホールに招かれた公演について
中村「がんばって広いホールを用意してくれてしまって、中央の席だけでも400人入る(最大キャパ1000人)、こうゆうまじめな作品はヒトを集めるのがたいへんなんです。こんな広いところで100人ぐらいしか来なかったらかっこつかないな、とおもって(控室で?)そわそわしてたら、フタを開けてみたら大盛況で(今作の)動員記録になった」(言い回しはうろ憶え)
……かずかずの修羅場をくぐってきた中村さんでも動員とか気にするのか、と意外だ。
中村「これはなんだろう、とおもって。これは、わたしがすばらしいとかそんなことじゃなくて、(原子力政策に関する)情報が分断されていることへの怒りだとおもった」(うろ憶え)
情報と刺激を与えてくれる作品に対する熱狂、いつから日本は戦時ちゅうになったんだろうか。

「ロイヤル・シェイクスピア劇団が『リア王』をもってヨーロッパを巡業(1964年?)したときのことだが、上演の質は尻上がりに向上して、おそらく最良の出来はブダペストからモスクワにいたる間の公演だった。英語をほとんど知らない観客を前にしたとき、どんなにそれに俳優たちが左右されるか、見ていても実に興味深かった(中略)彼らの関心のあり方がどんなものであったかは、彼らの沈黙と凝視のうちによく現れていた。(中略)フィラデルフィアの観客はなるほど英語はよくわかる、だが彼らの大部分はこの作品に興味をそそられてはいなかった。(中略)人びとがあくびするのを見て、わたしは自分が悪かったのだという気がしてきた――求められているのは別のものなのだ」

高橋康也・喜志哲雄訳ピーターブルック著『なにもない空間』(1968年)

岩崎「中村さんはひとりでどんどん先へ行ってしまって、うしろにだれもついてきていない」
岩崎監督は先週「トモダチ作戦」ちゅう被爆した米兵士が東京電力を提訴した件でシカゴに呼ばれ、この映画のシリーズ②&⑤を上映してきたそうだ。毎回英語版をつくってきたがどこからも要請がなく今回はじめての上映だったと話された。中村さんはチェルノブイリに取材に行ってるしおふたりともタフで、作者ふがいなくおもう。
岩崎「森敏さんから連絡がきて、札付きになったからもう研究がしづらくなるかもしれないと言っておられた」
……! そんなあからさまに排除されんのか、さすがアカデミズム。
中村「岩崎さんは幸せになれるわけがない、(みんながやらない火中の栗を拾うためにカラダを壊して)不幸せを背負ってる」(どんな言い回しだったろうか)
岩崎「どこでも意見を言えるのは名誉教授ばかりで、現役の研究者はなにも言えないらしいです」
中村「われわれも名誉芸術家ですから」

まとめ:うれしかった
2014年、15年だったろうか、福島第一原発の元作業員が賃金未払いや危険手当の中間搾取で損害賠償訴訟を起こしたさいに、え、ちゃんと働いてたんだ。とおもった。いやだってね、一歩踏み込めばしぬかもしれない場所でいくら高額賃金を提示されても一体だれがまじめに働くとゆうのだろう。政府が「やってますやってます」と言い張るために税金をジャブジャブ投入してるポーズだけできっとなんにもしてないんでしょ、とおもってた(心理学用語ではこうゆうの学習性無力感と呼ぶらしい)。にもかかわらず、ちゃんと働いたうえに日当が手取り9000円ってどうゆうことだ、とおもった。やんなくたってだれも文句いえないぜ。文句あんならおまえがやれよ、とゆう案件である。
研究者だっておんなじである。まじめに調査すればするほど「原子力発電所ないわー」「放射性物質を右から左に移動させてなんのイミあんだよ」とゆう結論しか出てこないしそんなまともな意見だせば、名誉も収入も許可も籍も席もなくなる。デメリットあってメリットなし。でも、大真面目にちゃんと調査してる研究者の方々とボランティアの方々が実在した。衝撃である。うれしいし、よかったと思った。
そして岩崎監督も中村さんも心配してるのだ、と感じた。まるでじぶんのことみたいにとくに「これから生まれくる者たち」を心配して奮闘されてるのだとおもった。


「誰が『原子力ムラ』の村長さんか、この40年間ずっと見てきましたが、どうもいないようです。日本人得意の、阿吽の呼吸でムラを回しているのが本当のところだと思います。ただ50年前、60年前はいました。今でも元気な中曽根康弘さんと、亡くなった読売新聞の正力松太郎さんです。あの二人が日本の原子力を始めたのは確かです」

『新聞うずみ火連続講演熊取六人組原発事故を斬る』(2016年)

作者は豊島区高田(中曽根康弘さんの自宅)と渋谷区富ヶ谷(安倍晋三さんの自宅)の地下500mに放射性廃棄物の地層最終処分場つくったらいいとおもってて、だって安全なんでしょ? やっぱり言いだしっぺが責任とるのが筋じゃないのかな。ただ地下水がでるか、温泉がでるか、天然ガスがでるか、するだろうけどそれでも方向性はそれでいきたい。

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